それから、私は1週間ごとに眼科に通った。

3週間ほど経つと、出血も止まり左目の状態も分かってきた。

 

その結果は悲惨のものだった。眼科医は、私の左目は神経が切れているという。確かに、左目だけでモノを見ようとすると中心がまるで見えない状態なのである。眼科医は、今の医学では神経が切れた目を手術しても完全には治らないという。

私は、障害者として認定は受けていなかったが、完全の障害者となってしまった。

 

両親は翔を憎んだ!警察に訴えてやる!といった凄い意気込みであった。この時、私は翔を恨んだけれど、警察に訴えるつもりはなかった。

 

しばらく休んでいた喫茶リオに出勤することで、色々なことから解放されたいと思った。いつものように喫茶リオに出勤して、病んだ自分の心を癒したかった。

 

翔は、しばらく私の前から消えてしまった。だから、堂々と喫茶リオで仕事をすることができたのだ。

 

リオに行くと、マーちゃんもいるし、専務も社長も私が出勤して来るのを心待ちにしていたようだった。取り敢えず、体調が悪かったということにして、再び、ここで働き始めた。