67年ぶりに沢村が巨人へ帰ってくる。プロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)が28日、都内のホテルで行われ、中大の157キロ右腕、沢村拓一投手(22)を巨人が単独1位指名。子供の頃からの夢がかない、会見で歓喜の涙を見せた沢村だったが「これからが本当の勝負」ときっぱり。

 伝説の剛腕が巨人を去って67年。愛媛・八幡浜市に住む故・沢村栄治投手の優夫人(91)にとっては、感慨深い一日となった。

 1936年(昭和11年)12月、姉の結婚式で上京した際、洲崎球場で職業野球(プロ野球)を観戦。日本一を争う巨人・タイガースの優勝決定第3戦だった。「沢村投手のことは、その試合で初めて知りました。場内放送で『巨人・沢村』と告げられると、大勢のファンがどっと沸き立ったことは忘れられません」。3連投の沢村は5回からマウンドに上がり無失点。巨人を初代王者に導いた。

 74年前の冬の出来事を「その剛速球、力強さに、私はすっかり魅せられてしまいました」と振り返る。「今でもマウンドにすくっと立って足を高く上げる沢村のりりしい姿が、はっきり思い浮かびます。中央大学の沢村さん、(巨人の沢村として)これからも多くのファンを魅了する大投手になってください。応援させていただきます」と期待を込めてエールを送った。


 ◆沢村 栄治(さわむら・えいじ)
1917年(大正6年)2月1日、三重県生まれ。京都商(現京都学園)在学中の34年、日米野球で全日本入り。「3段ドロップ」と呼ばれる縦のカーブでルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルースらメジャー選抜を相手に0―1の快投。巨人入りし、36年秋には史上初のノーヒットノーラン達成。MVP、最多勝2回などを獲得。通算105試合63勝22敗。防御率1・74。44年12月に台湾沖で戦死。享年27歳。背番号14は47年にプロ野球初の永久欠番となった。59年に野球殿堂入り。右投左打。

(スポーツ報知)