誰かに向かって叫ぶ言葉/むしろ僕に向かってささやく言葉 -5ページ目

続・まわりに目を向けてみるか

昨日、ちょこちょこブログを見て回った。

色んなランキング伝いで。


いやいや、やっぱりブログってのは他人向けに書くのが一般なんですね(当然だ)。

そうだよなぁ、だからランキングとかあるんだもんなぁ。


それに皆、「面白いこと書こう、面白いこと書こう」って必死に頑張ってる。

なんだか、僕の脱力感が情けないくらい。


・・・まぁ、これは自分に囁くだけだから。

もっとしっかり文章書けるようになったら、売り込んでいこう、よし。




ところで、かなり前にこのブログにコメントをくれていたらしかった(気付いたのは何週間もあとだった)

syosinnsyanikkiさんのブログに昨日訪問してみた。

(気付くのが遅すぎて、更にコメントとして何を書き返せばいいのか分からなかったので、

なんかかなり無視状態になってしまいまして、

syosinnsyanikkiさんごめんなさい、そしてありがとうございます)

・・・訪問してきたと言っても、何の足跡も残していないので大した意味はない。


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そういえば、一人称が「僕」であるブログ書きさんの男女の比率ってどうなんだろう?

僕のように、女性だけど「【僕】が好きだから」って女性も中にはいるんだろうか?


半年くらい前、タリウムを飲ませて母親を重体にした少女(母親は今、どうなってるんだろう)も、

僕と同じようにブログをやっていて、そこでは男性を名乗り、一人称は「僕」だった。

(これはかなり有名な話ですね、ワイドショーでも連日やってましたしね)

僕と違うところは、彼(彼女)は女性であるとカミングアウトしていないところでしょうか。


ちょこちょこブログを見てくと、一人称が「僕」である人は結構いるのだけど、

僕には彼らが男なのか女なのかの推測が出来ない。



だって、「僕」って素敵ですよ。

この世の中にある一人称の中で、一番美しいと思う、僕は。


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僕の友達のえりちゃんは、【高校に入ってバイトでそれなりに稼げたら】パソコンを買うそうです。

それで、ブログを作ってharu☆jp(PGギターの晴一さんのブログ)にトラバするんだとか。


・・・それにしても凄い、haru☆jpの最新記事のトラバ、998だ。

限界ってないのかな、これって。 1000以上でも余裕?

まわりに目を向けてみるか

世界は、多分とても広い。


それと平行して、ネットの世界も多分広い。




・・・てことで、とりあえず受験も(とっくに)終わったし、

もうすぐ春休みだし、そろそろ身体を起こしてみようかと思います。



ま、つまり、他のブログを閲覧してくるってことです。

お気に入りブログ、見つかるといいなぁ。




とりあえず、早速今日から色々見てまわろうと思います。

読者機能の使い方も学んでみようかなぁ。

嫌い=人

プロフィールのとこを、誰も分からないくらいちょびっとだけ変えた。

「好き」に“村上春樹”と“etc...”が加えられ、

「嫌い」から“受験”が消えて、“人”が付け足された。


時の過ぎ去りは、僕の好き嫌いを長期戦で変えていく。

地球の自転と、違ってゆっくりだけど、同じように確実に。




僕の嫌いなものに、“人”が足されたことについて、それが今回の本題だ。

これは、紛れもない事実だ。

僕・羊という人間は、人が嫌いなのだ。 人間じゃなくて、人だ。

(僕は人間とは身体そのもののことで、人というのはその中身〔つまり心など〕だと勝手に解釈している)


でも、これは半端な嘘でもある。

真実、だけど嘘。


、、、



何故こんな苛立つような回答になってしまうかと言うと、

僕が未だに、心のどこかで人に何かを求めているからだと思う。

悔しいけど、これが現状で、

認めないことには僕はこれ以上進展できないし、

認めないことは更に僕を下げることになる。

これ以上、堕ちたくはないのだ。


僕は、未だに人に何かを求めている。

嫌いなものに、何かを求めている。


やっていられない。 やっていられない。 やれやれ。





本当の本当に、人を嫌えた人間を、僕は尊敬する。

永遠の憧れ、宗教的信仰、崇拝。

僕のように、半端にしか人を嫌えない人間を葬る。



僕みたいな人は沢山いるんだろうか。

僕みたいな人は沢山いるんだろう。

だから、世界はこんなに歪む。 歪む。 いびつ、歪。



そんな人たちは・・・僕も含めて・・・今この瞬間も、

無様な人生を晒しながら歩く。


それが、半端な選択をした僕らの背負ったリスクだ。





人に何かを求めてはいけない。

感情を抱いてはならない。

これを心の刻める日は、一体いつ訪れるのだろう。

近いうちにある、くだらないけど嫌なこと

くだらないけど嫌なことって、少なからず誰にでもあると思う。

特に、僕らくらいの年代の人ってそういうのが多い。

どうでもいいことで、うんざりしてしまう。

「やれやれ、損な世代だなぁ」って常に思う。

まぁ、それは誰しもあることだから仕方がない、諦めて本題に移る。



まず、明日の嫌なことは、

「証書授与練習で一人ずつ名前を呼ばれ、『はい』と大きな声で言わなくてはいけない」と、

「入退場練習でクラスの一番最初になってしまった」

「卒業アルバムが配布される」


・・・書き出して想像するだけで、ぐったりしてしまう。



一番嫌なのが呼名だ。

一人ずつ、「●▽さん!」と呼ばれたら「はい!!」と返事をしなくてはならない。

声が小さかったら、呼び直し、さらに3年生全員の前で怒られる。

なんで証書授与を一人ずつ、しかも体育館でやらなくてはいけないのだ?

そんなの、教室で手分けしてパッパと分けちゃえばいいと思う。

どっちみち、式の数週間後にある引越しでゴミ箱行きだ。


さらに、入退場。

僕は実名の関係上、クラスの退場列の先頭に当たってしまった。

入退場、どちらかというと、退場の方が目立つんじゃないだろうか?

しかも、1,2年生とかって案外、感極まって泣いてる卒業生はいないかと模索してたりするのだ。

(去年も一昨年も皆、小声で「わっ、あの人むっちゃ泣いとる!」とか囁いてた)

そうでなくても視線が苦手な僕には、堪らない。 やれやれ。


そして、卒業アルバム配布。

これって何で、卒業式の前に配布しちゃうんだろう。

二度と会わない奴らがほとんどだろうから、別に変な顔で写ってても構わない・・・とか思ってたのに、

明日配布されたら、明日・明後日・明々後日とまだまだ、彼らと顔をあわせなくてはならないのだ。

・・・というか、元々卒業アルバム自体が不必要だと思う。

「希望者だけ、卒業してから学校へ取りに来てください」とかにしてくれればいいのに。

・・・てか、卒業アルバムってタダじゃないよなぁ?




・・・・・・明日だけでも、こんなに嫌なことがある。


これはまだまだ高専入ってからも続くのだが、

絶対書ききれないと思うのでとりあえず明日のことだけで終わる。



僕は声が通らない体質だし、無理に大きい声を出したら変に裏返ってしまう。

・・・名前なんか呼ばなくても分かるでしょ、1年間も嫌々ながら付き合わせてきたんだから。

特定人物からの愛情の不足と自己防衛の平行線上には

タイトルがややこしすぎる、と自分でも思う。

えと、つまりこれは、「(僕が選んだ)特定人物からの愛情の不足」と

「自己防衛」の平行線上には何があるのか、ということを考えるものです。


まず、「(僕が選んだ)特定人物からの愛情の不足」について。

つまりこれは、一方通行ってやつですね、一般的にいうと多分片思いに近い。

片思いなのだから、その相手からなんて何も望めないのだけれど、

それでも望んでしまう。 ・・・結果、もちろんすぐに不足ランプが点灯する。


僕は目を閉じて、その点灯を見ないようにして、OFFスイッチを押す。 カチ。

僕は目を閉じて、その点灯を見ないようにして、OFFスイッチを押す。 カチ。


僕がOFFスイッチを押すのは、他でもない「自己防衛」だ。

危険区域の看板が目に入った瞬間、反射的に僕の身体は進行を止める。

そして「やれやれ」と呟き、くるりと振り返り引き返す。

これが、自己防衛ボタンの役目だ。


これより先へ進めません。 引き返さないと中心部に何らかのダメージを与える恐れがあります。

それでも先に進みますか?  ・・・いいえ。

これより先へ進めません。 引き返さないと中心部に何らかのダメージを与える恐れがあります。

それでも先に進みますか?  ・・・いいえ。




この平行上に何が生まれるのか。

これは実に難解で単純だ(こういう「難解」であり「単純」である物事は、案外溢れ返っていると思う)。

単純に終了させたいならば、答えは「何も生まれない」だ。

【何も生まれない】。

不足していても、自分からは何も求めない。

その愛情の産地は、危険区域のど真ん中だ。

僕の「自己防衛」が、瞬時に対応してくれる。 ・・・ありがとう。

これが、感情を無視した、しかしこの世で一番シュールに生きていける業・・・だ。

(もちろん、これは僕が出来る最大限なのであって、世界にはもっと他の道があるだろう)

難解に考えると、未だに終了は出来ない結果となる。

どっちみち、答えはないんじゃないかと思うくらいうんざりする。



でも、人は考えることを止めてしまったらおしまいだ。

・・・と、偉い人が言っていたような気がする。




いいじゃない、何も考えなければ。

それで終わってくれるなら、そんなに容易いことはない。