THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=jIBS2wHx0pc
島唄(オリジナル・ヴァージョン)
作詩:宮沢和史 作曲:宮沢和史
でいごの花が咲き風を呼び嵐が来た
でいごが咲き乱れ風を呼び嵐が来た
くり返す悲しみは島渡る波のよう
ウージの森であなたと出会い
ウージの下で千代にさよなら
災厄を告げるというでいごの花が咲き、
(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した
でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、
寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された
サトウキビ畑であなたと出会い
(ガマ)鍾乳穴の防空壕で
君が代にいう永久の御代との別れ
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の涙
島唄よ 風にのり
しびとの魂と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり
本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を
でいごの花も散りさざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せはうたかたの波の花
ウージの森で歌った友よ
ウージの下で八千代の別れ
でいごの花も散る1945.6.23に
戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、
生き残っている者もあまりいない
日常生活は、簡単に消え去った
さとうきび畑で謡いあったあの人は
防空壕の中で、戦闘によって死んだ
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の愛を
沖縄民謡よ、風に乗って
魂と共に、海を越えて
(あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)
島唄よ 風に乗り
(ニライ・カナイへ)届けておくれ 私の愛を
海よ宇宙よ神よいのちよ
このまま永遠に夕凪を
海よ
宇宙よ
神よ(豊穣をもたらす)
いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る)
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の涙
島唄よ 風にのり
しびとの魂と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり
本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を
島唄よ風に乗り鳥とともに海を渡れ
島唄よ風に乗り届けておくれ私の愛を
沖縄民謡よ、風に乗って
魂と共に、海を越えて
(あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)
島唄よ 風に乗り
(ニライ・カナイへ)届けておくれ 私の愛を
「島唄」の英語バージョン。イギリスのソプラノ・シンガーIZZY。
https://www.youtube.com/watch?v=ZzNezTpA14M
夏川りみ Rimi Natsukawa 島唄
http://www.youtube.com/watch?v=8foQlu_yW70
ザ・ブーム 島唄 Live
https://www.youtube.com/watch?v=TZeUBDF4FPs
戦後70年全戦没者追悼。「島唄」首里城 宮沢和史 沖縄唄者 6月23日 沖縄慰霊の日
https://www.youtube.com/watch?v=w9iNGN-yhOc
THE BOOMの名曲『島唄』の本当の意味とは?
http://matome.naver.jp/odai/2137646585772178801
(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために
「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)
2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)