「科学の名を借りた壮大なウソ」 内部被ばく 無視の歴史 | Yahman! No Problem!

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肥田舜太郎医師に聞く

内部被ばく 無視の歴史


「100msv未満の被ばくは問題ない」 -
福島原発事故後、政府や一部の学者たちは、そう繰り返してきた
よりどころは国際放射線防護委員会(ICRP)の見解だ
しかし、原爆の被爆者医療に60年以上携わった肥田舜太郎医師(95)は見解を
「科学の名を借りた壮大なウソだ」と断言する
「ウソ」の源流には、原爆傷害調査委員会(ABCC)の調査活動があった

【東京新聞】こちら特報部 (出田阿生記者) 2012/4/21 より


源流は米の軍事研究 原爆の健康被害 今も

ICRP基準に受け継がれ

「ICRPの基準など信用できない
その原点は、広島・長崎の被爆者を調べたABCCの調査にあるからだ
内部被ばくを考慮しない、うそっぱちの内容だった
肥田医師は、戦後一貫して、そう訴え続けてきた

1945年8月6日
当時、28歳で広島陸軍病院の軍医だった日田医師は、
広島市中心部から7kmほど離れた戸坂(へさか)村(現在は戸坂町)で
爆風に吹き飛ばされた

市街地に戻る途中、体中から無数のぼろ切れを垂らし、
手から黒い水をしたたらせて歩く人影に出会った
ぼろ切れは皮膚、黒い水は血だった
腰まで水に浸かって川を渡ろうとすると、死体がぶつかっては流れた

多数の負傷者を治療するうち、
爆心地から離れた場所にいた人々が突然亡くなるという
不可思議な現象が始まった

紫斑が出て髪が抜け、大量出血して息絶える
原爆投下から1週間後に市内に入り、夫を探していた女性は血を吐いて急死した
同様に投下後に市内に入り、肥田医師の腕の中で
「わしはピカにはおうとらんのじゃ」
と叫び、息を引き取った男性もいた

肥田医師たちは当時、内部被ばくのことを知らず、そうした症状を
「入市被爆」と名づけた
生き延びた患者の中にも、ある日突然体がだるくなって動けなくなる
「ぶらぶら病」が多発した

「こうした健康被害が『内部被ばく』で説明できると知り、
長年の疑問が解けたのは30年後
米国のアーネスト・スターングラス博士の研究に出会ってからだった」
と肥田医師は語る

米ピッツバーグ大学名誉教授である博士の著書には、外部被ばくとは別に
「食べ物や水を通じて体内に放射性物質が入ると、
低線量の被ばくでも健康被害が出る」

という内部被ばくの危険について解説されていた

ABCCはそもそも、調査対象を爆発による爆風・熱線・初期放射線に限定し、
入市被爆者を対象から外していた

肥田医師は
「じわじわと人間をむしばむ、残留放射線による内部被ばくが無視された
そんな調査から導かれた数値を防護基準にするなんて
めちゃくちゃもいいところ」
と憤る

当時、担当していた患者に頼まれ、ABCCの施設に付き添った
患者は原爆が爆発したとき、広島市内にいなかったとABCC側に伝えた
すると「被爆者ではない」と門前払いされた

ABCCの真の狙いは原爆の殺傷能力を調べることだったと肥田医師は語る
治療は一切せず、被爆者の体液や組織を採取
亡くなると、遺体の臓器を取り出し、米陸軍病理研究所に送った

肥田医師は
「あのとき治療に挑んでいたら、放射線障害に対する医療は、
その後、格段に進んだだろうに」
と悔やむ

ただ、治療はおろか、終戦後の占領下では日本の学界が放射線被害を
調査、研究することすら禁じられていた

現場にも情報は来なかった
肥田医師も46年ごろ、
「『原爆は米軍の機密なので外部に出さないように』との
厚生大臣の通達があった
被爆者のカルテは記入しないように」
と、勤務先の院長から指示された

「広島・長崎の被爆者は呼吸や飲食で体内に入った放射性物質の影響で
60年以上たった現在も、ガンやさまざまな病気に苦しめられている


「低線量でも影響」

今回の福島の事故後、政府は『低線量の放射性物質は健康に影響しない』
と言い続けているが、内部被ばくはどんなに微量であっても影響がある」

そのことは「フクシマ」の将来に重なる
「低線量内部被ばくによる健康被害は数年後に出てくる
治療方法はまだ見つかっていない
だからこそ政府が予算を組み、原爆医療をしてきた人たちを中心に、
大学医学部に拠点を設け、被ばく者を受け入れる態勢を整えなければいけない」


〔デスクメモ〕
ABCCは1975年に財団法人・放射線影響研究所になる
その元理事長、故・重松逸造氏はチェルノブイリ事故で
国際原子力機関(IAEA)の調査団を率い、放射線の健康影響は認められないと報告
ベラルーシの代表から強く抗議された
フクシマはどうか
事実を埋もれさせてはならない
(牧デスク)