ギフテッドは選ばれた人ではなくて、生き方を”決めた人”のこと。 | ママの実践ギフテッド教育

ママの実践ギフテッド教育

誰でも実践できるギフテッド教育についてご提案します。

こんにちは。

 

ママの実践 ギフテッド教育のHiromiです。

 

7月に起こった重度の障碍者たちを襲った事件以来、ずーっと考えさせられている、人の心に住む差別。

 

 

差別は良くないことぐらい、だれでもわかるのに、差別が止まないのは、人間には、だれしも優越感があったりして、そんな優越感がなにかのきっかけに、悪い方向にエネルギーが働くと、差別がでてしまうのかなぁっと。

 

 

私も、自分のなかに、優越感はきっとあるはず、いえ、あるんですよ。

 

だから、そういうものが嫌な形で作動するんじゃなくて、優越感が「自分は、あの人みたいじゃなくて良かった。」という気持ちや自分のほうが良い状況なのだと思うときは、自分よりもっと大変な人や辛い状況にいる人の心が少しでも楽になったり、元気になれるように心を砕ける自分で在りたいなと思うのです。

 

もちろん、今の私ができているってことじゃなくてね、そういう自分になりたいなぁ~という漠然とした気持ちです。

 

 

7月のあの事件は、私は、いつかそのようなことが起こるのではないかとずーっと危惧していたことだけに、恐怖が的中してしまったというか、今まで何度も心臓をえぐられる気持ちを感じてきましたが、今回のは、心臓をえぐられた以上の衝撃を感じました。

 

ギフテッド教育の活動をすることは、差別を助長させてしまうことになるのではないか?

人間の優劣を追及してしまうことはないか?

 

そんなことをずーっと、ずーっと考えてました。

 

でも、私はギフテッドの方のライフスタイルや人生というのをみてきて思うに、この人たちが社会の格差社会を作るという影響はないと思います。

 

だって、ギフテッド当事者は、お金にあまり興味がない。

どっちかというと、ギフテッドは、お金に無頓着です。

 

だから、渡されたお金は、パラーっと使ってしまうか、使わないかのどっちかです。

お金をいっぱいもらうためにがんばるとか、お金を得るために、人を騙すとか奪うという行動はありません。

 

全体としては、パラーっと使ってしまうギフテッドのほうが多いかもしれませんが。爆  笑爆  笑爆  笑

 

社会的地位とか、名誉も、ギフテッドはそこに執着はほとんどゼロに近いです。

 

あるとき、突発的に、「普通の人になります。」と辞めてしまうのも、ギフテッドの人によくある行動なのです。

 

普通の人は、職業を変えるときは、次の仕事を見つけたり、ある程度の計画をつけてから、石橋を叩きながら渡りますが、ギフテッドの方の場合・・・・・突然辞めてしまっても、また別の能力をグーンと発揮してやっていけてしまうのです。

 

出来るという自信があってそうしているのではないのです。

 

やる!と決めて行動しているんです。

 

そこの違いです。

 

もうすこしわかりやすく言いますね。

 

例えば、森ガールが音楽家になる!と決めたのは、突然でした。

 

まだ何の楽器がやりたいという目標もなにもないまま、漠然と、ある男の子の演奏をテレビで聴いて、

 

「ママ、私、音楽家になる!この子みたいになる!」

 

 

と言いました。

その子は、トローンボーン奏者で、当時12歳。

 

森ガールは13歳でした。

トローンボーンを習いたいのかと思ったら、そうではなくて、音楽家になる!ということでした。

その時、何度も確認したのですが、なりたい!ではなく、なる!と言い切った森ガール。

 

では、何の楽器で音楽家になるの??と聞くと、

 

”ハープがいい!音譜音譜音譜

 

 

私・・・・固まりました。

・・・・・そっ、その楽器は・・・・・楽器のなかでも、高額と言われる楽器の一つで・・・・・。

移動するのも大変で・・・・・。

 

なんでフルートとか、持ち運びが軽くて簡単で、しかも安い楽器にしてくれないんだ!という私の心の中の叫びはたくさん、たくさん、エコーして、リフレインしてました。

 

ハープ・・・・

 

ハープ・・・・・なぜに、ハープ???

 

重たい、でかい、マイナーな楽器で先生もきっと少ないから、レッスン代も高いだろう、探すのも大変だろうと。。。。

 

でも、子供がせっかく、決めたことを頭ごなしに、

 

我が家にはそんなお金がないから、お金のかかるハープは辞めなさい!

 

とは言いたくなかった・・・・

 

だって、私は、常日頃に、子供に、自分で決めたことは全力を尽くせ!可能な限りを尽くせ!と言っているのに、親が自ら、何にもしないうちから、自分があきらめる姿を見せるのは、情けないじゃないか!と思ったのです。

 

でも、きっと先生とかも見つからないから諦められる理由になると思いきや、

 

なんと楽器をレンタルしている業者があるじゃないですか!!

 

こうしてハープをレンタルができるとわかり、それなら、もしも、途中で嫌になって辞めても返せるからいいかなと。

 

次に、先生も、きっと近くにはいないかもしれないけど、探すだけ探してみようと思ったら、これまたなんと偶然にも、近所にグランドハープを教える先生が居た!!!グラサングラサン

 

なんだか・・・・ものすごい偶然なのか、運がよいのか、悪いのか(親の都合!!)わかりませんが、とにかく環境が整ってしまい、習わない理由もダメだと言う根拠もすべて消えてしまい、ぼちぼちやってみようとなったのです。

 

そして、本人である森ガールは楽器を習い始める前から「ハープで音楽家になる!」と決めてますから、これまた、すごい練習もするんですが、憶えるのも恐ろしく早くて、楽譜を買うのが追いつかないぐらいでした。

 

ギフテッドというと、幼少時から才能の頭角を見せているというイメージをもたれがちですが、小さいときから何年もやってピアノが上手になるお子さんってたくさんいるんですよ。

 

でも、ギフテッドというのは、その伸びる可能性を持っている傾向ですから、伸びる前の状態からすでにギフテッドなのです。

才能が伸びたからギフテッドなのではなくてね、それをやる前からギフテッドなのです。

 

そこの可能性を見つけるための尺度のひとつがIQになるのですが、IQを測らずとも、こうして現実的に、どんどん曲を習得していく森ガールに、音楽の才能があるかどうかのIQを測る意味などありません。それほど、はっきりとわかる傾向なのです。

 

ギフテッド教育では、頭角を現している能力の高い子供を集めているのではないのです。

 

伸びる可能性のある子供を教育し、サポートしているのです。

 

学校がギフテッドを選んでいても、ギフテッドは、選ばれているのではなくて、自分は○○になる!と決めて、また、それができる人のことなんですね。

 

私はいくら練習してもピアニストにはなれません。

 

それは私が、ピアニストになりたくないと決めているからならないのです。

 

ここのこの部分、普通の人は、自分が何かに成る!という決断はしないのです。

 

普通の人は、私は○○にはならないというように、自分でネガティブな判断を選びます。

それが伸びない理由です。

でも、伸びなくて良いのです。

伸びないことが普通の人にとっては、喜びだったり、安心している状態だから。

 

流れにまかせて暮らしていることに不満もないし、これといった目標も生きづらさもありませんから、決断してまで自分の何かを変えることは選ばないのです。

 

けれども、ギフテッドの人というのは、周囲から浮いているため、そこの居心地の悪さから、現状を変える決断をしていくのです。

そうでなければ、自分が死んでしまうから、生きる延びるための選択ですよ。

 

よくギフテッドは、選民意識のある人たちだと言われますが、選ばれた人ではなく、自分で自分の生き方を選んでいるだけなんだと思いますよ。

 

私は、学校でいじめにあったけど、不登校は選ばなかった。

選べなかったからです。

 

ギフテッドの子供は、みんなではありませんが、何かしらの原因から不登校や集団にそぐわない日常があります。

私も、森ガールが不登校になったときは、びっくりしたけれど、子供が大人に自分の生き方を示すことができるって、とても、とても勇気がいる行動だと思います。

 

そういう子供の勇気ある行動を、日本では、なぜか、不登校は集団生活に馴染めない、何か本人に問題があるはずだ!協調性がないのでは??という、どちらかというとネガティブな捉え方をされることが多いんですね。

 

周りに合わせることも確かに大事だけど、周りに合わせるために、自分の個性を殺してまで合わせるぐらいなら、居場所を変えたほうが良いのです。

 

自分がどこに居ると居心地が良くて、安心できるか、自分の落ち着く場所は、自分で決めて良いのです。

もちろん、子供でも。

 

文中に脱字がありましたが、赤字で修正致しました。

 

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