おはよう&こんにちわ&こんばんわ!!
ここ広島ってか尾道は、一切雨も降らず晴天続きで、気温も上昇しっぱなしです(;一_一)
太陽が眩しくて、サングラスをしての外出も多くなり、一見怪しい人って思われてた涼しい春先とは違い、グラサンをしてる人も多くて、お巡りさんに目を付けられる事もなくなった様です(´▽`*)アハハ
仕事の合間に、電話をして色々な話をしていると、過去の忘れかけてた事を思い出したりします。
俺が幼少の頃、学校中で一番家が遠い事に、興味をもってくれて、その話をしていた時、ある事を思い出して、話をしてると『それを記事にしたらどう?』って言ってくれた事を話します!
今住んでる所に引っ越して来たのがまだ幼稚園の年少さんの頃で、幼稚園の行き帰りは、公共のバスを利用して姉貴と手を繋ぎながら通っていました!
バス停までの距離にしても結構あって、1キロ近くを毎日、定期入れを首からさげて休む事なく歩いてバス停まで行っていました!
幼稚園が終わると、両親が共働きをしていた事もあり、また姉貴の授業が終わるのも遅く、遠い親戚のおばあさんの住んでいる長屋が学校の近くにあり、そこで姉貴を待って、迎えに来てくれてバスに乗り帰っていました!
そのおばあさんの事を俺は『みやさかのおばあちゃん』って呼んでいて、とても俺を可愛がってくれててね!おばあちゃん1人で住んでた事もあり、本当の孫の様に可愛がってもくれるし怒ってもくれてて、大好きなおばあちゃんでした!
よく覚えているのが、俺もわがままで、『お刺身が食べたい!』って言うと、お魚屋さんで小さな鯛を買って来てくれてさばいて食べさせてくれた事を何故かよく覚えています!
そんなおばあちゃんが、一人で遊んでる俺に、誕生日に、「ブリキのバス」をプレゼントしてくれました!親にも買って貰った事がなくて、嬉しくて毎日その玩具で遊び、終わると大切に箱に入れ、誰にも触らせない様に、いつも玄関の下駄箱の下に納めて家路についていました。
そしてその習慣は、小学校3年生ぐらいまで続き、大きくなると友達と遊ぶ事も多くなり、学校が終わるとそのまま家路につく様になって来てたんだけど、それでも、時々、帰りに寄ると満面の笑みで迎えてくれて、お小遣いをくれたり、お菓子を食べさせてくれたり、それが小学校を卒業する時まで続きました!
勿論、卒業式にも親と一緒に来てくれて、お祝いをしてくれました!
中学になると、家までの距離が短くなったのだけど、おばあちゃんの家とは逆方向に帰る事になり、いつしか数カ月に1回程度の寄り道で遊びに行く事になりました……
学年が上がって行くと、その回数も減り、ある時親から、おばあさんが入院したって事を聞いて、御見舞いに行った時、真っ白になった髪を見て、会いに行かなかった事を後悔をして……週末に時間があると病院へ行き、小さい頃の覚えていない話を沢山してくれてて……
そして、中学3年生の時、みやさかのお婆ちゃんは、天国へと旅立っていったのです……
姉貴と2人抱き合って泣いた事を今でも忘れません……
そして月日が過ぎ、俺も成人となり、みやさかのお婆ちゃんの事を思い出す事も少なくなった頃、あのお婆ちゃんが住んでた長屋を取り壊す事を聞き、親父と2人で現場に見に行きました!
俺としては、幼少の頃の思い出が一杯詰まった場所だったし、何より、みやさかのお婆ちゃんが住んでた長屋を目に焼き付けておきたかったららです……
しかし、着いた時にはもう、跡形もなく、現場の方が瓦礫を片付けていました……
ふと、その時思い出したのが『ブリキのバス』の事です!
居ても経っても居られず、現場で後片付けをしてる人に、『この場所を解体する時に、何かありませんでしたか?例えば箱の様なものが……』って聞くと『あ~ここの家の玄関の下駄箱の下に玩具が入った箱があったよ』って……
一瞬で、その『ブリキのバス』の入った箱だと解りました…
話を聞いてみると、遊び終わったらいつも置いてた場所と全く同じ所に置いてあったそうです……しかし、もう遅かった!廃材と共に運ばれていた後でした……
お婆ちゃんは、ずっと待っていれくれたんだと……
きっとみやさかのお婆ちゃんは、俺を忘れる事もなく大切に同じ場所に置いてくれてたんだと感じました……
両親に聞いたところ、みやさかのお婆ちゃんは、ずっと独り者だったそうで、身内の方の話では、俺の事を本当の孫の様に思っていてくれた事……
俺にとっては、育ての親だった……後悔と感謝の気持は、今でも変わりません……
大切な大切な温かい思い出なのです!
なげ~の読んでくれてありがとうございます
