バレンタインに、老害は去る
前回の投稿から、約1か月。春季キャンプを前に、あんな気持ちだったので、少なくともブログには触れない方がいいと思い、完全放置していた。しかし、最後の記事のタイトル「熟年離婚の可能性」で終わるのは違う気がして、いったん区切ることにした。そして、現在この記事を更新中。春季キャンプが始まり、チラッとGIANTS TVで様子を見た。松井秀喜が臨時コーチでやってきた第3クールだけだ。野球選手のユニフォーム姿はいい。松井に縋るように、積極的に指導を受けに行く選手たち。それに、丁寧に対応する松井も流石だった。一番、印象に残ったのは‥大城卓三。昨年、出番が減ったからな。今年の巻き返しに期待する。そして、その機会は与えてほしい。阿部の顔も見た。スタートからしかめっ面な監督もいないだろうが、やけに穏やかな顔をしていた。特に、松井との会話中は、いい笑顔だった。だからと言って、「阿部の野球」を受け入れることにはつながらない。結果的に、昨年6月‥長嶋監督が亡くなって、松井秀喜の監督就任の可能性が浮上してから、それまでギリギリ押さえ込んできた慎之助への不満が吹き出し、爆発したままだ。だが、私が許しがたいのは親会社の読売新聞のジャイアンツへの扱い、運営そのものだ。次の更新がいつになるか分からない。だから、自分が何をやってきたかを書いておく。私は、埼玉西武ライオンズの黄金時代に恐怖を覚えていた。それまで積み重ねてきたジャイアンツの伝統や記録を、すべて塗り替えられるのではないか。不滅であったはずのV9も破られかねない。それを阻止してもらいたくて、近鉄バファローズを中心にパリーグ5球団を全力で応援した。何で、こんなに強いのか。どうして、強い時代を継続できるのか。そこを調べた。そして、浮上したのが根本陸夫。今では書籍やYouTubeでも紹介されているが、当時から追っていた人間にとっては後付けの話ではない。今では不可能な方法で手腕をふるい、ドラフトやトレードで選手を集め、戦力を整えた。廣岡達郎を監督にしてチームを整え、オーナーが次期監督に田淵幸一を推すのを制止し、半永久的に優勝争いが出来るチームを作るために、森祇昌を後任監督に据えた。森は監督在籍9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本シリーズ制覇。廣岡時代を含めれば、13年間でリーグ優勝11回、日本シリーズ制覇8回。そして、その根本陸夫が、今度はホークスに関わる。ライオンズから石毛、秋山、工藤らがホークスへ移籍。一番の大仕事は、王貞治の監督招聘だった。『東京ドームには長嶋茂雄という長男がいる。君は福岡ドームの長男にならんか。補強はいくらでもする。』この口説き文句はあまりにも有名だ。一度作ったものを壊し、もう一つ作る。ライオンズで起こったことが、ホークスで再現された。ライオンズの黄金時代は偶然ではない。そして、ホークスは王イズムの継承者が、半永久的に優勝争いができるチームの組織を作り上げはじめた。根本陸夫がライオンズの監督に就任したのが1978年。私が、ジャイアンツは40年以上遅れていると断言する根拠はここにある。もう、補強に頼るなとか、若手を育成しろとか。そんなもので追いつくレベルではない。読売ジャイアンツの親会社が読売新聞だというなら、その本社がジャイアンツを変えなければ。根本から変えなければ、すべてはその場しのぎの応急処置、延命処置にしかならない。1973年からジャイアンツファンをやってきて、自分なりの答えが出た。今のジャイアンツが好きな人がいる以上、もう書かない。これはもう‥という結論だ。ただ、選手に対する想いは強く残っている。そこは変わらない。それでも、ペナントが始まれば、頭の中でまた『阿部の野球』と呟く自分はいるだろう。それを文章にするつもりはない。自分のブログだから好きに書けばいい。それも道理だが、こういうのを老害というのだ。現在のジャイアンツを愛するファンの方々には、心から謝罪したい。私は、あなた方にとって、間違いなく老害だった。そして、そんな老害に賛同してくれた方、そのどちらでもないが交流を重ねてくれた方々には感謝しかない。とりあえず、ジャイアンツブログとしては一幕下ろす決断をした。ブログは残します。もしかしたら、ジャイアンツファンとして再開するかもしれない。また最近は、「竹内まりや三昧」の日々。いきなり竹内まりやを語り始める可能性もある。その時は、このスペースを再活用しますので。