以前からのブログのIDを忘れて続きを書けなくなり、仕方ないので新しく開設してこれからまたよろしく、と挨拶したのが今年の1月。
その後たくさんの素晴らしいライブを体験し、そして最高の音源を得ながら何となくブログをサボっているうちに春になり夏を過ぎ、いつの間にか9月を迎え、さてそろそろ‥と思っていた矢先に、悪夢としか言い様のない出来事が起こってしまった。
9月1日の白昼ALSDEADオフィシャルサイトに流された、ファンにとっては例え他バンドのことであっても目にしたくない、あの『大切なお知らせ』という忌まわしい文言。
ALSDEADが活動を休止するという、衝撃の発表だった。
「活動休止」―それは事実上の“解散”を意味する。
彼らも[不死身]ではなかったのか―――?
嫌な予感はあった。
ずいぶんライブの間が空いた8月の後半、突然発表された9月半ばから10月上旬にかけて4回に亘って行われる、【Born To Be Dead】と題されたワンマン―。
このタイトルも後述のようにALSDEADのバンドとしてのコンセプトが反映されたものだろうがファンの間で様々な憶測が飛び交う事になったのは、その最終日に付けられたサブタイトルのせいだった。
-CODA-
「最終楽章」を意味し、彼らが敬愛するレッドツェッペリンの最後の作品のタイトルでもあるこの言葉をワンマン最終日に冠した意図は―?
〝まさか解散!?〟〝いや、初日のサブタイトルがPROLOGUE(序章)だから、単なるその流れだよ‥〟
色んな事を言い合いながら、でも心ではこれは何でもない、何も起こらない、そう信じたがっていた。
だが‥それはやはり起こってしまった。
2008年の始動以来幾多の困難を乗り越え前進を続けてきたALSDEADが、ついにその歩みを止める。
ALSDEADは不屈のバンドだ。
デビューからアルバム1枚を残しての所属レーベルからの独立~自主盤活動、3.11大震災の影響による多くのインディーズ・バンドの活休、解散の嵐‥。
それらの試練をALSDEADは逞しく乗り越えてきた。
彼らはただ売れる為だけを目的としたバンドではない。音楽業界には“売れる音楽が自分たちの音楽性”とはっきり割り切るバンドもある。それはミュージック・ビジネスマンとしては優秀なのだろうがアーティストの言葉としてはやはり寂しい。
自分たちの信じる音楽をプロとして究め、更に進化させ、継承していきたい。
ALSDEADを支え続けたのはそんな使命感にも似た強い目的意識だった。
質の高い楽曲の提供こそが音楽家の本分、とでも考えているかのように楽曲制作に没頭する彼らの芸術家肌が、ともすると営業面や宣伝活動の弱さへとつながってしまい、順調に大物バンドへの階段を駆け上がっているとは言い難かったが、それでも対バンイベントで彼らの優れた音楽性とハードロック本来の魅力に満ちたライブパフォーマンスに触れた人たちが新たなファンとなり、動員数は着実に増えてきていた。
今年でデビューから7周年を迎え、やっと努力が実を結びつつある‥‥そう思われていた矢先の事だった。
確かに、ALSDEADというバンドのネーミング、コンセプトはイメージがある程度限定されるだろう。
そこに描き出される世界観はおよそ一般受けとは言えない、深く哲学的なものだった。
バンドの思考的な面でイニシアチブをとるMAKIさんは最近でこそバンド名の由来について尋ねられると、
「ALL IS DEAD(全ては死)を略した造語。全てのものは死によって終わりを迎えるがそこからまた新たなものが生み出されていく、そんな前向きな気持ちを表したものだ」と簡単に受け流している。
だが3年程前のワンマンだったと思うがMCでMAKIさんが語ってくれた本当の「ALL IS DEAD」の意味は、
「この世には喜びや希望が満ち溢れている。だから美しいのか?いや、そうではない。実はこの世の万物は全て“死んでいる”のであり、世界は死によって支配されている。だからこそ美しいのだ」
というものだった。
聞いた当時は凡人には全く理解不能の、難解な理論に面食らったものだが、今こうして思い起こしてみると、はっきりと繋がって見えてきたものがある。
彼らの最新アルバム『IDEA』―
周知のように「イデア論」からテーマを得て制作された作品だ。
哲学の知識など全く無いのでネットからの簡単な引用になるが、大雑把に言えば私たちが肉体を通して認識しているこの世界は実は全てが虚構であり、死によって隔てられている真の実在の世界(イデア)に魂が暮らしていた頃の記憶によって万物を見ているに過ぎない、というものだ。
こうしてみればイデア論とALSDEADのバンドコンセプトは非常に共通点があり、そう考えるとアルバム『IDEA』は彼らがバンド結成から追い求めてきたテーマの完成形と云える作品なのではないだろうか?
ALSDEADの原点と云うべきこういった思想は実は今回の『IDEA』だけではなく前作『Separator』でもアルバムの重要な核となっている。
この作品でも彼らはこの“何かで隔てられた二つの世界”を、全てのものを冷酷に分かつもの―Separatorの存在を通して表してみせた。
このアルバムには表題曲“Separator”を始め“フライト” “Heaven”などALSDEADの思索的な面を代表する名曲が収められているがいずれも今までのALSDEADの楽曲の中にしばしば見受けられる、肉体を離れた精神が辿り着く真実の世界への強い希求が感じられそれはALSDEAD結成以来常に脈々と彼らの作品の根底に流れ続けているものであるように思う。
この『Separator』はしかし当時のバンドを取り巻くいろいろな事情が影響してかアルバム全体としては多様なタイプの楽曲が詰め込まれ、結果コンセプトアルバムとしての色合いは薄まってそのあたりのテーマは殆ど感じさせない作品となった。
それに比べて『IDEA』はどの楽曲も見事にひとつのテーマに沿った統一感のある、完全なコンセプトアルバムになっている印象だ。
そう考えるとひょっとしたらこの『IDEA』、ALSDEADというバンドの世界観と音楽性のいったんの完結を既に見据えて制作したものだったのかも‥という気もするのだが私の考え過ぎだろうか?
このアルバムが発表された当時某CDショップで行われたインストで、かなりのロックファンである司会者がいみじくも口にした「個人的にはもの凄い作品だと思う。だけどこんなの出しちゃって本当に大丈夫なの?」という言葉。
V系という市場でこの作品が果たして理解されるだろうか―この司会者が危惧するほどこの『IDEA』はALSDEADが持つ世界観の凝縮形ということだけでなく、音楽的にもロック•ミュージックというものをストイックに追求し続けた彼らだからこそ創り得た正真正銘、本物の傑作である。
私に言わせてもらえばこのアルバムはメタル/ハード•ロック史に於いて大変重要な意義のある、大袈裟でなしに歴史的な作品と言えるものだ。
この作品の素晴らしさ、意義についてはずっと以前からブログに書こうと思っていたのだが、ついつい雑事に流されてしまい(←恒例の言い訳)既に発売から一年近くも経ってしまっているが、そのあたり折りをみてぜひ書きたい‥と思っている(`・ω・´)+・:*
そんなALSDEAD、楽曲はメタルファンからみれば高い演奏技術に基づきながらもコンパクトな尺によく計算された巧みな構成を持ち、そこに印象深いメロディーを乗せたとてもキャッチーなものなのだが、V系界に於いてはいわゆるプロ好み、ミュージシャンズ・ミュージシャンとも云うべき存在となっているようでバンド同士や箱スタッフなど、同業・業界人からの評価がことさら高い。
ビジュアル系と云えば、“中身よりも視覚重視のチャラいジャンル”と受け取られがちだが実は彼らの中にも少年時代イングヴェイやドリーム・シアターを聴き、それらを目標に演奏技術の鍛錬に打ち込んできた本格派志向のバンドマンも少なからず存在する。
そんな真剣に音楽に取り組むバンドマンたちがイベントでALSDEADと共演し彼らのリハーサルを耳にすると一様に感嘆の声を上げる。
「あの演奏にはビビった‥!」
と。
そしてあるホールライブイベントでALSDEADと共演した某人気バンドの、普段は毒舌キャラで鳴らすボーカルはその日のMCで珍しく神妙な口調でポツリと言った。
「俺たちだって、本当はカッコいい曲やりたいんだよ‥」
ALSDEADはそんな他バンドが羨むような、欧米の名バンドに勝るとも劣らない高品質なハードロックを正々堂々と掲げV系の世界で孤高の歩みを続けてきた。
そんなALSDEADがついに10月9日のワンマンを以て活動を休止してしまう。
高度な技術に良質なメロディーを持つ楽曲、加えてルックスも麗しく、そして何よりハードロック/メタルの輝かしい遺産の継承という重い使命を背負う強い信念‥。
それらを全て併せ持ってこそメタルの正統、と考える大のメタルファンの私にとってALSDEADのようなバンドが姿を消す事は残念でならないし、何よりせっかく盛り上がりつつある実力派志向のVメタルシーンにとってその損失はあまりに計り知れない。
だが、まだ一縷の望みがないわけではない。
メンバーの最近の発言をみても、彼らのアーティストとしての創作意欲はますます盛んでむしろ脂が乗り切ってきている感じだ。
例え今のバンドで『ALL IS DEAD』の哲学を通し描き出す世界が一応の完成をみたとしても、知識欲旺盛なMAKIさんなどはすぐにまた新たなテーマを見出すだろうし、またどのような世界観を表現しようとも彼らの高い作曲能力と創作へのこだわりは必ずファンに質の高い楽曲を提供し続けてくれる事だろう。
ロックの長い歴史で考えれば活動休止も解散も同じ事だ。要は待ち続ける人々がいて、そしてメンバーが健康でさえいてくれれば、また繋がる時は必ず来る。ただそのスパンが多少違うだけだ。
それを早める方法はただ一つ、1日目のアコースティックライブでMAKIさんが「皆が信じてくれれば、きっとまた会えるでしょう」と語りかけたように、たくさんのファンが諦めず熱心にラブ・コールを送り続けることだと思う。
この日のアコースティックライブをレポートした記者氏はこう結んでいる。
〝『Born To Be Dead』―この4回のワンマンを通して彼らが何故今この段階で活動休止という道を選択したのか、その理由が明らかになる筈だ〟
そのワンマンはあと一回、10月9日の高田馬場AREAを残すのみとなった。
この日メンバー自身の口から何か語られるものはあるのだろうか?
彼らが自らの音楽で描き出そうとした精神世界の遥か彼方に広がる真世界イデア。
しかしほんの数枚のアルバムによって私たちが垣間見ることが出来たのはその影の部分の、ほんの一角に過ぎない。
