体と心と耳と音 | 夜、走ってく、隅っこへ

夜、走ってく、隅っこへ

ループマシン・アコースティックギター・声を使う
アコースティックソロユニット「アナン」
[日本語の濃淡、ループ音楽の可能性、十人十色の夜を語り辿る。]

そういうやつの、日記だ。

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まずは、

ご迷惑をかけた数々の関係者のみなさん、
本当に申し訳ありませんでした。

短い休養でしたが、なんとか水準まで体を戻すことができました。


病状等、細かくいうことはここでしません。
知り合いの方々には直接本当にことを聞かれるというと思うのですが、
ここで嘘を言ってもしょうがないので、別段ここではとやかく記しません。

が、一応はアナンとして戻ってきました。


5/27、残念ながら大阪に出向くことができませんでした
6/3、また大阪の地で演奏させていただけるよう、まだまだ気を張って行こうと思います。


ご迷惑をかけしました。
すいませんでした。
心配してくれた人たち。
ありがとう。本当にありがとう。





僕がいなくても世界が回る実感と
それでも僕の音を欲してくれる人間がいるという実感。
その二つが同時に垣間見ることができた数日であり、
このまま音楽やめちゃえたかもしれない数日でした。

それでも、どうにかしてステージに戻ろうとしている僕が滑稽で
自信も以前よりすり減ったボロボロの心が痛々しくて。

毎晩同じ景色の中に座ってました。




周りで、音楽活動を休止する人が急に増えました。
かなり悲しいです。

致し方ないことだと思っても、
その人の音がまたシーンから消えるのが恐くて。


事情が事情。
他人が口を挟むことではないのは、重々承知のはずなのに、
「ばーかばーか、やめんなよばーか。」
とか意地張ってしまいそうです。


「あなたはなんで音楽を生業としたかったのですか?」
って一人一人聞いても
独自性に訴えた天才気取ったアングラな定型文ばかり並べるんだろうし、
もしくは音楽の必需性が自らに欠いたことを話す人もいるんだろうな。

はっきり言って僕のことではない。
のにさ、悔しいよね。なんだかさ。


僕はそれでも音を練ってはどこかでみんなに食べてもらおうとしているだろうね。
それが、たぶんまた滑稽なんだろう。



大学の同期のほとんどにはもう会いたくないし、
先輩後輩に至っても会いたい人は少ない。

みんな僕が音楽をすることを馬鹿にしてるし、
まだ音楽を続けたいことを言うと拍車をかけて馬鹿にするの知ってる。

音楽やってる人でも、
結局は経験則から編み出した正解と不正解の狭間の曖昧さの押し付けで
それを僕は受け入れることも捨てることもできず
うぬーってなるんだろうな。

では

僕は誰に吐けばいいのでしょうか。



ちやほやされることを自己満足して僕は音楽を作り続けられないし
作ってにやにやする自己満足もできない。

アナンってライブ終わっても不満そうだよねっていろんな人に言われるから
たぶんそうなんだろうね。

それがアナン周りの人や大学周りの人に滑稽に思われていることを知ってる。


では

僕は誰に吐けばいいのでしょうか。





寝れない布団の中では四次元ポケットのような広さが生まれて
そこで僕は吐き出したい思いをため込んでる。

布団の中にいっぱい重たいものが入ってるんだ。
それに会いたくもないのに布団に入らないと一日が終わらない。

つらいジレンマじれんま。




この数日

音の大切さと
音を練るということ
音で生きるっていうこと

いっぱい考えましたが、案の定答えは出ませんでした。



積み込み教育的にあとからあとから知ることばっかで
もう駄目になりそう。



身体の次は心にのしかかる重圧

ジュウアツー






それでも、

お騒がせしましたが、

僕はまだ「アナン」を続けて
また新しい「アナン」を作ります。

みんな、
どうか、まだ、僕についてきてください。
ついてきてくれる限り、ずっと、ずっと、音を作りたいので。

僕についてきてください。お願いします。







吐きたい背中。

ウギャー