歴史に残る、アメリカ政府による自作自演事件の数々 | Ghost Riponの屋形(やかた)
新型コロナウイルスに関する情報について

Ghost Riponの屋形(やかた)

 お気に入り動画の整理&保管庫

Ghost Riponの屋形(やかた)
Ghost Riponの屋形(やかた)
Ghost Riponの屋形(やかた)

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
 ・愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む。(英語版)
  Fools say they learn from experience; I prefer to learn from the experience of others.
オットー・フォン・ビスマルク(1815年 - 1898年)



歴史に残る、アメリカ政府による自作自演事件の数々
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=163236
*アラモ砦 : 1835年、「アラモを忘れるな」で世論を煽り対メキシコ宣戦布告に突入した
1835年、当時メキシコ領であったテキサスに移住したアメリカ人達が合衆国指導のもとにテキサスの独立運動を起こしメキシコ軍と戦闘状態になった。当然アメリカは独立義勇軍に対して資金支援してバックアップしたが、多勢に無勢でアメリカの義勇兵はアラモ砦に追い詰められる。
義勇軍は何度も何度も戦況を合衆国軍に伝え援軍を待ったが、合衆国は無視し、義勇軍の全滅を待った。
そしてメキシコ軍がアラモを去った後、惨殺された義勇兵の惨状を誇大に宣伝し「アラモを忘れるな」で世論を煽り対メキシコ宣戦布告に突入した。


*メーン号事件 : 1898年、アメリカとスペインの戦争・米西戦争のきっかけを作った。
当時スペイン領だったキューバに停泊中のアメリカの戦艦メーン号が何者かによって爆破沈没され、「メーン号を忘れるな」と新聞を通じて国民感情をあおり、スペインとの戦争を正当化して開戦した。
メーン号が沈没した理由が、故障による自損事故だったことが後に明らかにされたが、これは自作自演との説もあり、フルフォード氏もビデオでそう述べておられる(70年後に、自作自演だったと公表したとのこと)。


*ルシタニア号事件 : 1915年、第一次世界大戦にアメリカも参戦するきっかけとなった。
(第一次世界大戦中の1915年、アイルランド南岸沖を航行していたイギリス船籍客船ルシタニア号がドイツのUボートの放った魚雷によって沈没、アメリカ人128人を含む1,198人が犠牲となった)
ドイツの野蛮な攻撃に対してアメリカの世論は沸騰。これによって、それまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まり、アメリカも参戦するきっかけとなった。
積み荷の保険金請求裁判の目録には船倉に173トンの弾薬があることが記入されており、当時の国際法に照らし合わせるとルシタニア号は攻撃を受けても致しかたなかった。しかしウィルソン大統領は弾薬の積載を認めず、目録を「大統領以外は開封禁止」という命令書を添えて財務省の倉庫に保管させていた。
また、最近の海底調査で沈没したルシタニア号が発見され、その船内には違法の武器と火薬が積載されていたことが判明。やはりルシタニア号は当時の国際法に違反していたことが証明された。


*真珠湾攻撃 : 1941年、第二次世界大戦。老朽艦16隻だけ真珠湾に残し日本軍の攻撃を待った。
1941年ハワイ在の太平洋艦隊司令官はルーズベルト大統領から“US military forces to let Japan commit the first overt act" (日本軍に先制攻撃をさせろ)の命令を受け、2隻の空母と新鋭艦19隻を外海に移動させ、老朽艦16隻だけ真珠湾に残し、日本の戦闘機が撃ち易いように直線に配置し、日本軍の攻撃を待った。
ルーズベルトは日本軍の侵攻を察知した司令官を更迭し、さらにはレーダーを不能にするばかりか日本軍の潜水艦が入港出来るよう海門を開いた。日本の攻撃を成功に導いた後、2400名の米兵を殺した日本軍「騙まし撃ち」のニュースを全米に流し、当時戦争反対だったアメリカ世論を一変させた。


*トンキン事件 : 1964年、ベトナム戦争。
(1964年、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ軍駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件で、これをきっかけにアメリカは本格的なベトナム戦争に突入したが、後にこれがアメリカによる自作自演だったことが判明)
しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、7000ページに及ぶペンタゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書を入手、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。
2001年11月には、ジョンソン大統領とマクナマラ国防長官の電話会談の内容も公開され、「トンキン湾事件をベトナム攻撃の口実として使う」ことが、はっきりと示されている。そして、2005年には機密文書が一般公開となった。

>戦争をしたくなると、
フェーズ1)まず自国民を殺す。
フェーズ2)ショッキングな映像&犯人をでっちあげ、世論(感情)をメディアが煽る。
フェーズ3)世論がウキーとなり、戦争反対を言えない雰囲気つくり。(事件の冷静な検証させない)
フェーズ4)議会が承認。爆撃、戦闘開始。並行してハリウッドでは戦争ヒーローもの。

上記が世論形成のテクニック、そして罪のない人々が多数死ぬ。
「あなたは、前科5犯の言うことをそのまま信じますか。」と言うことである。



9.11も自作自演。
建物崩壊の落下速度=自由落下(重力加速度)だと、柱(抵抗)が存在しないことになる。=解体工事(解体手段は、核融合、爆破、サーマイト諸説あり)
鉄は航空機燃料(ほぼ灯油)の燃焼では溶けない。鉄の溶融プールもできるわけがない。焚火で、鉄が溶けないのと一緒。(工学をかじっていれば普通にわかる話)料理すればわかるか(笑)
・鉄の融点=1,538 ℃
・航空機燃料(JET A-1)=Maximum burning temperature 980 ℃
(空気による鉄の放熱も加味されるのでより高温が必要。最低でもガスバーナー)
斜めに溶断された鉄骨片の写真と溶融プールから、サーマイトはほぼ確実と見てます。
↓航空機燃料の搭載量と、熱量が1万倍くらい違うのではないか。(もっとかも)
(飛行機はCGらしいけど、飛行機が突っ込んだと言う前提で考えると)
Ghost Riponの屋形(やかた)
Ghost Riponの屋形(やかた)

Thermite and Sulfer- Debunking 9/11 Conspiracy Theories and Controlled Demolition

http://www.debunking911.com/thermite.htm
鉄は温度の高い順に、白色→黄色→赤色と変化する。
下の画像について記事では、2000℃くらいだろうとと記載されてます。(あってると思う)それと、救助のために鉄骨の溶断はしないでしょう。斜めに切ったら2次災害につながるし(笑)爆発の危険もあるだろうし、柱の中腹についた、溶断失敗したような跡について説明がつかない。アセチレンボンベや酸素ボンベなど、危険物は現場に持ち込まないのがセオリーでしょう。
斜め切りは、制御解体だと説明ができる。
柱を一定の間隔を置いて互い違いに斜めに切ると、だるま落としの要領で垂直落下するのではなかろうかと。それが倒壊時に確認できた小さな火花や爆発かと。
(画像を拡大してわかったが、アセチレンと酸素のボンベが持ち込まれている。救助と解体を同時に行っていたのは違和感があり、変に手際が良すぎる=偽装のようにも思う。解体するなら、重機で支えてから、垂直に鉄骨を切るのが安全だろうと。斜め切りだと溶断距離も増えて合理的ではないガスの無駄。鉄の溶鉱炉画像はランタンの明かりだろうと指摘されてますね。覗き込んでいるし、言われてみればその方が筋が通る。まあ、サーマイトでなくてもブラウンガスを使えば溶断は容易そうであるし、何かやっているのは確かかと)
Ghost Riponの屋形(やかた)
Ghost Riponの屋形(やかた)
Ghost Riponの屋形(やかた)


3.11は天災を偽装した津波攻撃。
地震波形を見れば、天然ものでないことは一目瞭然。
債務者にとって、債権者が消えれば借金ちゃらといった図式か。
(他にも理由はいろいろありそうだが、津波は予定よりそうとう小さかったみたいね)

ここ3000年くらい、戦争や争いをけしかけている連中は同じ血脈でしょう。
病原菌を空から撒いているのも奴らでしょう。

迷惑な話である。



イルミナティの18番、インサイドジョブ、ボストンマラソン爆破事件
2013年04月17日 Walk in the Spirit(一部引用)
http://plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/201304170001/
かいつまんで言うと、
イルミナティーのやらせである、

自国民を犠牲にして、
統制強化の口実を作るというのはイルミナティーの18番、

(*これは、反ユダヤ主義を用いて、
「俺達(政府)が守ってやるから、少々の犠牲は我慢しろ、」と言う、
イスラエル政府(イルミナティー)のイスラエル国民をコントロールしているやり方と同じ、)

過去、2002年の時も、
イスラエル政府によるイスラエル市民殺戮の折、
政府はテロリストを捏造し、犯人を仕立て上げ、
国内に緊張を作り上げた、

USの911然り、(自作自演で、)
テロリスト、あるいはオサマビンラディンを犯人に仕立てる、

で、爆破の目的は何か、

統制である、
警察国家の強化樹立が背景にある


と言う訳で、今回もマッチポンプ継続中なのでしょう。
(実はケネディ図書館がターゲットだったような話もありますね)
心理戦だなこりゃあ。

9.11や3.11についてわかってない人が、結果的にあちら側に加担していたり・・・
真実を探求する行為は、亡くなった方々を冒涜する行為ではないことを加えておこう。


【ボストン爆弾テロは自作自演?】犠牲者の1人がアフガンで足をなくした米軍兵士と同一人物との指摘!
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11513439993.html

$Ghost Riponの屋形(やかた)



------------------2020/2/22 資料を追記------------------

「空・海共同」の運用思想
―日・米・英の空母運用の進展

防衛研究所
http://www.nids.mod.go.jp/event/proceedings/forum/pdf/2014/06.pdf
P.75
 第一次世界大戦では航空機が広く実戦に用いられたが、それは海軍でも例外ではなかった。戦艦を主力とする艦隊の「目」としての航空機の役割は早くから認められていたが、航空技術の発達に伴って、戦間期にはその攻撃力が注目されるようになった。第二次世界大戦が始まると、それまでの主力艦であった戦艦に取って代わり、まさに海戦の主役として活躍した。
P.77
 米国は、戦間期の早い時点で日本を仮想敵とみなしており、南太平洋が戦場になると予想していた。ただ、日本とは異なり、ハワイが最も近い前線基地であり、ワシントン条約によってグアムの防備強化を禁止されていた。そのため、太平洋における艦隊決戦で航空戦力を活用するためには空母を活用する以外になかった。その結果、空母は米海軍にとってパワー・プロジェクションの手段であることは広く認められていた。また、ティルも指摘するように、太平洋では米国にとって利用可能な島嶼、つまり基地が少なかったため、それらを獲得し、迅速に基地を建設する必要があった。従って、陸上機の活用のためには太平洋の島嶼を占領する必要があり、そのために上陸作戦が必要であった。それが、上陸作戦の専門部隊である海兵隊の発展につながり、それとともに上陸作戦ドクトリンも生み出された。太平洋における艦艇による戦闘でも上陸作戦でも、エア・パワーを活用するために、空母は不可欠だったのである。
 日本についても戦間期から米艦隊を南太平洋で迎撃する戦略をとっており、空母は艦隊決戦の際に、艦隊の目としての役割を果たすとともに、防空を提供するプラットフォームであった。しかし、艦載機の攻撃能力が高まると、対艦攻撃もその主任務と考えられ、敵の艦隊の戦力を漸減させるための手段としての地位は高まっていった。

太平洋戦争と日米関係史 - 熊本学園大学 機関リポジトリ
kumagaku.repo.nii.ac.jp › attribute_id=22
岩本正春 著
P.286
4、第三のRemember、Remember Pearl Harbor の現在的論考
 1)2 隻の空母と19 隻の新鋭艦を全部避難させ、16 隻の老朽艦を囮にし、2400 名の犠牲者をだした。米政府はRemember Pearl Harbor! と叫び、反戦の世論を覆し、日本に宣戦布告した。しかし、以下の米国人の証言多数から、ABCD 包囲網の上、最後通牒(ハルノート、朝鮮台湾満州から全面撤退条件)で日本を追い込んだうえでの囮作戦だったことは、機密書類からの状況証拠多数で周知である。それでも、米国政府の見解は修正されていない。
 真珠湾攻撃に関する以下の公開機密資料・証言の集積をみると、状況証拠が歴然となる。近年の新たな証拠・資料・著書により、真珠湾攻撃は、はめられていたことが自明となった。物証が必要とする刑事裁判なら、米国は「疑わしきは罰せず」主義により、無罪となる可能性はあるが、民事では、状況証拠多数により、米国は有罪となる筋のものであることが周知となっている。現在マスコミ等で暴かれる続ける真珠湾の米国のアリバイ工作についてみて行く。ロバート・ステイネット著の「真珠湾の真実」では、「ブラットン陸軍大佐は、奇襲の報をホワイトハウスにだけは、事前に配達しなかった」。又、ルーズベルト大統領へ軍事的アドバイスできるのは、ルーズベルトによりマーシャル統合参謀長のみとされていた。ブラットン陸軍大佐は「ハルノートに対する日本の最終回答の暗号解読文を手にマーシャルの家に走った。午前9 時。しかしマーシャルは乗馬に出かけ不在だった。午前10 時ごろ、マーシャルから電話あり、10 分位で行くということだったが、事務所に出てきたのは11 時15 分だった。日本の回答の全文を読み終えてから、ハワイへ警告文を次のように書いた。「午後一時の日本側の通告時刻は。何を意味するかわからんが」と抽象的に書いた。またマーシャルの指示で、緊急電話回線や海軍の無線を使用せず、民間の通信会社の回線で送られたため、ハワイのキンメル司令官に届いたのは、日本軍の攻撃の後だった。
 2)「日本の通告時刻午後一時は、ハワイの7 時半である。すぐにハワイのキンメル司令官に連絡すべきと、海軍情報部長のウイルキンソンは、スターク海軍作戦部長に進言する。しかし、ウイルキンソンはマーシャルに電話したが捕まらない。ルーズベルト大統領に電話したが、ホワイトハウスに居ながら、ルーズベルトは電話謝絶指示を出しており、電話にでなかった。裁判的に状況証拠を見ると、3 人は共同謀議の不作為犯である。
 3)事後調査を担当した海軍長官ノックスは「日本の通告時刻の1 時は、宣戦布告の時刻を意味することは、ワシントンの要人の誰もが知っていたのに、ハワイの司令官キンメルだけが知らなかったことに驚愕した」と報告している。3000 人程度の犠牲者を出したハワイの事態を視察して、ノックスは痛憤にかられ、3 年後に悶死している。
 4)日本側の回答の暗号を読んでいたルーズベルトは「これは戦争を意味するな」と側近のホプキンスに同意を求めている。
 5)1946 年4 月、連邦議会は、マーシャル統合参謀長を喚問した。ファーガソン上院議員が、陸軍ステイムソンの日記を示し、「ハルノートを日本に提示する前日、6 人(ルーズベルト、ハル、マーシャル、ステイムソン、ノックス、スターク)の鳩首会議を開いている。その折、ルーズベルト大統領は、早ければ次の月曜日に日本軍に攻撃されるだろう。最初、日本に発砲するような状況に導くかだ」ということが書かれている。この最初の発砲とは、どういう意味か?」と議会で聴取された。マーシャルは、「外交上の先制攻撃だろう」と詭弁を弄している。矛盾と虚偽に満ちた答弁が続いた。状況証拠からは、ルーズベルト、マーシャル、スタークが主犯。ステイムソンとバーンズは従犯であると言えよう。
 6)バーンズは後に「ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたという決定的に証拠だてるものはない。もっとも、有罪を証拠だてそうな書類はファイルから除去されているだろう。」と書いている。これは自らの完全犯罪宣言といえるだろう。その通りで、真珠湾攻撃直後の暗号関連の文書はファイルに存在するが、真珠湾攻撃前の、暗号傍受に対する指示等の文書がすべて機密ファイルから削除されている。
 7)1991 年、元英諜報部のラスブリッジャーとネイヴが共著で「真珠湾の裏切り」を出し、JN-25(日本の暗号)を解読していたことを明らかにした。「イギリス政府は、11 月30 日から12 月2 日の間に、日本が12 月7 日に、真珠湾を攻撃するという情報を得ていた」とのこと。
 8)ルーズベルトの娘婿カーティス・B・ドールの著書「操られたルーズベルト」では、「ルーズベルトは会食の席で家族に言った。私は決して宣戦はしない。私は戦争を造るのだ。」そして真珠湾の前日の会食で「明日戦争が起こる」と述べたと書かれている。
 9)ルーズベルトは、ハルノート(最後通牒)を出す前に、議会で度々、「日本側に最初の一撃をやらせるのだ」と発言し、記録されている。
 10)ルーズベルトは中立法を強引に変更し、英に4 兆円、ソ連に10 兆円の戦略物資と資金を与えた。米国はドイツ艦船に挑発を行っている。これが、後にルーズベルトは、アヘン事業での私欲且つ容共主義だと言われる所以であり、戦後世界の半分が共産国家となり、1.8 億人の犠牲者が出たのは、ルーズベルトの責任だと共和党は言う。
 11)米との開戦は独日政府共に望んでいなかった。
 12)ルーズベルト大統領の叔父のS. ルーズベルトはオレンジ計画(白人の植民地世界を脅かす日本を打倒する作戦計画)を策定し、それを国策とした。
 13)チャールズ・リンドバーグは遊説演説で「イギリス・フランスの太郎とドイツ・イタリアの次郎の兄弟喧嘩だ。我々三郎のアメリカは参加すべきでない。見よ、黄色い猿がスキを狙っているではないか」「武器貸与法を改悪する必要があるのか。」「その黄色い猿を、なぜルーズベルトが相次ぐ経済制裁で挑発するのか、理解に苦しむ」としている。
 14)アメリカ第一主義委員会(AFC)は、非戦論だった。エール大学、超党派、ジェラルド・フォード元大統領も当時その会員だった。J.F. ケネデイ元大統領も当時学生だったが、この会に献金している。この委員会は、ルーズベルトが、蒋介石に資金や武器を供給している状況を批判している。
 15)ハルノートが真珠湾後に公開された。以下の各氏は「なぜ、この時期に、こんなものを日本に突きつけたのか理解に苦しむ」と書いている。
 ハミルトン フィッシュ共和党議員「ハルノートは、米への隷属が戦争かの二者択一の、最後通牒だ」「開戦権限は、議会にあるとする合衆国憲法に違反する」。彼は「ルーズベルトの開戦責任」を著し、生涯ルーズベルトを批判している。
 駐日グルー大使は後日「あの戦争は必要のないものだった」と語っている。「グルー大使の報告」にもあるように、日本政府と国民は戦争を望んでいなかった。アメリカ国民も望んでいなかった。ルーズベルトの「恥辱の日」(Remember Pearl Harbor を指す)演説は偽善と嘘にまみれている。米の損失は甚大だ。兵士は勇敢に自由と民主主義のためによく戦った。しかし、ルーズベルトのヤルタ会談で、意味のないものになった。世界の半分がスターリンと共産主義者の支配に入ってしまった。」と述べている。
 16)ポツダム宣言受諾後の昭和20 年8 月14 日付(米時間)NY TIMES は「太平洋の覇権をわが手に」というタイトルを付け「われわれは初めてペリー以来の野望を達した。もはや太平洋には邪魔者はいない。これでアジア大陸の市場と覇権は我が物になったのだ」との記事を載せた。アメリカの長年の目的である西進政策が完結したとの声明である。
 17)東京裁判の記録では、日本が領土を掠奪する意図(植民地化)が見えなかったため、日本軍の侵攻となっており、侵略とはなっていない。