僕の実家は、ニュージーランド、クライストチャーチにある。
数年前から、父はチャーチで母と年金生活を送っていた。
僕はそこしかないと思った。
沈没するタイタニックのような韓国の経済危機から逃れ、
妻を連れてチャーチに向かった。
危機一発、まさに栄光の脱出であった。
チャーチの空港に着いた僕のポケットの中には、3000円残っていた。
しかし、妻の手にはエルメスバッグがぶら下がっている。
偽物とは今も知らない...
ここで、僕は今までのことを一度振り返ってみる必要を感じる。
ちょっと別の話になるけど、韓国での昔話だ。
僕が生まれた町には、小さなハゲ山があって、その奥に牧場がひとつあった。
5、6才頃、父と 絞り立ての牛乳をよく飲みに行った覚えがある。
多分、その時から僕たちは騙されたと思う。
実は、その牛乳、今思い出して見ると、
粉ミルクにお湯を入れただけの偽物だった。
それを本当の牛乳だと思って美味しく飲んだ訳だ。
当時の僕は分からなかったから言えなかったけど、
何故、父は黙って飲み続けたんだろう...
それが今も不思議でたまらない。
中学の時は、父の夢でもあったマイホームを購入、引っ越した。
不動産業者の話によると、この付近は政府による開発計画が進行中で
1年以内に土地の値段は10倍に跳ね上がると、騙され
狭くて古い家を高価で買った。
1年後、土地の値段は5分の1になった。
その開発計画はゴミ焼却場だった。
父は今もその不動産業者を追っている。
大学の時には、学生運動に参加した。学生代表は
「現政権と戦い、新しい未来へ向かおう!」
と、僕達を励ましてくれた。
必死に火炎瓶を投げ、
警察や警察の車に火をつけ、
仲間3人と火がついた武装警官一人を
死ぬ程殴った。
生きてるかな... いや、どうだろう...
そんな中、
学生代表が政権から裏金をもらって逃げてしまい、
結局僕の学生運動はあやふや終わってしまった。
その後、仲間のひとりが学生代表の高級乗用車を見つけ
火をつけて燃やした。
僕が卒業する三日前のことだった。
卒業後、日本留学を決め、
留学センターの紹介で成田に到着したが、
お出迎えに来るはずの人が見えず、
一緒に飛行機を乗った留学生たちと、
あっちこっち調べた結果、
その留学センターはもうそソウルになかった。
今も覚えている。
3月、まだ寒い東京、
昼は明治神宮の広い庭で、
大きいスーツケースの上で昼寝をし、
夜は新宿の夜の街をぶらぶらしながら
親からの送金を一週間待った。
おかげで、その後の留学生活も、
ずっと歌舞伎町だった。
韓国に帰国した後、
知り合いの人とオープンカフェをオープンした。
昼はコンピューター学校で勉強し、
夜は店で一生懸命働いたので、
商売は順調に伸び、雑誌にも出るようになった。
ある日、お金を借りている銀行から電話がかかったきた。
振り込みが3日過ぎていると言われ、銀行に行ってみたところ、
店が担保になって2000万円ローンがあることを確認した。
知り合いの人は既に休みを取ってピリフィンに逃げた後だった。
別件だったが、彼は2年前出獄し、
今はペットショップを真面目にやっている。
僕の家族はこの頃から移民を考え始めた。
実はこの後も移民詐欺で色々あったが、
これ以上書きたくない。
もう、うんざりだ。
1994年の春、
父と母は、夢にまで出てきた二ュージーランド、
クライストチャーチ国際空港に到着した。
そして、僕が両親と合流するまで、
暖かい思い出をたくさん作っていた。
僕の家族は、クライストチャーチに5年しか住んでないが
「ふるさとはどこ?」と聞かれると
「南半球の南十字星が見える国」と、答える。
生まれてもないのに
ふるさとと呼ぶのは悲しい事だか、
心がそう言っている。
空は高い、水はきれい、
人は親切、
そしてもっとも嬉しかったのは家族に笑顔が戻ってきた事だ。
僕の顔にも、
こんな処を「ふるさと」と呼んでもいいじゃないか...
今ソウルはどうなってるんだろう...
別に興味ないけど。