どうも、オスピークです。

実は私、プロ野球の巨人ファンなんですけど、昨日の試合は悔しかったな〜。負けた=悔しいっていうことでもあるんですけど、勝ち切れたような試合を落としてしまった、そんな感じがあるからかな。

ファンになって15年目のシーズン、沢山の負けを見てきたため、勝敗に一喜一憂することはあまりなくなってきてはいるけど‥まあそんな話は置いといて!笑


今回は〝努力〟という部分に関して個人的な意見を述べていきます。あくまでも一個人の考えなため、「そういう考えもあるのか〜」程度で受け止めてください。

もし受け止められそうになったから、私が先日更新した「人!人!人!」を見てください笑


〝努力は必ず報われる〟こんな言葉があります。誰しもが一度は聞いたり見たことがある素敵な言葉で、何かを頑張る励みになったり、前向きになれる言葉だと思います。

ただこの言葉、「本当に?」「報われないことの方が多いよ」なんて感じたことある人いません?

実際にそう感じたこと、僕もあります。


私は中学時代陸上部でした。中学生になったタイミングで何か部活動に入らないといけなくなったため、小学生時代から走ることには自信があった陸上部を選びました。

最初は長距離からスタート。しかし、色々あって短距離に部門を変更せざるをえませんでした。(もっと詳しく書け!そう思われるかもしれませんが、長くなるから割愛。笑

でもこの選択が良かった!〝400m〟という種目で県内1位になり、地区大会に出場。地区7位までいきました。全国大会も狙っていましたが、標準記録まで0.3秒ほど足りず‥(記録の記憶は曖昧


こんな感じで順風満帆な陸上スタートだったわけですが、高校生になり一気に成績が急降下。まず、記録が伸びない!そして周りは着々とタイムを伸ばしていく中、私だけ取り残されてる。勝てていた選手にも余裕で負ける。ここ大事ですよ、僅差で負けていません。余裕で負けるんです。笑

「こんなに頑張ってるのに」「きつい練習も真正面から向き合ってるのに」そんなことばっかり考えていました。人間不思議なもので、悪いことが続くとどうしてもマイナス思考になってしまいますね。


こういう時に冒頭で話した〝努力〟の部分に繋がっていくんですよね。

私の中で一つ例を考えました。

私は陸上競技のマラソンが好きなので、マラソンに詳しくない方でもできるだけわかりやすいように説明します。

1人のランナーがいたとします。この方はすごく頑張れる人でした、きつい練習でも手を抜かない、常に100%を出しきる。周りにもいると思いますこんな人。笑(かっこいいですよね😎


そんなランナーは不調に陥ります。「最近疲れやすいな〜」「走り続けると息切れが早いな〜」など。そのうち練習すらまともにできなくなる。

これを「自分が弱いからだ」「もっと練習しなくては」と考えて更に走る量を増やしたとしましょう。

しかし、ランナーにとって起こりやすいのが〝貧血〟というものです。この貧血状態だった場合、体内は低酸素状態なため、本来持っている力を出そうと思っても中々出すことはできません。

頑張っているのに、これだけ努力してるのに良くならない。当たり前です、このランナーはまず貧血を起こしている。根本的原因を治さない限り、このランナーの努力が〝結果〟として現れることは限りなく低いでしょう。


まずこのランナーが考えることとして「疲れやすいことに原因はないか?」と広い視点を持つこと。疲労の蓄積かもしれないし、病院に行くことも1つかもしれない。

仮に貧血症状とわかった場合は思い切って休む選択肢を取ること、これも立派な努力です。

そして少しでも良くなる方向へと進む、これも努力だと私は思います。

こうして根本的原因を突き止め、改善したことでランナーはまた走れるようになった。


ざっくりとした一例ですが、このことからもわかるように〝根本原因〟を知ることができたおかげで、また走れることに繋がる。

つまりこのランナーが行った様々な〝努力〟は形として、実感できるものとして報われたということになります。


私の高校生時代に戻りましょう。もしもあのとき、私が体の不調に気づけていたら‥。

私は小学生時代に血液の病気を患いました。そこから〝疲れ〟が他人よりも残りやすいことは知っていました。だからこそ他人と同じ練習をしたとしても、身体への負荷量としては大きかったみたいです。

それに気付いて、もっと向き合えていたら、疲労回復をすることへの努力ができたのではないかと。そうすることで、常に質の高い練習を積み上げ、もっと記録を伸ばせたのではないかと‥今ではそう思います。


〝努力は必ず報われる〟前にも述べたように素敵な言葉だと思います。否定する気もありません。

ただ私が生きていくうえでの考えは

正しい努力は成功確率をあげるもの」だと考えています。

ただ単に頑張る、それももちろん必要です。

しかし、頑張る=努力と結びつけると危険かなと思います。そこにどのような意図があって、どのような道に進むのか。何のためにやっているのか。

そこを理解したうえでの努力であれば〝報われやすくなるのでは〟と思います。

頑張る理由は人それぞれ、でも頑張るからこそ報われる瞬間が来てほしい。そう願っているからこそ、「正しいと思える努力」を続けていきたいですね。


少し長くなってしまいました。今回もまとまりのない文を見てくださってありがとう。

この考え、未来の私にはどう見えてるかな?

もしかしたら「努力なんてバカバカしい」なんて思ってたりして‥?笑笑