
チェ・ゲバラ(キューバではゲバーラと言う)の本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。
1928年6月14日、アルゼンチンに生まれる。つまり、彼はキューバの英雄となったアルゼンチン人だ。
“チェ”はあだ名で、意味は『心にくいヤツ』『(掛け声の)よっ、大将』。
信念は死なない
チェ・ゲバラの名言
もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、
出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。
「そのとおりだ」と。
世界のどこかである不正が誰かに対して犯されたならば、 それがどんなものであれ、
それを心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。
ある日の真実が、永遠の真実ではない。
明日死ぬとしたら、生き方が変るんですか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの
生き方なんですか?
酒は飲まない。タバコは吸う。女を好きにならないくらいなら男をやめる。だからといって、
あるいはどんな理由であっても、革命家としての任務を最後までまっとうできないならば、
僕は革命家であることをやめる。
僕を導くものは、真実への情熱だけだ。あらゆる問題について、僕はこの点から考える。
人間はダイヤモンドだ。ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドしかない。
人間を磨くにも人間とコミュニケーションとるしかないんだよ。
これからは良い事をされたら100倍にして返せ!その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ。
世界のどこかで不正によって苦しんでいる人がいるならば、それを心から悲しむことができる人間になりなさい。
それが革命家にとって一番美しい素質なのだから。
未来のために、今を耐えるのではなく、未来のために、今を楽しく生きるのだ。
ゲバラの肉声(1分10秒)
ゲバラがキューバを去る時、カストロに送った手紙
『フィデル、僕は今この瞬間多くのことを思い出している。初めて君と出会った時のこと、革命戦争に
誘われたこと、準備期間のあの緊張の日々のすべてを。死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時、
死の現実性を突きつけられ慄然とした。後に、それは真実だと知った。真の革命であれば、勝利か死
しかないのだ。
僕はキューバ革命で僕に課せられた義務の一部は果たしたと思う。だから僕は君に、同志に、そして、
君の国民達に別れを告げる。僕は党指導部での地位を正式に放棄する。大臣の地位も、司令官の
地位も、キューバの市民権も。今、世界の他の国々が、僕のささやかな助力を求めている。
君はキューバの責任者だから出来ないが、僕には出来る。別れの時が来たのだ。
もし僕が異国の空の下で死を迎えても、最後の想いはキューバ人民に向うだろう、とりわけ君に。
僕は新しい戦場に、君が教えてくれた信念、人々の革命精神を携えてゆこう。帝国主義があるところ
ならどこでも戦うためにだ。永遠の勝利まで。革命か、死か』
《ゲバラ、訪日時に被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問》 [ 07年10月9日 毎日新聞 ]
キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として1959年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、
副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。
副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。
フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、
夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。
ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。
訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。
7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、
予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。
業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。
オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。
「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」と
フェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に
「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。
カストロ議長は03年3月に広島を訪問。
フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。
※ゲバラは家族にあてた絵ハガキに「広島を訪れ、ますます闘うエネルギーがわいた」と書いた。
※原爆ドーム訪問後にゲバラが通訳に言った言葉「日本はこんなにひどい事をされたのに、
アメリカの言いなりになっているのか」。

季刊の地域情報誌 『がんぼ』Vol.12
(7月下旬発刊)に巻頭特別企画《世界初公開! チェ・ ゲバラが撮った一枚のヒロシマ》
http://mature.artisan.boy.jp/?eid=353692
子ども達への最後の手紙
『この手紙を読まねばならない時、お父さんは側にいられないでしょう。世界のどこかで誰かが不正な目に
あっている時、痛みを感じることが出来るようになりなさい。これが革命家において、最も美しい資質です。
子ども達よ、いつもお前たちに会いたいと思っている。だが今は、大きなキスを送り、抱きしめよう。
~お父さんより』
転載元
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html
日本と全く関係のない人物かと思っていましたが、接点があってとても感慨深いです。
彼は、歴史的「偉人」と言うより、我欲がないので「聖人」のように思います。
殺されなければ、本当に世界を変えていたかも知れない。
革命精神、理想主義者、大いに結構です。
キューバに行ってみたくなりますた。