“何でも屋” 心臓バクバクの23球 | のざっちの独り言

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200994

巨人4―4ヤクルト




東京ドーム一塁側のベンチ裏へ巨人・鶴岡一成がすっ飛んでいった。


「タクさん!」


鶴岡が大声で呼ぶと20年目のベテラン木村拓也内野手が振り返った。


延長11回、ヤクルトの6番手鎌田祐哉の投げたボールが巨人・加藤健の頭部に当たった。 打席に倒れこんだ加藤はそのまま担架で運ばれ病院へ。巨人ベンチは凍りついた。


この時点で先発出場していた鶴岡はベンチに下がっており、正捕手の阿部慎之助はこの日一塁手として出場していたが、この時点で鶴岡同様交代していた。


捕手がいない


延長戦の規定は12回まで。巨人は11回に

サヨナラ勝ちを収めなければ、勝ち負け以前に試合そのものが続けられなくなる危機に陥った。試合を放棄するわけにはいかない。原辰徳監督はすぐに手を打った。


「タクに行ってもらう」


90年、日本ハムにドラフト外で入団した時には捕手だった木村に指揮官は白羽の矢を立てた。


もう10年マスクをかぶっていなかった。最後に捕手として公式戦に出場したのは広島時代の99年7月6日横浜12回戦(広島)。この時も緊急出動だった。


元は捕手といっても、常にプロの投手が投げるボールを捕球していなければそう簡単に捕れるものではない。しかし、全く捕手経験のないプレーヤーよりは任せられる。


『こういう時のためにオレはいるんだ。オレしかやれるヤツがいないんだからやるしかない』


自他とも認めるユーティリティープレーヤーは覚悟を決めた。鶴岡のミットを借り、用松淳ブルペン捕手のレガースとマスクを付けて定位置に座った。まずは豊田清とバッテリーを組んだ。初球はいきなりフォーク。木村拓也が出したサインだった。


「実はベンチから西山さんからサインが出ることになっていたんですが、見る余裕なくて自分で出しちゃいました」と。


二塁を守っている時から「自分のチームのピッチャーがどんな球をどういう時に投げているか頭に入っていた。その知識を総動員した」


豊田には5球のうち3球決め球のフォークを投げさせて田中浩康を中飛に仕留め、続く青木宣親と対した左の藤田宗一には裏をかいてシュートから入り、2球目にカーブを要求。最後はスライダーで三振を奪った。


1安打1四球を許したが、この回3人目の野間口貴彦がユウイチを151キロのストレートで空振り三振に切って取り、急造捕手は無事大役を果たし終えた。


「心臓がバグバグ。とにかく無事に終わって良かった」


汗びっしょりの木村拓也に阿部は「脱帽です。完ぺき」とひと言。



ベンチ入り25人中24人を使った巨人は試合を引き分けに持ち込み、優勝へのマジックを1つ減らし19とした。


チェンジになった瞬間、真っ先に出迎えた原監督はガッチリ握手。肩を何度も叩き、感激の面持ちで労をねぎらった。


「本当に困った時の拓也頼み。冗談も言えない。よく救ってくれた」と言った。


監督はそれから7カ月後、大粒の涙を流しながら、あの日のことを思い出すとは夢にも思わなかった。。。