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ぼくは待ち人

mixiのレビューより転載
ビーチ・バム まじめに不真面目
監督 ハーモニー・コリン
★5つ。

もう星を選ぶのやめました。全部星5つでいいじゃないか、と。「これは4つ、これなら★5つ」とかのジャッジが本当にばからしく思うのです。 
何様なんだよ、オラぁ? って。

それはともかく。 
この映画はぼくが信頼している映画ファンにも評価が高く、中原昌也や菊地成孔にまで評価が高い。面白そうじゃん!と。 

このところ個人的にくさくさすることも多く、閉塞感を感じていたもので、ぶっ飛んだコメディーみておれもふっきれて、イェーイ!ってなろうというシンプルな同期で映画館に行きました。 

結果的に、ぼくは却っていろいろ考えこんじゃって、イェーイにはなれませんでした。 

この映画の主人公はクルクルパーでした。クルクルパー、だけどとびきり繊細、というのが映画のウリ、みたいです。
そんなに珍しいことなのかね。 

クルクルパーは往々にして繊細だと思っておりまして、そこがクルクルパーがパリピと違う所以です。そもそも、この映画の主人公は詩人でもあるしさ。 

って、ぼくには彼があんまり繊細なひとには見えなかったんだけど。
ただ、快楽主義者ではありました。
ずっとマリファナ他をやってる。 
それは死んでいるのとあんまり変わらない。 

主人公はなんだかんだゆって「勝ち組(嫌いな言葉だけど)」なんです。
破天荒なラストを迎えることで勝ち組であることを放擲しますが、いわゆる負け組にはあの破天荒なラストさえ迎えることはできないんだなあ。 
衝動的なのかふざけている所以なのか、一度観ただけじゃ、ぼくにはわからなかった。映画は2度目に観たときどう思うかがキモだと思うんで。 

で、ひたすらクルクルパーでノリに任せて突っ走る主人公を観てて、自分の小市民性をイヤというほどつきつけられて。
軽く落ち込んだ。 

映画で観てるぶんには構わないけど、現実にこの主人公のようなひとが周りにいたら、ぼくは絶交してしまうだろあな、と思った。

絶交。
今まで散々やって参りました。仲のいいともだちに「友達のポイ捨てはやめなさい」言われました。
ぼくには何人かだけ仲のいいともだちがいたのですが、ずっと彼らと仲良くできたのは、途中でそのともだちが死亡したせいかもしれません。 
あ、セツさんのことじゃないですよ。セツさんとはこれから仲良くしたかったとこでした。 

ぼくにとって「ずっと」仲の良いともだちってのはあんまりいないんだな。 
自分の偏狭さとノリの悪さをクルクルパーの主人公にとことんつきつけられ、悔しくいけど、認めざるをえない。 
また、自分の限界ってやつにしたたかにぶたれた。ニガい映画になりました。 

観終わってみて、果たしてこれがコメディーだったのかどうかもわからない。 
まあ、とってつけたような美談に回収されたりしないのはコメディーなのかもしれない。 

余談ですけどね、ぼくはラストに感動を持ってくるコメディーって大嫌いでね。ラスト1秒まで、なんの教訓もなく、ナメきっているものをぼくはコメディーだと思っておりまして。Mr.ビーンの映画なんて酷いもんだった。TV版では見事に腐っていたのに。 
「感動」というものは映画が観客に支払うワイロだと思うこともある。 
そういう点では「ボラット」とか「ありふれた事件」とか「トロピックサンダー」とか美しいコメディーが少数派とはいえ幾つかあることが救いです。モンティ・パイソンの映画も美学がビシッとしていたなあ。 
コメディーに期待するのはとびきりいぢわるな視線、ってやつです。
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