私の中で、今年一年間を表す漢字は『耐』です。
よくここまで耐えてきたなと、自分の中でそう思ってしまいます。
塾業界に復帰し、今年3月に教室長としてスタートしました。
担当生徒を受け持つのも、実に3シーズン振りです。
かつてアルバイトで担当生徒数が教室No.1の実績があり、ある程度の自信を持って新たなスタートを切りました。
しかし、待っていたのは苦難だらけでした。
最初の苦難は、問題のある非常勤講師です。
教室長となった初日が初顔合わせでしたが、いきなり
『小学生と中学生を同時に見るのは嫌だ。』
と言い出しました。
その時点でビシッと言っておけば良かったのですが、そこで強く言えなかったことで彼をつけあがらせてしまった気がします。
その後も、明らかにレベルに見合わない問題を強行して解かせようとしたり、生徒に平気で『お前全然できてない。』と平気で
言っていました。
挙句の果てには、給料UPの要求、授業中に個人のケータイで電話に出てしまうなど問題を露呈しました。
彼は勤務態度の悪さを自覚しておらず、かなり頭を悩ませました。
結局、課長と相談の末、新しい講師を迎えてお引き取り頂くという結果でした。
生徒からの評判も芳しくなかっただけに、その決断を下して正解だった気がします。
その後は順調に教室運営できるかなと思っていました。
はじめはなかなか口をきいてくれなかった子も、すっかり懐いてくれるなりました。
しかし、生徒たちも私に慣れていくにつれ、次第に授業態度が悪い方向に進んでいました。
私自身が気弱な一面があるだけに、彼らにそれを見抜かれた気がしました。
特に、受験生のはずの中学3年生の悪い態度がエスカレートしました。
元々成績は芳しくなく、いける高校が限られているメンバーばかりです。
宿題を全くやらなくなり、授業中に問題を解くことすら面倒臭がってやろうとしなくなりました。
授業中にケータイやゲームに手を出すばかりか、全く無関係な子に平気で馴れ馴れしく声をかけて授業進行に支障を来すことが
度々ありました。
当初は怒鳴りつける程度で収まっていたものが、それだけでは止まらないくらいになりました。
そして、夏期講習が終わりに近付いた頃、事件が起きました。
ある中3が授業がないにもかかわらず、友達を待つためにゲームして居残っていました。
またも、無関係な子にちょっかいを出し、まともな授業にならない状況です。
『邪魔するなら帰れ。』と怒るも、『いいじゃねぇか。』と全く悪びれる様子はありませんでした。
その時、私の中でずっと耐え続けてきた緊張の糸がついに切れました。
自分でも信じられないことに、彼の手からPSPを取り上げ、そして…
床に叩きつけてしまいました。
画面にヒビが入ったばかりか、中身のソフトやメモリーまでもがご臨終状態でした。
怒り出した彼は、私に詰め寄り、
『弁償しろ』
『もうこんな塾辞めてやる』
『死んじゃえ』
と吐き捨て、友達を連れ出し教室を飛び出しました。
その後、彼が帰宅する前にご家庭に電話し、事情を話しました。
ご両親は本人が悪いことを理解した様子で、私の取った行動を責めることはありませんでした。
とはいえ、いくら注意することを目的としたとはいえ、物を破壊した行為は許されるものではないことを感じています。
結局、彼に態度の反省を改めることを約束させ、誓約書にサインさせることを条件に、弁償に応じました。
私はなんて恐ろしい人間だ。
そう思わずにはいられませんでした。
この世で最も怖いのは、私の父親だとずっと思っていましたが、この事件でその考えが変わりました。
何よりも怖いのは、我を失った自分自身だと。
PSP事件が収束したのも束の間、またさらに困ったことが起きました。
別の中3のお母様から、私がよく暴力を奮っているのかというクレームが来ました。
実際、その彼もまた態度に難のある子で、先程の彼とほぼ同様です。
1回だけ頭を叩いたことは、紛れもない事実です。
それをお母様に大げさに話したらしく、普段から殴る蹴る先生だという話にエスカレートしていました。
他の生徒から聞いた話では、そのお母様は本人が学校で悪さを起こして呼び出されたにもかかわらず、学校側に問題があるぞと
いう感じで言ったみたいです。
そのクレームが来た時は、ひたすら謝り続けるしか選択がありませんでした。
それ以降も、中3の連中が騒ぎを起こし、まともな授業にならないことがしばしばありました。
(ちなみに、他の学年は奴らと同じ時間帯にならないように調整しました。)
ひどい時は、上の階の住人が怒鳴り込みに来たことさえありました。
本人は全く反省の意思を示さず、結局私がひたすら頭を下げて収束させました。
人のために頭を下げる行為は、屈辱以外何物でもありませんでした。
前にアルバイトで教えていた頃の中3は、比較的物静かなタイプが多く、漠然ながらも高校進学に向けて頑張ってくれていました。
彼らの中には、今も私を励ましてくれる子もいます。
今の教室を受け持った時、そんな彼らが受験生の基準であり、私の中でそれが当たり前だと決めつけていたのかもしれません。
それが、失敗の始まりなのかなと思います。
結局、過去の栄光から脱却できていないことでしょう。
今年を振り返って、私はある人物とダブっていると感じました。
その人物は、当時は長年弱小球団だった福岡ダイエーホークスを引き受けた王貞治監督です。
現役時代を全く見たことのない私でさえ、王選手の実績の凄さを知っています。
ジャイアンツ時代は、選手として指導者としても非常に充実していたと思います。
周りの選手やスタッフに恵まれていた印象です。
しばらく現場を離れ、ホークスの監督としてグラウンドに戻ってきたとき、ほとんどのファンがジャイアンツ時代の栄光があるから大丈夫という目で見ていたと思います。
期待に胸を膨らませ、いざチームに入った王監督は、まさかの体たらくぶりに愕然としたと思います。
当時は主力選手が試合前に将棋を指すなど、勝利への執念が全く感じられない状況でした。
競争相手がいないだけに、怪我でもしない限りレギュラー安泰の時代が続いただけに、負けて当たり前の雰囲気が染みついていました。
当時はコーチの意見にあまり耳を貸さず、とにかく自分の力で現状を打破したいという気持ちが強かったと思います。
しかし、なかなか結果に結びつかず、チームと共にもがき続けました。
いつしか、王監督解任を望む横断幕が掲げられるようになりました。
そして、とうとう…
『生卵事件』が起こりました。
ホームラン数世界一で、国民栄誉賞まで受けた人物にそんな行為を及ぶのは、今でも到底信じられません。
その時、王監督自身の中では人生最大の屈辱を感じたに違いありません。
ほとんどの人がそんな仕打ちを受ければ、一日も早く逃げ出すことでしょう。
それでも、王監督はそれが現状のファンの声と捉え、決して逃げることはありませんでした。
Wikipedia等の資料で知った情報ではありますが、その記事をじっくり読んで、王監督が偉大だと言われ続ける理由を確認できました。
その後は、王監督自身が選手やスタッフに接する姿勢を改めました。
秋山幸二をはじめ、小久保裕紀らの台頭で着実にチームの土台が固まってきました。
長年屈辱に耐え続け、99年にはついに日本一に輝きました。
こんな私を王監督と比べること自体、大変失礼かもしれません。
ただ、普段ホークスを応援する身ですので、大変参考になるエピソードが多く感じました。
年が明けてからも、まだまだ苦難があるかもしれませんが、私からは決して折れることなく続けていきます。
いつしか、王監督のように長年耐え続けて再び栄冠を手にする日が来るように、日々精進していきたいです。
最後の最後で、長文になってしまいましたが、今年1年間こんな拙いブログを読んで頂き、誠にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。