中3から不登校だったり、五月雨登校

だったりした娘の信頼を回復できた
んだな、と思ったのは、、、
 
娘のスマホのLINEの、私のトップ画を
見たときです。
 
 
ある日、ロック画面に出ている受信の
お知らせに、私のアイコンが出ていました。
 
LINEの名前って、自分で自由に
変えられるんですよね。
 
 
娘との関係がサイアクだった時の
私の名前は
 
「死ねマン」
 
となっていましたガーン
 
それを見たときには少なからず
ショックガーンガーンでしたが、、、
 
 
それから2年ほど経った時には
 
「ママン」
 
に変わっていましたラブ
 
あー、私に対しての気持ちが変わったんだ
 
と、実感した瞬間で、何ともその
「ママン」という甘い響きを何度も嬉しく
繰り返し頭の中で言ってみたりしましたラブ
 
 
「死ねマン」から「ママン」になるまで
には、以前の記事にも書いたように
様々な事がありましたえー
 
 
高2の途中から、徹底的に娘にかける言葉を
気をつけて、受容して共感して、、、
 
その繰り返しでしたニコニコ
 
でも、とにかく徹底的にしました。
 
言葉を変えていくと、その言葉につられて
私自身の気持ちも変化していくことに
気付きました。
 
 
例えば、、、数日間登校したのに、また
休み、となった時、それまでは
大きな溜息ついて、「また、、、」と
言ってしまったりで、そうすると私自身も
気持ちが落ちて行くのがわかったのですが
 
「疲れちゃったね。ゆっくり休もうね。
   休み休みでいいよ。無理しない!」
と声かけると、私が私自身の声を聞いて
「そうだよね」
と思い、焦らなくなってきたのです。
 
 
 
そんな時、娘は私の表情や態度、話し方、
言葉だけでなく、非言語からも、、、
 
私が娘に対して、怒ったりしていないか、
本当はどう思っているのか、
確かめているようでした。
 
 
何度かその確認を繰り返し、、、
やっと、娘との信頼関係を取り戻せた
とおもったのですニコニコ
 
 
すご〜くすごく、辛くて辛くて
たまらないときは、どうしていいか
分からなかった。
 
何で私ばかり、と思った。
 
 
でも、、、それって、ホントかな?
娘にとって、学校に行かれないことは
そんなに不幸なのかな?
 
私が悲しい顔してるから、娘は辛かった
んじゃないかな?
 
 
自分軸で生きる。
 
娘も、私も。
 
『幸せはいつも、自分の心が決める。』
 
私の大好きな言葉、、、。