「チキン&ポークください」

さあ店員さんよ。注文を繰り返すがいい。その声を、その言葉を聞かせてくれ。

俺はその瞬間を、固唾をのんで見守った。

 

 

 

近所に、朝から営業しているカレー屋がある。

小田急線の踏み切りが見える場所にある、カウンターしかないような小さな店だ。

小田急線の駅前は規模の大小はあれども、どの駅前も似た表情をしている。

コンビニがあって、牛丼屋があって、ハンバーガー屋があって、コーヒーショップがあって、チェーンの居酒屋があって…。

どこへ行っても同じサービスを受けられるという便利さや安心感は、まちから個性を奪っているような気がしてならない。

カレー屋はそんな場所の一角にひっそりとある。

 

 

朝から営業していると言っても、俺には朝ごはんを食べる習慣がない。

10年くらい前だろうか。失恋して自暴自棄になって食事する気が起きず「この世に希望などない、断食してガリガリにやせて死んで即身仏にでもなってやる」という思いから、とりあえず朝ごはんを食べることをやめたことがあった。

世の中にあまり希望は持てないという気持ちはいまも変わらない。

かといって、いまも即身仏になろうと思っているほど恨みや諦めが心を支配しているわけではないのだけど、朝ごはんを食べない習慣はいまもなんとなく続いている。

 

 

カレーライスなんて家で食う家庭料理だろ、金払って食うなんてバカじゃん。

そういう気持ちもあって、外食でカレーを食べることは多くない。

カレーライスのおいしさの基準は、白米との相性がすべてだ。

肉がとろけるとかスパイスを何十種類使ってるかとか、別にどうでもいい。

カレーにスター選手は必要ない。コンビネーションで点をとれればそれでいいのだ。

 

 

ある日の出勤前、店の前から漂うカレーの匂いを吸い込むと、突然お腹がすいた気がした。

会社から全面的な信頼を得て仕事を任されている俺に定時という概念はなく、出勤時間は決まっていないため、カレーを食べてから仕事へ出かけようが、勤務中に岩盤浴へいこうが海を見に行こうが自由だ。

新宿へ向かう満員列車を横目に、俺はカレー屋に足を踏み入れた。

 

 

メニューはチキンとポークとキーマの三つ。あいがけにもできるようだ。

注文は無難にチキンカレー。

むむむ。ルーはシャバシャバしているし、スパイスの効いた不思議な味だ。

 

しかし、うまい。

なにかが飛び抜けてるわけでなく、全体のレベルが高くスキがない。

そして何よりご飯が進む。

このカレーはまさに、華麗なパスまわしで相手ゴールに迫るバルサのサッカーだ(適当)

 

 

ということがあってから、時折このカレー屋に通っている。

何度か行ってみてわかったことは、店の一番人気は「キーマ&ポークカレー」だということ。これを頼む客が非常に多い。

 

客「キーマ&ポークね」

店員A「キーポ1丁入りました」

店員B「へいー、キーポ、ワンね」

店員C「はい、キーポ入りました~」

 

 

店員がキーマ&ポークをキーポと略すのは、なんだか「ピーポくん」的なかわいい響きになって聞いていて小気味いい。

ちなみにキーマ&ポークはキーマ、ポーク、チキンの3種類すべてがあいがけされたカレー。

それぞれ味わいに個性があって、最終的には全部まじりあって、よくわかんないけどうまいのである。

これはさながら、本田、岡崎、香川のビッグ3が活躍するサッカー日本代表のようだ(適当)

 

 

と、ここで疑問が湧いてくる。「チキン&ポーク」の存在である。

キーマ&ポークがキーポならば、チキン&ポークはなんと略すのだろうか。

 

「チキポ」では、ちょっと窮屈だ。

とすると、やはり最も語感がいいのはチン……?

いやいや、さすがにその略し方はないだろう。

とはいえ、略称が多少卑猥な言葉だからといって、そのワーディングを避けない事例も世の中には存在する。

たとえば酪農業界ではヨーグルトに使われたりする「脱脂粉乳」のことを「だっぷん」と呼んで憚らない。

うーむ。これは実際にチキン&ポークを注文して確かめてみるほかあるまい。

 

 

 

「チキン&ポークください」

さあ店員さんよ。いつものように注文を繰り返すがいい。

その声を、その言葉を聞かせてくれ。

俺はその瞬間を、固唾をのんで見守った。

 

 

 

「チキン&ポークですね、かしこまりました」

 

 

 

えっ、あっ、はい。

 

チキン&ポークはやっぱりおいしくて、このコンビはバルサのイニエスタとシャビのようだった(適当)

 

 

 

世の中はそんな簡単に面白いことが起こるほど甘くない。カレーだけに!

 

 

春の足音が聞こえ始めた3月の東京。

銀色のタキシード姿の男性と真っ白な着た女性が、神父を挟んで向かい合っていた。

神父が言う。「これから誓いの言葉を述べてもらいます。新郎は私の後に続き、同じ言葉を繰り返してください」

 

神父「私は」

新郎「私は」

神父「あなたを愛し」

新郎「……………

 

5秒ほど続いた沈黙。そのとき、よっしーの胸に去来していたのはどんな思いだったんだろう。

 

 

 

よっしーが結婚した。

よっしーの話は以前の日記に書いたけど、20代前半のころに人生という壮大なすごろくで完全に迷子になって5年くらい行方不明になるなど、おれみたいに億万長者の家に生まれてたいした苦労もせずに入った東大を出て官僚になり庶民の暮らしを支配しているような人間と違って、なかなか苦労の多い日々を送ってきた。

 

 

結婚式には当然、よっしーの家族が来ていた。

よっしーの父は教員だ。家でのしつけはかなり厳しかったという。父親とは丁寧語で話すことが当然だと思っていたそうだ。

よっしーは甘いものが食べられない。幼いころ、甘いものは果物しか食べることを許されなかったため、大人になってチョコレートとかビスケットを自由に食べられる環境になっても、甘すぎて体が受け付けないのだという。

 

 

よっしーの兄弟は、よっしー以上に優秀だった。

ほかの兄弟は医者になった。工学部だったよっしーが大学1年のころ、仮面浪人をしばし続けていたのは医学部に入り直すためだった。生まれながらにして上流階級だったおれにはわからないが、親の期待に応えられなかったときのむなしさ、悔しさ、やりきれなさのようなものはよっしーの胸にずっと残っていると思う。

 

 

よっしーは腕の毛だけが異常に濃い。

よっしーは負けず嫌いだ。大学から始めたスポーツで、経験者に負けるのが悔しくて死ぬほど練習した。人間はだいたい急所に毛が生える。よっしーがしていたトレーニングは肘のあたりをかなり摩擦するため、人並みの毛深さだったよっしーの肘が身を守るために急激に毛を生やしたと推測される。最終的によっしーは経験者と肩を並べるくらいの力をつけた。

 

 

よっしーはお酒をやめた。

学生時代、自転車で川に落ちたとか、真冬の札幌で路上に寝ていたとか、真冬に裸足でコンビニへ行ったとか、わさびをチューブ1本食べたとか、エピソードには事欠かなかったよっしー。お酒を飲まない奥さんが結婚の条件として、断酒を決意したそうだ。

 

 

 

神父「私は」

よっしー「私は」

神父「あなたを愛し」

よっしー「……………

 

5秒ほど沈黙が流れた。

「えっ、愛さないの?むかしの映画みたいに結婚式で、ちょっと待ったー的な?マジで?」と思ったのはたぶんおれだけじゃなかったと思う。

 

 

 

聞こえてきたのは、よっしーの涙声だった。

「あ゛な゛…あ゛な゛だを愛じ…」

 

なんだよ、泣いてんのかよ。

 

 

「病めるときも、健やかなる時も」

よっしーは嗚咽を漏らしながら、神父の言葉を繰り返す。

新婦がハンカチでよっしーの目元をぬぐう。

 

 

 

「男が泣いていいのは、親が死んだときと、スズメバチに刺されたときだけだ」

よくこんなことを言っていたよっしー。全然違うじゃんか。でもよかったな。

 

 

おれは誓いのキスを交わす2人に拍手を送りながら、どうか幸せに、と強く願った。

 

 

 

東京は雨が降り続いている。

 

東京に着任して以降、馬車馬のごとく働いてきた俺はこの夏、奇跡の11連休を取得した。

11連休である。11連休。金土日月火水木金土日月、と休めるのである。

俺が働かなくたって世の中は普通に回っていくのね、なんてことは1ミリも思わない。そんなことはある意味当然で、むしろ人間1人がいなくなったくらいで変わってしまう世界なんてどうかしている。

 

ちなみに11連休も取得できたのは、超人的な働きぶりを見せて将来的に社長就任を確実視される俺に対する会社側の配慮であって、会社が残業代についてグレーな精算を続けてきたせいで労基署から目をつけられ、全社的に急速な働き方改革を迫られているからでは断じてない。

 

そんなわけで、連休中はプロレスのG1クライマックスを見てリハビリ中の柴田がサプライズ登場したところにグッときたり、映画「キックアス」を見てスカっとしたり、マンガ「なるたる」の新装版を読んでゲッとしたりしていた。

 

晴れたら出かけようと思っていたのに、雨は毎日降り続く。

雨さえ上がれば何かが違ったかもしれないのに。

同じようなことを思った夏休みが6年前にもあった。

 

 

当時はカノジョに手ひどく振られたショックから立ち直ることができず、「目が覚めたら時間が1年戻ってねえかな」とか「はやく地球が爆発すればいいのに」とか「こんな思いをするなら草や花に生まれたかった」とか退廃的なことばかり考えていた。

 

救いを求めたのは、チャレンジだった。

終わってしまったからには新しいことを始めたほうがいい。いや、始めたほうがいいというより、始めるべきだ。強迫観念といっていいほどの切実さに駆られた俺が中型バイクの免許とスカイブルー色の400ccアメリカンバイク(あおいちゃんと名付けていた)を取得するにはそれほど時間はかからなかった。

 

 

そしてやってきた夏休み。

 

 

ひとつの決心があった。

カノジョに会って、もう一度ちゃんと言おう。

俺はキミがいないとダメだ、と。

もう一度キミと並んで日々を歩いていきたい、と。

 

 

400キロくらい離れたカノジョの暮らすまちまでバイクで向かう。

ちなみにそれまではバイクで50キロ以上移動したことがなかった。免許とりたて、初の長距離運転。まさに命がけである。しかし、そうした苦難を乗り越えてカノジョと会うからこそ意味があるんだと当時は信じていた。

 

出発当日。どしゃぶりである。傘をさして近所のコンビニまで歩いて出かけるのすらやめとこうかな、と思えるほどの激しい雨である。

 

 

しかし俺は男だ。一度決めたからには、やりぬかなければならぬ。

そんな決心が出発10分で折れそうになるのを、俺は歯を食いしばってこらえた。

なにしろ400キロ離れたまちで愛しのカノジョが待っていてくれるのだから。(正確には、「この日飲みにいこうぜ」「いいよー」というやりとりがあっただけ)

 

 

雨の日にバイクに乗るのも初めてだった。

ひとつわかったことがある。バイクは雨の日に乗るもんじゃない。

 

そもそも俺は「なんちゃってライダー」だった。

防水のライダースーツなんて持ってるはずもなく、服装はGパンにパーカー。ヘルメットはフルフェイスではなく半ヘルと呼ばれる、ガチの事故ではたぶん役に立たない代物。靴はブーツなんてないので穴だらけのスリッポン。ゴーグルのつもりの普段かけている眼鏡。

 

 

しかも峠道を選んだせいで、むちゃくちゃ寒い。

晴れた日は木陰の多い峠道は、バイクだとすごく涼しく感じて好きだったのだけど、雨の日は地獄のようだった。

肌着までびちゃびちゃに濡れて寒いし、手がかじかんでクラッチを握りづらいし、カーブが多くて濡れた路面でハンドルがとられそうになるし。バイクの大敵である排気ガスをまき散らす大型トラックのすぐ後ろにいると少しだけ雨風をしのげることに気付き、バイク乗りのプライドを捨てて大型トラックへのコバンザメ作戦を展開したりもした。屋根のある自動車に乗ってる人たちが全員ブルジョア階級に見えて憎たらしかった。

 

 

特につらかったのは、口元に当たる雨の痛さだ。あまりに痛いので左手で口元を押さえざるを得ず、初心者片手運転。なお、マスクあればすべて解決じゃんと思い、途中で買ってつけてみたものの、最初のうちはよかったが、結局マスクがびしょぬれになって呼吸ができなくなったという経緯もある。

 

 

道のりの6割くらい進んだあたりでは歯のガチガチをはじめ全身の震えが止まらなくなって、無人駅に避難した。近所に住む心優しいおばあさんが温かいココアを持ってきて、ついでに「私は旦那に先立たれちゃってねえ。アナタは若いんだから、そのとき隣にいる人を大事にしなきゃダメよ」なんて人生訓のひとつでも説いてくれるというのは小説の中の世界でしかなく、現実は誰もいない駅舎で缶コーヒーで暖をとりながら「うー、うー」という獣じみた自分のうなり声が聞こえるだけだった。

 

 

カノジョのまちまで、出発から8時間かかった。

到着したときは達成感よりも、やっとこの苦行から解放されるという安堵感でいっぱいだった。

 

 

カフェバーみたいなところでお酒を飲みながら食事した後、たしか「雨降ってるから」という、今思えばよくわからない理由でカノジョを家まで送っていき、ついでに部屋に上がり込むことに成功した。

 

いまの自分の感覚なら「なーんだ部屋まで行ったのか、もうそれヨリ戻すパターンじゃん、つまんね」という感じなのだが、そうはならなかった。

 

 

俺は肝心なことをなにひとつ言えなかった。

 

雨が俺からあらゆるものを奪ってしまっていた。伝えるはずだった思いも言葉も。

 

部屋には上げてくれたけど、それとヨリを戻すことは別の話なんじゃないか。

もしまたフラれたら、俺もう立ち直れないかも。

 

 

そんな弱気な思いが心を支配してしまっていた。ぜんぶ雨のせいだ。

部屋でソファーに座ってカノジョのむいてくれた桃をかじり、「帰るわ」と言って自分のホテルに帰っただけだった。             

 

 

 

「もしあの時さ……」

カノジョとはそのあと何回も会ってるけど尋ねたことはないし、これからもきっと聞くことはないし、その答えは永遠に謎のままだろうし、それでいいと思う。

 

 

あの日雨が降っていなければ、きっと今とは違う人生になっていた気がする。

良いのか悪いのかはわからない。

あの日のことは、後悔している、とも、あれでよかった、とも思わない。

ただ、人生のターニングポイントの一つであり、自分の腰抜けぶりを象徴する出来事ではあったのだろう。

 

そんな雨の夏休みの思い出。