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『達彦さん、わたしの代わりに、達彦さんがむこうにいって戦ってきてくれたんだね。一番きつい、一番厳しい場所で。』
『ほいだから、そこでどんな事が起きたとしても、それはわたしにも起きた事かもしれないんだよ。わたしはそう思う。』
『わたしは…わたしは達彦さんの味方だで。これからも、ずっとね』
(有森桜子 第138回)
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第8週『初めての連弾』以来の言葉で、桜子さん、達彦さんに向かいます。
ところで、”わたしの代わりに戦ってきてくれた”、というのに、戦後脳のわたしは、ちょっとドキッとしました。若山さんのお宅を後にした場面だから、なおさら。
ううん。でもこれ、考えてみると。
一つには、周回遅れの達彦さんに全速で逆走して寄り添っている桜子さんだからこそ言える言葉だと思うのですよ。
松井兵長の戦いはまだ終わってはいない。
戦争神経症患者の症状は、人それぞれらしいです。でも、ここでは『自分達が何をしたかも忘れて、何をされたかも忘れて、』(純情きらり第23週137話)で、松井兵長が吐き出した感情に対する、本当に寄り添っているからこその、答えじゃないだろうか。あの回の雑記で、わたしが引用した、会田雄次氏の著書からの一節が、一つご参考にはなりませんか?
あと、二つ目なんですが、これは桜子さんが知らない事かもしれません。『私なに聞いても驚かんから。』(純情きらり第23週第138話)からのつづきなのですが、史実の歩兵第十八連隊の足取りです。もし設定上、若山二等兵の戦死が昭和20年6月だとしたら、松井兵長はサイパンで全滅したあとの昭和19年からゲリラ化して、昭和20年11月まで遊撃戦を展開していた、という事になります。
で、米軍は、豊橋の連隊が展開していたまさにその、サイパンとグアム(当時日本の委任統治領)。そこに、占領とともに、B-29が展開する第20航空軍の飛行場を建設。ちなみに、それまではB-29は大陸から展開していたので、航続距離上、本土空襲は九州付近などで限定的でした。
そう、松井兵長は、文字通り、桜子さんの代わりに戦っていた、という事になります。史実が史実だけに、実際、豊橋の連隊がそういう事だったので、偶然の産物かもしれませんが、ううむ。。。
そして三つ目ですが、桜子さんは、やはり基から、本当にそう思っていたんじゃないかな。だって、幸か不幸かもし8月15日に日本が無条件降伏をしなかったら、1945年11月にはダウンフォール作戦が、あわわ。。
(ごめんググって)
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ところで、わたしは、この回を初見の時、ふと、ある事が気になった。そこで、改めて、その点を見返した事がありまして。うん、桜子さんは確かに、
『19年の補充隊』
確かに、こう言っていました。どういう事かというと、”昭和19年の”、とは言っていませんよね。
昭和の時代までは、昭和が当たり前で、西暦とかは歴史の授業程度でしか使われていなかったので、19年の、終戦は20年の、今年は何年の、と、普通に元号なしに言っていました。状況が変わった、というか人々が戸惑ったのは、平成になってからですかね。
ついでにもう一点。
第22週までの戦中編にくらべて第23週は、何か明らかに雰囲気が違う様な。冒頭のいきなり白地の玉音放送から始まるあの演出もそうなのですが(あー怖いよー)、何かなと思って、よくよく見たら。例えば、あの、有森家の窓ガラスの防空用の目張り、あれのはがされた跡がついている。いや、それはそうなんですが。
なにか、それが時とともに、だんだん薄くなっているような気が。いや光のあたり加減で、とかで気のせいかな、とは思ってこの次の24週分の終わり(例の終わりの終わり)とを見比べると、ほぼ、すっかりと。
ネタバレチックでごめんなさいですが、私のような初見の方も、どこかにそんなのがあるんじゃないかと、探して、ご堪能いただければと思いまして。
だから、22週最後の、あのピアノの直前の、窓越しの夜明け前に立つ冬吾さんが…あわわわわわわ。
なにか、こういう細かい事があちこちに仕込まれている、その、それをさせた演出自体が、観るたびに気づきがある、または、無意識のうちに引き立たせているのかと、改めて思います。
ドラマ中盤から後半くらいでしたか、あの、いつも見せられた立てかけ看板”ゼイタクは敵だ、の”ゼイタクは”と”敵だ”の間に無性に”素”を入れたくてたまらない、もはや有名な古典ギャグが気になって仕方がなかった不肖私でした。
それでは!