
アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム [1] の続き。
1976年、ドイツに実在したアンネリーゼ・ミシェルという女性が、
悪魔にとり憑かれて死亡した事件が元です。
「アンネリーゼ・ミシェルの悪魔払い(The Exorcism of Anneliese Michel )」と
いう本にもなっています。
彼女は1952生まれ。
1968年頃から震えるなどの異変が身体に出始めます。このとき精神科医により「てんかん」と診断。
悪魔により幻聴が現れ始めます。
1973年に両親が教会に悪魔祓いの申請をします。しかし却下。悪魔に取り憑かれた証拠がなかったからです。
(本人が知らないはずのラテン語を話すなどの現象がなかった。)
薬物療法と医療機関での治療をするように言われます。
彼女は20歳でした。
その後、彼女をしばらく監視したErnst Altという司祭が教会に悪魔祓いの申請をしますがこれまた却下。
そうこうしている間にも彼女の行動はエスカレートします。
悪魔は彼女に食べることを拒否させました。
徐々に映画の中のエミリーのようになっていきます。
1975年、とうとう教会は悪魔祓いを許可します。
Arnold Renz神父と、Ernst Alt司祭が行います。
その結果、彼女は複数の悪魔に取り憑かれていることが判明します。
神父と司祭は、悪魔祓いの過程をすべてテープレコーダーに録音しています。
悪霊の一人は外国語訛りで話、自分をヒトラーと呼んだそうです。
このさまざまな悪霊の声が録音されたテープは裁判にも提出されましたが、裁判所は悪魔の存在自体に
ついて信仰を判断する裁判ではないとし、最期まで言及しませんでした。
悪魔祓いは1975年9月から76年7月の間行われました。
一旦、彼女は回復し教会や学校にも通えるようになります。
しかし悪魔の支配は完全には消えてません。
彼女は凶暴になり、3人の男性に取り押さえられ、鎖につながれるようなこともありました。
悪魔祓いは進みますが、彼女は意識不明になることが多くなりました。
そして最期の悪魔祓いの日がきました。1976年6月30日です。
肺炎を患い、高熱があった彼女はいつものように膝まづいて礼拝することができなかったため、
その日は両親が彼女を助けました。
その時、彼女は「お母さん、私怖い。」といいました。
翌日1976年7月1日にアンネリーゼは他界します。
当時の彼女の死亡診断をした医師の見解は餓死寸前の栄養失調です。
裁判で被告になったのは神父2名と彼女の両親。
2ヶ月の儀式の最中、彼女はほとんど絶食状態だったそうです。
被告は全員、執行猶予3年付きの懲役6ヶ月の判決でした。
裁判所は、彼女は「てんかん」だったとし、医師の治療が必要と判断しました。
裁判の判決は、悪魔祓いそのものを罰したのではありませんでした。
末期に彼女を医師のもとに連れて行かなかったことを罰した判決だったのです。
現在、彼女の墓は信者の巡礼の地となってます。
彼女が勇敢に戦ったと信じられているからです。
アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム 4/6
http://www.youtube.com/watch?v=jT5zO_BIqUY
アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム 5/6
http://www.youtube.com/watch?v=bE492V6vZSM
アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム 6/6
http://www.youtube.com/watch?v=RuhOIFFriP8
アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム [1]
http://ameblo.jp/ghostripon/entry-10280133952.html