NHKのギフテッドに関する番組について | ママの実践ギフテッド教育

ママの実践ギフテッド教育

誰でも実践できるギフテッド教育についてご提案します。

こんにちは。

 

ママの実践ギフテッド教育のHiromiです。

 

昨日、3月12日に、NHKでギフテッドについての番組があるとお客様から伺ったのですが、これは、昨年19年の8月28日に放送されたものの再放送でしょうか?

 

日本のテレビ番組は、海外からは視聴できないようになっているので私は見られないので、確認ができなくて大変申し訳ございません。

 

 

う~ん・・・・

 

なんだろうね・・・・

 

私がギフテッドについてブログに書き始めたのは2007年頃でしたが、当時は、今よりもっと情報が少なかったんです。

 

そのせいか、ギフテッドの子供の親がブログをあげようものなら、親バカ自慢とばかりにすぐに叩かれて閉鎖に追い込まれるばかりでしたから、私もちょっとブログでわが子を攻撃されるのに躊躇していたこともあります。

 

それが面倒になって一度、ブログを辞めたんですが、その頃にアメリカの某ブロガーさんの2Eブログを見て、また頑張ってギフテッドブログをやってみようかなと思い、始めたんですが・・・・・・

 

 

またしても、母親同士のマウンティングから、私の活動や記事が気に入らないとかなんとかケチをつけられ、消えろだの、迷惑な記事だのと散々に言われて、ブログを辞めることになったんです。

 

「裕美さんさえいなければ、みんなが平和に収まるんです!」

 

「あなたがみんなと違う定義を言い出すから、ギフテッドの親が荒れるんです。」

 

「あなたは迷惑な存在!」

 

もっといろいろと細かく言われましたが、大まかにはそんなことをメッセージでもらいました。

 

私がいなけば、みんなが平和って??目

 

その”みんな”って誰??爆  笑

 

これがブログやSNSの怖いところですが、ハンドルネームでは、表で仰っていることと、裏の顔が違う人います。

 

個人のメッセージでは、どんなことを言っても、表に見えませんから、他人は、裏の姿を知らずに、上辺や上っ面の記事だけで判断した人柄を見ますよね。

 

DM晒しは、芸能人の方でも問題になってましたが、個人の会話を晒したところで部分だけを端折ってますから、それはそれで、DMを晒す側も名誉棄損になります。

 

私も、DMを晒されて「裕美さんから脅された!」などと書かれたこともありますが、最初に私の職場の個人情報を使って悪口を拡散してたのは、あなたですよね?と言いたいですが、まぁ、好き勝手に悪口を言いたい人のことは放置しておくのが一番です。

 

SNSではハンドルネームに隠れて、その方の仰ることがどこまで本当で事実なのかどうかもわからないのですから、そんなのを相手にしているほど、暇はありません。

 

 

私が娘にイギリスのチータム音楽学校でギフテッド教育を受けさせたのが2009年から13年です。

 

娘の在学中は、やはり実在するお子さんの個人情報がありますから、さすがに個人情報をペラペラとブログに載せることはできませんでしたが、ギフテッド教育について、ただのブログ記事ではなくて、本格的に有料サービスで啓蒙活動を始めたのが2014年です。

 

今、私の啓蒙活動も6年目に入りましたが、NHKの番組で取り上げている”川崎由起子さん”という方がギフテッド教育の専門家として取り上げられているようですが、この方は、アメリカのシリコンバレーのギフテッドクラスの教師だったそうですね・・・・・

 

ギフテッド教育での指導者、教師=専門家と呼べるならば、学校の教師はみんな子供の専門家であり、親が口を挟む必要もないはずです。

 

ところが、教師=専門家に任せたところで、わが子が学校で浮きこぼれるわけですから・・・・

 

だったら、教師っていう資格は、どんな専門性があるのでしょうか?

 

ギフテッドの専門家というのは、どなたの、どんな権限で”専門家”と呼べるのか、また、専門家となるまでの経路は、教師歴や資格がいるものなのか、ギフテッドの定義以上に、まったくもって定義がはっきりしていないんですから、困ったものです。

 

アメリカやイギリスでは、ギフテッドのための特別クラスが設けられていたり、ギフテッドの子供が通う専門校があり、ギフテッドの子供のためのプログラムが受け入れられています。

 

ギフテッドのプログラムなど、そういう環境に子供を入れたら、浮きこぼれることなく平和なのだろうと、ギフテッド教育が知られていない日本のギフテッドの当事者や保護者は、アメリカやイギリスが天国のように感じられるのかもしれません・・・・・

 

 

で・・・・私は、そういうギフテッドの子供の専門学校にわが子を送ったなかで、はっきり言えるのは、別になくても大丈夫!ということ。

 

ギフテッドの学校や教師が子供を救ってくれるわけじゃないんですから。

 

 

そもそも、よぉーく考えていただきたいのですが、学力なり、能力がその年齢にそぐわないだけで、指導してもらったり、教えてもらうことは、他の生徒と同じです。

 

まぁ・・・・・一般的な生徒と並べた場合、ちょっと感覚が違うところはあるとは思いますが、一人の人間としてみたら、大した違いはありません。

 

むしろ、年齢が低いだけに、他の生徒より欠けている部分が大きいのですから。

 

幼稚園児の年齢で、大学生並みの学力や能力があっても、その幼稚園児が結婚して責任を持って家庭を持つとか、社会人として一人で自立した生活ができるわけではありませんからね。

 

極端にできる部分があっても、できない部分が大きいのがギフテッドの子供が支援を受けざるを得ない理由の一つです。

 

でね・・・・・NHKで取り上げていたギフテッドのお子さん達をみてもわかりますが、どの子もまだ社会人ではありませんでしょ?

親御さんをみても、自分より能力が高いお子さんが未成年者だから、学校生活でどう接していいかわからず、わが子の将来もわからない、躾や教育についても不安だらけです。

 

だけど、それは、普通のお子さんにしても、障碍や病気を抱えたお子さんの親も同じですからね。

 

なんとなくですが・・・・・自分だけが大変、自分の子供だけが特別、賢いから大変だと強調するのは、お門違いのように思います。

 

子育ては、誰だって大変で、簡単な子育てなんてないんですから。

 

社会人になってみたらわかりますが、ギフテッドと言っても、社会人になれば普通になりますからね。

 

あんまり幼少時から、自分が特別だとか、自分だけがみんなと違うんだという感覚を子供に刷り込ませてしまうと、それこそ、浮きこぼれの改善どころか、益々、人離れして、浮世の世界でしか生きられなくなり、益々生きづらさを抱え、困難から脱することができなくなると思います。

 

森ガールの学校の生徒さんたち、今、ほとんどのお子さんは、普通に暮らしてますし、普通に社会人、学生です。

 

娘の森ガールは、現在、音楽家の活動よりも、起業家としての活動に力を入れてますが、悪戦苦闘してますし、順風満帆に成功した人生を歩いているとは言い難いですよ。

 

私は、長い事、ギフテッドに関するブログ記事をあげてきた中で、だれもがみんなギフテッドの傾向があると言い続けてきました。

 

私のギフテッドの啓蒙活動に反対し、対抗すべく、一部の保護者の間では”数学に長ける能力の高さがギフテッド”として、それがギフテッドの代名詞にもなってきてますが・・・・・

 

では、そんな”ギフテッド信者”にお尋ねしたいのですが、その数学の知識とやらを使って、世の中が平和になったり、良い社会に変化してますか?

 

今、連日のように新型コロナウイルスの感染者の数とか、死亡者の数を公表して、不安を煽る政府や団体、デマを吹聴するマスコミなど、数字が人間社会に与えている現状において、なにか良い事あります??

 

その数字が与える意味、何もありませんよね?

 

逆に、そのような数字で不安や恐怖を煽って、世間に絶望を叩きつけていませんか?

 

そんなにギフテッドとやらが立派な能力で優秀ならば、学者や医者は何をしているのでしょうか?

 

かつて、得意な数学や科学の知識を使って、ガンを治すとか、病気を治す新薬を開発すると言って教育を受けていたギフテッドの子供たちは、社会人になって、どうしているのでしょうか?

 

その知識や能力がそれほど立派なら、なぜ、今、ガンでもない、コロナウイルスごときに世界中が翻弄されているのでしょうか?

 

学者や医者になって、何を研究してきたのでしょうか?と疑問になります。

 

毎日、一般人にはよくわからない研究とやらに没頭して、固定給を貰っても、いざという時に何にもできないならば、競馬やパチンコで毎日、ギャンブルて遊んで暮らす人と変わらないように思います。

 

そんなのはどこもギフテッドの傾向ではありません。

 

高いIQがあるから?

 

高い才能、能力があるから?

 

高い目標があるから?

 

そんなことは、ギフテッドの特徴ではありません。

 

そんなことで選民意識を持ったり、他人を卑下して差別する優劣主義など、社会には不要ですからね。

 

ブログの記事やセミナーでもしつこく私は言ってますが、IQは、もともと知的障害の有無の基準に作られた、障碍者のサポートの基準であって、能力を差別して優越感に浸る人のための自己満足に使う物差しではありません。

 

ギフテッドという傾向では、

 

 

逆境において、他者や社会に希望を与えていく行動。

 

自分を犠牲にしても、他者や社会のために身を投じる行動。

 

人を惹きつける魅力のある人格。

 

そのようなことが、その人それぞれの個性を作り出し、誰にもある思考、誰もが持っている行動を総じて、ギフテッドという傾向なのです。

 

 

だれにもできることだけど、だれもがそうならないのは、そうした傾向が顕著になるような環境、教育、社会が揃ったうえで、各自の選択によって、だれでもギフテッドの傾向になるのです。

 

残念ながら、どれだけ立派な行動をしたところで、ギフテッドという傾向による行動は、何事も前衛的な思考や試行なので、その時代に理解されて受け入れられないなど、生前中に支持されることは少なく、死後になって功績を評価されたり、褒められることがほとんどです。

 

宮沢賢治さんや金子みすゞさんの作品なども、死後になって評価されてます。

モーツァルトやショパン、ベートーベン、チャイコフスキーも、存命中に音楽家として名声はありましたが、死後になって世界中にこれほど有名になることは予想もしていません。

 

ノーベル賞のノーベルさんだって、爆弾を発明した罪悪感から寄付をして財団を作りましたが、本当に立派な人だったのかは疑問です。

 

人の一生の人生のうち、一時期の、一成功だけを取り上げて偉業や業績を評価したギフテッドなんて言うのは、似非ギフテッドです。

 

ギフテッドというのは、一生の傾向として、全体に滲み出てくる生き様ですから。

 

人それぞれの人生の色合いというか、織りなし方は様々なのです。

 

ギフテッドというのは特別な人だけが、特別なタイミングで選ばれるのではありません。

 

だれもが自分の選択において、ギフテッドの傾向が可能なのです。

 

選ばれたお子さんや、特別に賢いお子さんだけがギフテッドということはありません。

 

だれもがギフテッドという傾向を持ち合わせてますから、それを親なり周囲が上手に引き出して、あとは本人の力で伸びていけるように、自立させていくことがギフテッド教育の目的です。

 

私のセミナーでは、魂の教育として、ご家庭で実践できるギフテッド教育をご提案しております。

 

気軽にどなたでもご参加くださいね。

 

興味のある方は、遠慮なくメッセージ下さい。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

 

 

にほんブログ村 教育ブログ ギフテッド教育へ
にほんブログ村