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CIAに関する資料を見つけたのでメモ↓


米国国立公文書館機密解除資料 CIA 日本人ファイル 解説(PDFファイル)

http://netizen.html.xdomain.jp/CIAJAP.pdf
本資料集は、米国クリントン政権末期、2000年日本帝国政府情報公開法にもとづき機密解除された戦時・占領期の日本関係資料約10万ページの中から、特に注目度の高い、米国中央情報局(CIA)が収集した日本人31人の個人ファイルを収録したものである。
このなかに、PODAM のコードネームを持つ読売新聞社主・正力松太郎が日本のテレビ放送開始や原子力発電の出発に暗躍した役割が見出され、元朝日新聞論説主幹・情報局総裁・緒方竹虎を吉田茂の後継首相にする POCAPON 工作があったことなどは、すでに報道され、研究が始まっている。本資料集の解読で、「日本の黒い霧」といわれた戦後日本における米国のインテリジェンス活動の実際が、明らかになるであろう。


実は、今回の日本帝国戦犯記録の機密解除で、アメリカ側からスポットを当てられているのも、旧日本軍部と戦後アメリカ占領軍との秘密の関係である。ナチスの科学者ブラウン博士にあたるのが、日本陸軍731部隊で細菌戦人体実験を行った石井四郎、ゲーレン機関に相当するのが、戦犯訴追を免れ GHQ・G 2 ウィロビー将軍の反共工作に用いられた有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎、辻政信ら日本の旧参謀本部の情報将校、ゲーレン機関で有能なエージェントになるクラウス・バルビーに相当するのが児玉誉志夫、笹川良一ら反共右翼、という役回りである。


幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案(共同通信2006年 8 月20日)
旧日本軍幹部が太平洋戦争後の1950年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが20日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。
戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった


3 )中央情報局 CIA 個人ファイル(RG263)
今回の機密解除で世界から最も注目されているもので、第一次と第二次の二回に分けてリリースされた。ナチス・ドイツ関係と日本帝国関係は区別されておらず、索引はアルファベット順、ボックスは独日一括で作られている。だから、アドルフ・ヒトラー Hitler の直前に、昭和天皇裕仁 Hirohito や東久邇稔彦 Higashikuni の個人ファイルが入っている。ただし、昭和天皇裕仁や岸信介のファイルを見ると、「戦争犯罪記録」といいながら、戦争責任や東京裁判に関する資料はほとんどなく、未だに重要部分は非公開のままであると推定できる(20)。


① 「昭和天皇・裕仁ファイル」は、全部で100ページ強の、戦後すぐの時期の昭和天皇についての記録である。その一部は、すでに時事通信ワシントン支局長 (当時) 名越健郎 (現拓殖大学教授) が情報公開法により請求し、1999年10月31日時事配電で紹介している。戦後天皇制の行方については、1945年10月27日付ジョージ・アチソン政治顧問の国務省に宛てたマッカーサー・天皇会見覚書が入っている (秦郁彦によって紹介済み(22))。45年10月に東久邇稔彦が述べたという昭和天皇退位の間接情報もある。1946―47年の地方行幸についての報告とその反応は、貴重な同時代資料である。日本国憲法が制定され、国会で承認されて、施行されることが決まった時点での、京都で永末英一の世論研究所が行った象徴天皇制についての世論調査記録(『サーヴェイ』誌1947年 1 月) は、全文が英訳されている。「現状維持」52.2%、「天皇にもっと権力を」32%、「弱める」3.5%、「廃止」 4 %に注目しているが、特に米国側コメントはない(川島高峰によって紹介済み(23))。GHQ 主導の象徴天皇制創設が日本国民から受容されていることを、確認したものであろう。

② 有末精三、辻政信、大川周明、下村定、今村均、小野寺信、児玉誉士夫、笹川了一らについては、CIA の個人ファイルとは別に、米国陸軍諜報機関による監視記録がある。両者をクロスすることによって、占領下の旧軍人・右翼の活動は、いっそう明確になる。CIA には入っていなかった中国大陸「阿片王」里見甫らについても、IRR 個人ファイルから新たな情報が得られる。特に敗戦直後に米国陸軍が行った尋問記録は貴重である。


③ 旧軍人と密接につながって CIA 個人ファイルに出てくるのは、児玉誉士夫、笹川良一ら右翼の流れで、CIA の分析は、実務的であるが批判的である。一部新聞が報じたように、1953年 9 月10日の児玉ファイルには、彼の情報は信頼できず「金に汚いウソつき、ギャング」だという CIA の内部報告がある(28)。ただし、児玉の記録はその後も続き、1960年前後には重要情報提供者として再び登場する。この再浮上の経緯の解明には、他のファイルとのクロス、他機関特に IRR ファイルとの照合が不可欠である。
筆者のさしあたりの仮説では、いったんウィロビー支配下の旧軍人・右翼を切り離し、緒方竹虎・正力松太郎らの政治情報に頼ろうとした CIA が、緒方の死と日本版 CIA 計画 (内閣調査室の拡充・改組)の挫折で計画変更を余儀なくされ、賀屋興宣・岸信介らにシフトすることによって、再び児玉誉士夫ら右翼と旧軍特務機関出身の職業的諜報プロに依拠せざるをえなくなったのではないかと思われる。


⑤ 「裕仁ファイル」から、昭和天皇も戦後 CIA の監視対象になりファイリングされていたことが確認できる。ただし、分量は20ページ足らずで、語学力や食事の嗜好、生物学研究など私生活の一般的記述に留まり、資料的意義は乏しい。わずかに資料の日付が1975年訪米時など日米「皇室外交」に関わる時期に集中していることから、アメリカ側の象徴天皇制への関心の有様がうかがわれる(31)。戦中・戦後占領期の資料はなく、「戦犯記録」としての価値はない。これは、上述「岸信介ファイル」とともに、二次の機密解除によってもなお、CIA の持つ「国家安全保障上の利害を損なうような情報」は非公開であることを示唆している。
このことは、「裕仁 Hirohito ファイル」と同時に公開され、ボックスも近い CIA の「ヒトラー Hitler ファイル」と併せ読むとよくわかる。ナチスの総統であったヒトラーについてのCIA ファイルは非常に充実しており、演説・宣伝手法から食事や性的嗜好まで、膨大な伝記的・心理学的分析が収録されて、アメリカが「なぜドイツ人はヒトラーに従ったか」に関心を持ち、それを人文・社会科学の最新知見で分析し、対独戦戦略と戦後ドイツ占領政策に活かしていったかが、よくわかる内容となっている。