突然ですが、
あなたは自分自身の
「心から願っていること」
を知っていますか?
「本当の願い」って、
意外と自分ではわからないものですよね。
気づいているようで
実は思い込みの中にいたりして。
今回は、そんな深い問いに向き合い
「想像をこえた現実」を創造していく
実践的な精神的な技術を紹介します。
精神的な技術というのは、
自分の内面にアプローチしていく
技術のこと。
日々実践して
絶大な効果がでているのが、
「如意輪宝珠の儀」
というものです。
この技術は、
自分のアイデンティティや
自我に関わるものであり、
「わたしとは誰か?」
という根源的な問いに
向き合う日々の儀式。
脳機能学者の
苫米地博士はこう語っています。
自我とは、宇宙の中から
『自分』を定義する部分関数である。
宇宙に『自我』という関数を入力すると、
『私』が出力される。
言い換えますと、
自我という働きが
広大な情報の中から
「私」という存在を
生み出しているということ。
けれど、私たちは
意外にも自分自身のことを
分かっていないことが多いんです。
「自分の望みは○○だ」
と思っていても、
実はそれは時代の流行や
他人の価値観に影響されて、
自分が望んでいると
【思い込んでいる】だけ
のこともありますよね。
「如意輪宝珠の儀」は、
そんな思い込みを超えて、
心の底にある
本当の渇望にアクセスし、
それを自分の想像を超えて
現実化する技術なんです。
たとえその願いが
100個のハードルを
超えなければ届かない
奇跡のようなものであっても、
不思議とそれらを
軽やかに飛び越えていく。
そして、いつの間にか
奇跡のような現実が、
当たり前のように起こりはじめる。
さらには、日常の精神状態も、
何が起きても、
それは私にとって
最高の結果になる。
そんな安心感が、
当たり前になっていくのです。
自分の気が付かなかった、
自我の望みが現象化するのが、
如意輪宝珠の儀の真骨頂なんです。
この「如意輪宝珠の儀」は
パワフルですが、
マニアックなので、
もっと一般的で
手軽に実践できる本をご紹介します。
理想の現実に
移行する方法であり、
願望を叶えるための
ヒントが詰まった良書。
それがこちらの
『タフティ・ザ・プリーステス』
(ヴァジム・ゼランド 著)です。
この本のテーマは
「人生の主役になる」こと。
方法論は「パラレル移行」です。
タフティによれば、
人生とは「夢」であり、
多くの人は夢の中で
誰かの台本の脇役として
生きています。
では、自分が主役になるには
どうしたらいいのか?
まずは目を覚ますこと。
本書によると
夢から
目覚めた意識で
現実を歩く
ことが重要。
それには、
今日、私は
目を覚ましながら、
夢の中を歩き回る。
と意識して、
今や過去の出来事、
未来の不安でもなく、
「いまここ」に
意識を置きます。
その上で、
意識の中心という
後頭部の後ろあたりに
フォーカスしながら、
こうつぶやいてみる。
「私を見て、現実を見る」
これは呪文のようなもので、
意識がいまに戻ってきます。
今に意識をとどめて
自分に問いかけてみる。
「私は、何をすべきなのか?」
この問いに対する答えは、
実はとてもシンプルと
書かれており、
何かをもらおうとするよりも、
「どうやって与えるか?」という
視点にシフトすること。
つまり
自分が貢献できることを
先に考えること。
なぜなら、
あなたが与えたものは、
めぐりめぐってあなたの元へ返ってくる。
これが、宇宙のやさしい仕組み。
という内容です。
タフティの
もう一つの魅力は、
「人生の台本を書き換える」
という切り口。
たとえば、
今の人生にない能力や可能性も、
別の台本には
すでに書かれているのだとしたら?
意識を変え、
新しい理想の自分に
乗り換えることで、
まったく別の現実へと
シフトしていけるのです。
本の中で、こんな一節があります。
視座を高く持ち、
自分の中の天才性を
呼び覚ますような
目標を掲げなさい。
台本が切り替わると、
あなたはある分野で
天才になります。
ここで言われている
奇跡とは実は特別なことではなく、
テクニックの結果。
意識を変えることで、
現実という「映画」も
変えられるということ。
自分の独自性が輝く
台本に切り替わったとき、
そこにある
理想の自分に
意識が入り、
今までなかった能力が
自然に発揮され、
アイディアを実現する手段が
どんどん見つかってくる。
そんな人生を、
わたしたちは選ぶことができる。
と、このように書かれています。
如意輪宝珠の儀と、
タフティの教えが
共通して伝えているのは、
意識が変われば、
現実が変わる
ということなんです。
「わたし」という
存在の設定を書き換えれば、
世界も書き換わる。
あなたの本当の渇望が、
あなたの想像を超えて
現実に現れるとしたら、
その最初の一歩は、
自分が主役の台本を
選び直すことから始まります。
そして、
本書には無いのですが
ここでお伝えしたいのが
「ゲシュタルトの崩壊」
タフティの世界観では、
自分の意識を覚醒させ
望む台本を生きるために、
まず
「これまでの自分のあり方」や
「現実の捉え方」そのものを一度、
壊す必要があります。
それが、
ゲシュタルトの崩壊です。
ゲシュタルトとは、
いくつもの情報や体験、
感覚がまとまって
「一つの全体」として
認識されている状態のこと。
私たちは無意識のうちに
自分という存在や現実を
「こういうものだ」
と決めつけて、
それをずっと繰り返し
再生しているのです。
たとえば、
・自分には○○できない
・お金は苦労して稼ぐもの
・愛されるには○○しないといけない
こうした無意識の前提が、
私たちの「現実の台本」に
なっています。
この台本を
切り替えるためには、
まずその
「ひとまとまりの世界観=ゲシュタルト」
を壊した方が早いです。
壊すとは、"気づく"こと。
あ、これは自分の
思い込みだったんだ。
ずっと信じてきたけれど、
実は真実ではなかったかもしれない。
と、認識がズレた瞬間に、
パキッと全体の像が崩れます。
それが、
「ゲシュタルトが崩壊した瞬間」です。
一度、それまでの
自分の前提が壊れると、
心の奥深くに眠っていた
渇望が現れ始めます。
この渇望は、
魂の奥から湧いてくるような
「本当の願い」
頭では考えつかない、
でも確かにそこにある
感覚なんです。
この「渇望」が
目を覚ましたとき、
まるで無数の偶然が
味方したかのように、
現実がするすると動き出します。
如意輪宝珠の儀や
タフティの技術と重なる部分ですが、
ゲシュタルトが崩壊したとき、
現れるのは想像をこえた現実です。
それは、努力や常識を超えた領域。
目覚めた意識と共鳴して、
宇宙があなたを主役に据えた
新しい映画を再生し始めるのです。
つまり、
既存のゲシュタルトを崩壊させたら、
渇望が自分の想像を超えて現実化する。
この言葉が、わたしの実感そのものです。
それって、たとえば…
龍を初めて見た人の
衝撃にも似ているかもしれません。
今でこそ、
ドラゴンボールや日本昔話などで
「龍」はよく知られていますが、
映像も情報も少ない時代に、
突然あの存在を見てしまった人って、
かなりびっくりしたんじゃないでしょうか?
思考停止して、
まさに
ゲシュタルト崩壊
したんじゃないかとすら思うんです。
だって、巨大で、
ニョロニョロしてるから
「蛇かな?」と思ったら、
鹿のようなツノがあって、
顔はラクダっぽくて、
口はワニみたい。
…日本で
ラクダやワニなんて
よく知られていない
時代だったでしょうしね。
つまり龍という形状や
存在そのものが、
「常識外れ」
常識や思い込みの枠を
バッキバキ
に壊すために現れる、
シンボル的な存在かもしれないな、
なんて思います。
龍にご縁のある人の
前に現れるのは、
その人の凝り固まった
現実認識、つまり
ゲシュタルトを、
崩壊させるためなのかもしれません。
龍のように、
私たちの「本当の願い」も、
常識の外にあるかもしれない。
でも、
それを感じたとき
私たちの世界は、
根本から変わっていくのです。
ゲシュタルトが
崩壊したその先に、
想像をこえた現実が、
はじまります。
そして、自分の人生を
本気で変えたいと思うなら、
一度はその
「現実の見え方」
「自分の思い込みの枠」を壊して、
しっかり消化して
血肉にするプロセスが必要です。
それはまるで、
女性を描いた騙し絵が、
「あっ、違う女性に見える!」
と気づく瞬間に似ています。
人生がつらければつらいほど、
もう一方のイメージが見えたとき、
その世界は
とてつもなく
楽しいものかもしれません。
複数の世界が
包括されていることに
気が付けたときに、
その世界観が
とても豊かだと
思えるかもしれません。
少なくとも、
これまでとはまったく
違う人生を感じられる。
まさに目から
龍のウロコがポロポロ落ちるように・・・
そして話は戻りますが、
「自分の人生なんてこんなもの」
というゲシュタルトが
崩壊したとき、
すでにあなたの未来は
変わり始めています。
あとは、
手段なんて
いくらでもあるんです。
タフティの技術でもいいし、
如意輪宝珠の儀でも、
あなた自身の気づきからでも。
大切なのは、まず
「人生はこんなものだ」という
脚本=ゲシュタルトを崩すこと。
そしてそこに
人生は台本でできていて、
台本を変えれば現実はいくらでも変わる
という新しい意識を
インストールすること。
さあ、これからのあなた。
どうしたら最高に
あなたらしいあなたでいられる?
それを感じ、選び、台本にして、
最高の未来にパラレル移動してみませんか