23”引退ブログ いぶ | 岐阜大学女子ラクロス部のブログ

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🥍いぶ

お久しぶりです。いぶです🦖


平素より岐阜大学女子ラクロス部を応援してくださってる方々、いつも本当にありがとうございます。


ついに引退ブログを書く時が来てしまいました。

毎日、ティムの引退ブログを読んで、そんなこともあったなぁと懐かしさに浸っています。


4年間何度も書いてきたブログ。

引退ブログを書くにあたって、過去の自分のブログを全部読み返してみたのですが、4年間本当にいろんなことがあったんだなぁと。

楽しかったことも、そうじゃないことも。


他のティムみたいな、かっこいいブログにはなりませんでしたが、4年間のいろんな気持ちを思い出して、感謝とともに書きました。

珍しく自分の心をさらけ出しすぎてちょっと恥ずかしいのですが、、誰かに何かが届いたら嬉しいです。


長い長い過去最長の自分語りが12152字ほど続きます。

読み終えるのに約15分かかってしまうので、お時間ある時にゆっくりと読んでくれたら嬉しいです。(本当に長いです)





1年生の春。


中高と部活ばかりしていたので、部活に入っていない自分が想像できなくて、とりあえずどこかの部活には入ろうかなと決めていました。

ちょうどコロナが始まった年で授業もなかったので、ずっと下宿先で1人でいるのがさみしくて、

同じ高校で同じ部活だった先輩トリオ(らいさんぐらさんりあさん)に会いに行こう!女ラク行ってみるか!ってなって、誘われるままにパスキャしてみたらちょっと飛んだだけで「すごいすごい!」って褒められ、調子に乗りました。

気がついたら入部してました。


自分より先に入部していた2人が自主練バカだったので、負けず嫌いな自分も負けてられない!ってクレドルの意味も知らないまま、とりあえず毎日グラウンドに行って練習し始めました。

1年練もまだ始まっていないのに。笑


中高でやってたハンドボールと似ている部分もあったからか、努力した分だけ上手くなっていってるのがわかったし、どんどん新しいスポーツに夢中になっていきました。



そんな、ただがむしゃらにラクロスをしていた私に1つ目の転機があったのは、1年生の冬でした。

たまたまりあさんとやった3on2のDFが忘れられないくらい楽しくて、たまたまフィジカルにも恵まれていて、たまたまデカい声で叫び続けてたら発信も褒められて、DFの魅力に気づき始めたのがこの頃です。

それまでは、点取りたいからABかMFやりたい!DBは別にいいかな、って感じだったのに、、

今思い返しても、この時の私は単純でした。笑

そんなこんなで、大好きなハイエストとのリーグにDBでスタメンで出るんだ!と目標を決めて、猛練習を始めました。


毎日全ての空きコマはグラウンドに行き、日が暮れるまで自主練して、その後は筋トレルームに行って、プロテインを飲んで、夜はインスタで上手い人の動画やNEOチューブを見て、寝て起きたらまた自主練に行って、、、


まだまだ下手くそだったけど、らふしばぴのとかとグラウンドにいた先輩方を誘ったり男ラクの先輩に混ぜてもらったりして、毎日1on1を数時間やるのが当たり前になっていきました。

今は絶対無理だけど、8時間ぶっ通しラクロスとかもしてました。

この頃は、我ながらいい意味で猪突猛進な後輩だったなぁと思います、ちょっと恥ずかしいです。笑


チームの責任を全てハイエストとアバティが背負ってくれてたからだけど、ただただ純粋にラクロスが楽しくてしょうがなかった。

4年間で1番ラクロスが楽しかった時だったかもしれません。


そして始まった'21のリーグ。

当時は部員数が今よりも20人くらい多くて、ユニフォームを着てベンチに入ることも当たり前なんかじゃなくて、本当にわずかな人だけ。

そんな中で、まだまだ未熟で足りないものだらけだった自分なのに、本当にたくさんの先輩の思いを背負わせてもらって、スタートから出させていただきました。


1部昇格した瞬間。

今でも本当によく覚えています。

あの雲ひとつない、抜けるような青空の下で、みんなが泣いたり笑ったりしていて、人生で初めて嬉し涙がこみあげてきました。胸がいっぱいでした。

めちゃくちゃ嬉しかった!

その時はまだ、1部昇格の価値もちゃんとはわかっていなかったけど、なにより大好きなハイエストと達成できたことが本当に嬉しかったです。


そして、Final4の南山戦。

初めて1部の強さを感じた試合でした。

最強だと思っていた先輩たちでも負けた。

楽しくて悔しかった、忘れられない試合です。

自分には足りないものだらけなんだ、このままじゃ岐大は1部で勝てないんだ、と思い知らされた、2度目の転機になった瞬間でした。


そして始まったアバティとの'22。


初めての1部。目標はFINAL4。

自分は、DFリーダーという役割を与えてもらいました。


DFの先輩たちが大好きだったので、一緒にDFを創り上げていくことが楽しくてたまりませんでした。


この時期に少し後悔しているのは、もっと自分の意見を持って、もっと発信すればよかったということです。

けいさんと出会い、上にはりあさんがいて、正直頼りきっていました。

自分で考えたDFの意見に自信が持てなくて、自分なんかよりけいさんかりあさんの意見のが良いに決まってる!と、「いいと思います」ばかり言っていたような気がします。(ごめんなさい)


これは部活問わずですが、もしもとんでもない意見だとしても発信することが1番大事だし、それが最上級生にとっては本当に嬉しいことだし、とても助けになります。

最上級生になってやっと気づいたことでした。

私はできなかったので、ぜひ来年パルランやモゴシは実践してクルティをたくさん支えていってほしいなと思います。



また、FINAL4を達成するために、個人目標としては東海ナンバーワンDBを目指すようになりました。

南山戦を経て、それにしてはあまりに井の中の蛙で、大海を知らなさすぎると思ったので、たくさん外部と関わることを1番の目標に決めました。


当時月1~2日しかなかったオフは、ほぼ全て社会人さんとかへの武者にあてて、

関東や関西ラクロスの人と繋がるために、B+というコミュニティに入ったりもしました。

NEOチューブで見た日本代表DBのみくさんに憧れ始めたのもこの頃です。

ついに憧れのみくさんとお会いすることができた日はドキドキで眠れませんでした!(サインをもらってらふに引かれたのが懐かしいです。笑)

みくさんに教わったDBの技術は全部書き留めていて、4年生になっても定期的に見返していたくらい、DFがもっと面白くなっていったきっかけでした。


この頃に気づいたのは、やはり外部と関わることは、上手くなるためにとても大事だということです。

振り返っても、武者に行ったりして新しい知識を貪欲に取り入れていた時期が、自分の技術が1番伸びた時期でした。

岐大が2部から1部に上がれたのも、もっと強くなるために先輩方が外部から新しい知識を取り入れてきたからで、まだ伝統もマニュアルもない岐大にはこれからも外部の風が必要だと思います。

(今度全体で武者行くの聞きました、すごい!頑張ってね!)


あと、どうしても伸び悩んだりしてラクロスをすることがしんどくなる時があると思います。

そんな時、自分はすごい人たちの試合を見たり、別の環境でラクロスをしてみると"楽しい"を取り戻せるタイプだったので、そのためにも武者に行ってモチベを維持して、、ってサイクルが合っていました。



3年生の春。

入部当初から目標にしていたユースに選んでいただき、チャレンジマッチでスタートとして憧れの瑞穂の舞台に立つことができました。

らふとぴのと選ばれて抱き合ったこと、すごく嬉しかった!一緒に出れて本当に楽しかった思い出です。


自分で言うのもなんですが、私のラクロス人生は結構絶好調でした。

ここまでは。



たぶん、無理をしすぎたんだと思います。


忙しいことで有名な学科にいたので、授業がめちゃくちゃハードになりました。

当時やらせていただいていた学連の仕事も、自分の力不足と要領の悪さを感じることが多くなり、

家庭のこととか他にもいろんなことが同時に重なって、


たくさんのことを同時にこなせる器用なタイプではないくせに、1人で抱えて溜め込みすぎて、

自分の役割を全て果たしきれてないことも許せなくなって、だんだん自分を責めるようになっていきました。


体調にも変化が現れるようになり、

次第に夜は寝れなくなり、ご飯が食べられなくなりました。

夜は一睡もできなくなり、大学にも行けなくなって、でもなぜか練習にだけは笑顔を貼りつけてなんとか行く日々が数ヶ月続いて。

ある日異変に気づいた父に連れられて行った病院で、とある精神病の診断がされました。


呆然としたまま行ったその日の午後練で、右足首靭帯の完全断裂。


リーグ初戦10日前のことでした。



本気で死のうかと思った。

そのくらい辛かった。

枯れるほど泣いて、泣いて、心身ともに壊れました。


ラクロスは関係ないけど、ここで1つ。

この経験を通して、人は本当に壊れると、壊れたことに自分では気づけないようになってしまうことを知りました。

こんなに異変がでてたのに、嘘だと思うでしょう?


本当に全く気づけなかったんです。

たまたま自分だったけど、無理をしすぎると誰でもなり得るみたいです。

溜め込みすぎず吐き出すこと、無理をしすぎないこと、自分を責めすぎないこと、すごく大事です。

これらを意識することはむずかしいけど、これから気をつけてみてほしいです。



'22のリーグ期は練習にも試合にすら行けず、

あんなに助けてもらった大好きなアバティとの最後のリーグなのに、DFリーダーなのに、何も出来なくて、

そんな自分が悲しいというか、情けなくてしょうがなかったです。


1回ティムに無期限休部するって話もしたよね。

もうラクロス部を続けられる想像ができなかったし、自分の存在意義もわからなくなっていました。


じゃあ、なぜこんなに壊れたのになんでまだラクロス部でいることを選んだか。

それは、間違いなく"人"のおかげでした。


松葉杖しんどいですよね。って私よりもっと長い期間怪我で苦しんでるはずの後輩がリュックを持ってくれました。

練習に行ったらスタッフさんがそっと寄り添ってくれたり、

励ましと心配の言葉をLINEしてくださるコーチさん方や先輩方がいました。

夜中にひたすら電話で話を聞いてくださるかうさんやぺこさんがいて、

大丈夫?って声をかけてくれる他大の友達や先輩がいて、

初めて本音をぶちまけたら一緒に泣いてくれた同期がいました。


本当に本当に苦しかったけど、

ここでこの人たちとの関係を手放した方が後悔するんじゃないか、自分には何も残らないんじゃないか、そう思いました。


そして始まった'23。ラストイヤー。

再び目標はFINAL4。

もう一度DFリーダーをやらせてもらえることになりました。


ただ、情けないことに夏の一件で、自分のプレー技術にも、自分自身にも、自信は全く無くなっていました。

自分を信じれないから、みんなのことも信じれなくて、実は人と関わることがずっと怖かったです。怪我で練習もできないし。

こんな頼りないDFリーダー、みんなからどう思われているんだろうと。


そんなことを言っていても時間は過ぎていくだけなので、

とりあえず、初心に帰って今の自分にできることから始めることにしました。


'23では1on1強化したいね!とあずと決めていたので、

ひたすらゴール裏からみんなのDFを見ることを始めました。

「ポジショニングを大切にしたい」とみんなに伝えていたので、1人1人の調子いい時のポジショニングを覚えて、

あの子今日上手くいっていないなと思ったら「こうしてみたらどうかな?」と一緒に相談して、改善して、上手くいった時は一緒に喜んで。ひたすらそれを繰り返しました。

すると、次第にみんなと話せることと、ラクロスに関わることがちょっとずつ楽しくなっていきました。

自分自身がラクロスを出来なくても、みんなの成長を心から嬉しいと思えたこと。

そして、みんなのおかげでラクロスは"楽しい"ということを少し取り戻すことができたことが、あの時の自分にとってはとても嬉しかったんです。

自分に自信がなくなったからこそ、怪我で練習に参加できないからこそ、みんなと一緒に考えて創っていくことが私には合っていました。


あの頃、自分のアドバイスを聞いてくれて一緒に成長してくれたみんな、いぶさん上手くいきました!って教えてくれた人、本当にありがとう。本当に救われていました。

自分なりの関わり方でみんなと繋がれた時間は、とてもとても幸せな時間でした。


他にも、1on1通知表をあずと作ってみんなに送りつけたりもしました。

みんな1人1人がめちゃくちゃ考えて努力してくれたおかげで、

いろんな人に1on1DFを褒めてもらえることがだんだん増えていきました。

みんなの努力のおかげだけど、岐大1on1DF良くなったね!って褒めてもらえるたびに、実はちょっと誇らしい気持ちになっていました。


2月。やっと怪我からの復帰。

あれから7ヶ月が経っていました。

やっぱり身体はDFを忘れていて、1on1はスッコスコに抜かれまくったけど、

後輩にも関係なく「今のどうだった?」と聞くようにしました。

そのおかげか、1on1だけは割と感覚を取り戻すのが早かった気がします。

本来プレーでも引っ張っていくはずの自分がこんなことで本当に申し訳なかったですが、

たくさんアドバイスをくれたことすごく嬉しかったです。

本当にありがとう。


あと、今年はフィジカルもめちゃくちゃ力入れたよね。

きつかったけど、少しでも楽しんでもらえたらとDFのフットワークも試行錯誤したりして、思い返すと楽しかったです。

冬から春にかけてのタイトレ祭りも懐かしいです。(フィジカル班だったのに結局少ししか関われずTRさんたちに任せきりでしたが、、)

おかげで、少ない人数でもだんだん4Qを戦えるようになっていきました。

たくさん考えてくれたTRさんたち、本当にありがとう。


あと、この場を借りて審判ズにも感謝を伝えたいです。

この1年間、審判ズの存在に本当に救われていました。

審判ズが「岐大DFはこんなファールが多いです!」って教えてくれて、改善方法を一緒に考えてくれて、練習でも吹いてくれて、見えないところでもずっと頑張り続けてくれたから、岐大DFはここまでファールを減らすことができました。

(よりによって自分が最後までイリコンと3秒してばっかでしたが、、すみません💧)

れいの言う通り、私も今リーグで東海1ファールが少なかったのは、岐大DFだと思います。

すべて、審判ズのおかげです。

感謝を伝えても伝え足りません。

本当にありがとう。


そこから夏が近づくにつれて

始まった研究室は魔の理科教を思い出すくらい忙しくなり、

家庭の方でもいろいろあって抱えなきゃいけないものが大きくなって、

また体調も壊れていきました。

どんどんラクロスに向ける気持ちが薄くなっていっているのが自分でもわかって、

そんな自分にひたすら自己嫌悪でした。

たくさんの人に迷惑と心配をかけていたと思います、本当にごめんなさい。



リーグ前ブログでも書いたけれど、私はみんなが理想とするDFリーダーでは全然なかったと思います。

「もし自分がDFリーダーじゃなかったら、あの子は辞めなかったのかな?」

「自分が歴代の先輩たちみたいにもっと人と関わることが上手だったら良かったのに。」

なんて、ネガティブになることが日常茶飯事でした。


はれさんみたいな、姿と熱意で魅せるDFリーダーにはなれなかったし、

りあさんみたいに、みんなを上手にまとめられる強い優しさは身につけられませんでした。

自分にあったのは、、なんだろう。

歴代のDBの先輩たちから継いできた知識と、経験と、誰にでも共感できる(してしまう)優しさと、フィジカルと、丈夫な喉くらい?笑


その分、この1年は本当にいろんな人に助けてもらいました。


先に述べた審判ズ、スタッフさんたちを始め、

自分にない知識をたくさん教えてくださり、戦術をたくさん提案してくださったけいさん始めとするコーチさん方、

一緒にしんどい時支え合った同期、

ついてきてくれるというより一緒に歩んでくれた後輩、

最後自分が部活に行けなかった時期にDFを支えてくれたあずとしば、

苦しくてどうしようもない時ずっと話を聞き続けてくれた友人たち、、、


中には助けてもらったというより、助けさせてしまった人もいて申し訳ない気持ちもいっぱいですが、とても感謝しています。

本当に本当にありがとうございました。

なんだか読み返すと苦しかったことばかり書いてしまいました。
が、楽しいこともちゃんとありました。

自主練で夜遅くまでおしゃべりして、そのままごはん行くのが大好きだった!
新人戦、まさかティムが岐大初の決勝リーグまで行けて、サドンデスでしばが決めて勝った瞬間、みんなで嬉し泣きしたよね。もしらふも出れてたらどうなってたんだろうね。
Bリーグで初めてベンチワークをあいと頑張った!りととれんのショットを見てベンチで感動して泣きました。
最初で最後の夏合宿。運営がちゃんと上手くいくか怖くて、最後までずっと緊張してたけど、無事終わってよかった。宿での夜楽しかったなぁ。

あんなに辛かったはずなのに、終わってみたら楽しかったこともたくさん浮かんできて。
私はやっぱり岐大女ラクが大好きでした。



私が頑張ったこと。
私が1番頑張ったことは、声を出し続けることです。
これは、練習中でも試合中でも、4年間を平均して絶対誰よりも頑張った!と胸を張って言えるくらい頑張りました。(異論は認めます)
1年練の頃からなぜか声だけは出してたうるさいやつでした。
DFの発信では、「私イチ!」とか「(フォローが)いらないいらないいらない、やっぱいるー!」とか、全部が誰かのためになっていたかは怪しいけど。笑
あと最後の1年間は、「ナイス5点差!」とか「らふ超すごい!」とか、意味わからないことも叫ぶようになりました。笑
実は、それらもチームの誰かが笑ってくれたらいいな、の気持ちで意識してやっていました。
肩に力を入れていたら普段通りの力が発揮できないので、ちょっとでも自分の発信でくすって笑って、楽しくいつも通りプレーしてくれたらいいなぁと。これがしたかったから、最後の1年もみんなを後ろから見ることができるDBを選んだのもあります。
意味があるのかわからないまま頑張り続けていたことだったので、最後の褒め合うしかで「発信でかすぎて笑っちゃったよ」「おかげで緊張とれたよ」と書いてもらえた時、最後の最後で自分の存在意義はこれだったんだと見つけられて、報われました。
本当にありがとう。

あとしんどい時でもとりあえず声を出していればなんとかなるしね!笑
声を出してれば、どれだけ辛くて苦しくても涙は出ません。
しんどい時こそ、声を出すのは超おすすめしておきます。
チームの雰囲気も盛り上げられて、一石二鳥!

あと、ラクロスノートとプロテインと筋トレもひそかにめちゃくちゃ頑張ってたことです!
(書けばいいってもんではないけど)4年間で書いたラクロスノートは9冊いきました。
練習後に飲むプロテインも、始めた2年の冬から引退まで欠かしたことはほぼないくらい、ずっと継続できました。
筋トレも、辞めたいと思っていた時でもなんとかずっと続けていました。
最後の方、全然部活に行けていなかった時でもなんとか4Q持つ体力と当たり負けしないフィジカルが残っていたのは、ひそかに継続していたこれらのおかげだと思います。
継続していたことだけは、自信がついていたからです。
継続することで得られるものは、たくさんあることにも気づきました。


あと、いろんな人へ感謝の言葉も伝えさせてください。

本っ当に多くの人にお世話になったので、本当は1人1人に書いていきたいのですが、、ここでは選んだ人だけになってしまいました。すみません。



コーチさん方

1年間、ものすごくお忙しいはずなのに、合間を縫って岐大女ラクにずっと関わってくださり、本当にありがとうございました。


コーチさん方がいらっしゃったから、FINAL4という目標に最後までチームで向かえていましたし、最後までティムやリーダーが作りたいチームを問いかけて一緒に創り上げてくださったこと、本当に感謝しがありません。

個人的には精神面でもずっと勝手に支えにしていました。

書いた色紙に加え、いくら感謝を伝えても伝え足りないので、この辺で終わらせてしまうのですが、

またどこかでお会いできたらとても嬉しいです。



ぺこさん(OGとして、、)

靭帯を切った診断を受けた夜、号泣しながらかけた電話をずっと聞いてくださったこと、

1番しんどくて家に引きこもってた時期にごはんに連れ出してくださったこと、

他にもどれだけ伝えたらいいかわからないくらい感謝している先輩です。

ぺこさんがいなかったら、絶対乗り越えられなかったし、今でも立ち直れていないと思います。

引退前も、引退後も、本当にお世話になりました。

これからもぜひ定期的にごはん行きたいです。



両親

誰より心配をかけたよね。

昨年の夏に壊れてから本当に心配ばかりかけてしまって、そのせいでラクロスを続けるのも反対させてしまって、何度も悩ませていたと思います。

それでもたくさん試合を見に来てくれたこと、すごく嬉しかった。

お金の面でもたくさん助けてくれたこと本当に感謝しています。



あず

私の怪我期間にはプレーで示す姿をあずに全振りしてしまったし、私の弱さのせいで本当にたくさんの苦しさをあずに背負わせてしまったし、頼りすぎてしまったね、本当にごめんね。

でも、この1年、しんどくてもあずとDFミするたびにDFの楽しさを思い出せて、あぁ私もあと一歩頑張らなきゃって、本当に救われてました。ミニップでたまに頭を悩ませながら、話脱線して笑いながら、夜遅くまで話し続ける時間がすごく好きだったよ。

あずとのミーティングの時間がなかったら、絶対最後まで続けれませんでした。

直接では上手く伝えれなかったけど、1番感謝してる後輩です。

本当にありがとう。

'24は、ときやみんなともっと楽しいDFを完成させてね。無理しすぎず、息抜きの時間も作って、周りを上手に頼りながら1番楽しい1年間にしてね。



大好きな先輩方

ラクロスを頑張ろうと思えたのも、こうして最後まで続けられたのも、全ては先輩たちのおかげです。

引退前はもちろん、引退後も

特にアバティ、パピコLINEで人数が足りなくて頼った時は毎日のように6on6に来てくださって、本当に感謝しかありません、、

これからもどこかでお会いできたらすごく幸せです。



同期ティムタム🧸

ティムは、みんな真っ直ぐで明るくて、かつ末っ子が多いからか(?)甘え上手で人に頼るのが上手な人が多いけれど、

そこは私は本当に逆で、

結構逆の学年カラーで、先輩に素直に甘えれて、弱音を上手に吐けるみんなのことがずっと眩しかったです。羨ましかった!

(かと言って甘えたら、「甘えるいぶ気持ち悪い」とか言われるし。なんなんだ。笑)


人から頼られるのは嬉しくて、喜怒哀楽の"喜"と"楽"だけは全面に出せる癖に、

人に頼ることも、マイナスな感情をさらけ出すことも、本当に苦手な私の本音を聞こうとしてくれたのはいつもティムでした。


ティム1人1人のことをとても尊敬しているし、感謝してもしきれないほどありがとうを伝えたいです。

個性が1人1人すごく強くて、だから最初の方は学年としてまとまりがないと言われたり、思ったこともあったけど、それだけその人にしかない良さをもっているティムが大好きでした。

4年間ずっと一緒にいたのに、これからは完全に道が別々だね。

寂しいけど、ティムから貰ったものや学んだことをちゃんと持って、私も私らしく頑張ります。

離れても、心の支えに勝手にしてるね。


大好きな後輩たちへ

私が最後までラクロスを続けてよかったと思えたのは、1つは最後の試合でティムAT全員が点を決めたのを見れた時。(1人イリーガルクロスがいましたが笑)

もう1つは、みんなからの手紙やメッセージで「いぶさんのおかげでDFが好きになりました」「DF楽しかったです」と言ってもらえた時です。

あと、「最後は楽しんで笑顔で終わって欲しいです」って、褒め合うしかなどで掛けてくれたこの言葉に最後本当に救われました。

他のティムより愛情表現苦手だし隠れチキンなので、ちゃんと伝わってたかわからないけど、本当に1人1人に救われていたし、本当に本当に全員が大好きでした。

私が続けれた理由です。ありがとう。


モゴシ🍖

モゴシの1年練に行くのが大好きでした。

モゴシと一緒に1on1やキープを自主練したことがものすごく前のことのように感じます。

楽しかったなぁ!

今年は、例年なら背負わなくていいものをモゴシに背負わせてしまいました。それで見えないところで苦しんでいた人もいたら本当にごめんね。でも、まだまだこれから。逆にこの経験を強みにしていってほしいなと思います。

ベンチに入った経験、リーグ期に上回の練習に参加した経験、リーグに出た経験、悔しかった経験。

全て例年の1年生ならまだ経験できていないことで、これらを1年早く知れたことは本当に本当に貴重な経験です。

そこで見て、聞いて、感じたものたちを全部抱えて、これからのラクロスも楽しんでいってほしいです。


パルラン🍁

初めて会った時はなんて騒がしい後輩だと思いました笑

1年練から上回練に入った時から、いきなりの温度感に戸惑ったり、不安や焦りからしんどくなったり苦しかったりして見えないところで泣いたこともあったと思うけど、それでもずっとついてきてくれて本当にありがとう。

最後の方は、パルランの明るさや笑い声にチームも私もずっと救われていました。

'24でもパルの明るさと学年力でクルティに時折甘えつつ、支えていってね。


クルティ💐

こうやってティムが10人で引退できたのは全てクルティのおかげだと思っています。

そのくらいずっと支えてくれて本当にありがとう。

ティムの学年カラーとはいい意味で全然違って、期限系とか絶対守るの本当に尊敬しているし、

秘めがちな心の中でものすごくいろんなことを考えてくれていて、私自身もたくさん救われていたよ。後輩だけど1人1人を尊敬の気持ちで見ていました。


ここで最高学年になるクルティに向けてちょっとだけ伝えたいことを。


3年生の私の方が技術があったし、

4年生の私の方が知識をもっていたけど、

振り返ると、1番"プレーヤー"として強かったのは2年生の夏だったような気がしています。(情けない話ですが、、)

それは、自分に自信をもてていたから。

あとなにより、ラクロスを楽しんでいたからです。


試合を見に来てくださったとある先輩に言ってもらったことですが、4年生がとにかく楽しんでるかどうかで後輩も変わるよ、と。

それに気づくのが私は遅すぎたし、気づいた時にはもう限界だったので、実践することはできませんでしたが。。


クルティは本当にみんな責任感が強くて、真面目で、自分が頑張らなきゃっていう頑張り屋だからこそ、

溜め込んだり、自分を責めたり、責任の重さに苦しくなることも時に出てくるかもしれません。

そんな時こそ、"やらなきゃ"より"やりたい"を優先してね。

最後だから、クルティがやりたいように全部やるんだよ。クルティがティムに言ってくれたように。

なにより、楽しんでね。

ずっと楽しむって本当に難しいと思うけど、てか無理だと思うけど、それでも楽しむということを忘れたら、本当に限界になってしまうと思います。(これも経験です)


どうかクルティが最後幸せに気持ちで引退できますように。

ずっとずっと願っています。



さて、そろそろ私の引退ブログは終わりです。

どうでしたか?なにか心に残る言葉があったら嬉しいです。

長々と振り返ってみたら、振り返った通りで、

楽しいこともあったし、でもやっぱりきついこともたくさんでした。

特に、最後の1年半はずっと限界で、1人になる度に涙が止まりませんでした。

みんなの前では必死に笑顔を作っていたけど、逆にそれがみんなに心配をかけてしまっていたことも多かったと思います。

本当にごめんなさい。


ずっと、弱音や愚痴を吐くことは弱さだと、そう思ってました。ましてやDFリーダーで、最高学年で、スタートをもらえている自分は特に。

自分よりしんどい人がいるだろうし、

自分にはチームの雰囲気を良くする責任があるから、常に笑顔でいなきゃ、しんどくても空元気でいなきゃ、って。

別に誰かに愚痴ったところで、どうにもならないしなぁとも。


でも違いました。

助けてと言える人、できないと言える人、愚痴を吐ける人は、弱いんじゃなくて、

しなやかに強い人なんだと気づきました。


もちろん空元気は大切だけど、でも、言える場所では絶対に絶対に吐き出してください。そして定期的に!

じゃないと積もりに積もった時に、壊れてしまいます。これも私の経験です。


ただの強い人になるのは難しいので、しなやかな強い人を目指してほしいです。(私もこれから頑張って目指します。)

苦しいの吐き出し方、支え合い方は、きっとティムの姿を見てたら伝わってるよね!



ラクロス部に入ってよかったこと。

こうして、自分とひたすら向き合って、自分の嫌いなところ、直さなきゃいけないところをたくさん見つけられました。自分でも知らなかった自分の良いところは、教えてくれるみんながいました。

先輩後輩同期関係なく、「こうなりたい!」と思える同世代の尊敬する人たちにたくさん出会えました。

ラクロス部に入らなきゃ知らなかった、醜くてしんどい感情もたくさん知れました。おかげで、教員になった時に寄り添える気持ちの幅が広がったと思います。

そして、いろんな経験と人に出会えたおかげで、やっと自分が将来やってみたいことを見つけることができました。


さぁこれで本当に本当に終わり。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。



入部の時に言われた、人生最後の青春は嘘じゃなかったです。


4年間のいろんな瞬間全部ひっくるめて、

ラクロス部に入ってよかった!




ラクロスを通じて自分と出会ってくれた全ての人に感謝を込めて。


本当にありがとうございました!



これからも岐阜大学女子ラクロス部をよろしくお願いします。




#2 いぶ