実は、桜の花が散る前に日本に戻って来てました。
下北にロマンを感じて人生をかけたお父ちゃんは、下北の山並みを花で表した花祭壇に囲まれて、ニコニコしながら、新しい世界に旅立って行きました。
ここ数年は、世に吹く不景気風や震災の影響もあり、客足が遠のいていますが、そのような中で「負をプラスに向ける士気」という貴重な遺産受け継ぐことができたことに感謝し、今後も下北観光事業の再活性化を願い、機会があれば下北の魅力をお伝えしようと思っております。
4月下旬、青森はちょうど満開の頃です。
11月に突然入院したとーちゃんを見舞いに。。
心不全を起こしかけて病院に行ったら、肺に水が溜まっているとそのまま入院。
肺の水を抜き、呼吸器をつけていたものの、感染症を併発し、気管切開による酸素吸入を余儀なくされたのが12月のこと。
状況的になんとも言えない。。。というお医者様の話もあり、気管切開前後の数週間は青森に滞在し毎日お見舞いに行ってました。
その頃は、とーちゃんの意識は朦朧としており、このままボンヤリのままになっちゃうのかな。。
と、気掛かりではあったものの、ガーナへ戻りました。
今回、日本に戻って来て病院へ行くと、寝たきりのため筋肉は衰え、足はガリガリで骨の形がわかるほどに変わっちゃっていました。
ちょっとショックでした。
でも、口をパクパクさせて、一生懸命何か言おうとしています。
頭ははっきりしているようで安心しました。
口パクは、気管切開をしているので声を出すことができないせいです。
何を言いたいのか、口を見ているとはっきりわかります。
ガーナの話やら何やらいろいろ聞いてきては、ニコニコして、それは幸せそうに。。
ある日、兄と嫁が和装でお見舞いに行きました。
女好きでおしゃれなとーちゃんは、それはそれは嬉しそうに、子供みたいな、でもクシャクシャな顔でニッコニコ。
いつもよりご機嫌です。
それはいいんだけど、私を見て、「誰?」と聞く始末。。
「ちこたんだもの。。」と言ったら、照れながら、「あぁ、そうだそうだ、ちこたんだな笑。。で、いつ来たの?」って。。
「おいおい、お見舞いに来て3日目だよ。。」というようなやりとりがあったり。。
状況的に覚悟はしてました。
軽い認知症です。
4日目
お見舞いも4日目になるとちょっと慣れてきて、機械が突然ピーってなってもビビらなくなったり、身体を撫でてやったりできるようになるもんです。
顔や口を拭いてあげたり、足をさすってあげたりしながら
じゃ、またガーナに行ってくるから、1ヶ月後にまた来るよ
というと、
おう、頑張ってこいよ!
オレも早く紙オムツ取れるように頑張るからな。
といい、いつもならまだ帰らないで。。と寂しがってわがままを言うのに、この日は疲れていたのか、私が病室を出る前に、とーちゃんは目を閉じました。
連休前、こどもの日に向けて、鯉のぼりが空高く飛んでいるのを眺め、紐が切れて飛んでいくなよ。。。と、なんとなしに思いながら、汽車に乗りました。
翌々日、青森にトンボ帰りすることになるなんて思っていませんでした。
私が青森を離れた翌日の夕方のこと。
心臓が止まりそうだと病院から連絡があったと、にーちゃんから電話がきました。
急いで病院に駆けつけたにーちゃん。
病院に着いた時には、すでに心臓の動きは止まっていたそうです。
翌早朝、はやぶさ1号で青森に向かいました。
安置所の奥に、白い布を顔の上にのせられたまま横になっているとーちゃん。
この白い布、なかなかめくることが出来ないのです。
「なんだ、もうオムツ取れのか?ずいぶん早く約束守りやがったって。。。頑張ったんだな。。。」
そう言って布をめくると、とーちゃんは微笑んでました。
「おジジや、おジジ。ずいぶんめんこい顔しやがって、嬉しいのか。。」
私がイメージしていた「死人」とは違い、顔はツヤツヤして、今にも喋りだしそうです。
生きてるんじゃないの?という気がして、ホッペを撫でてみました。
冷んやり。。。
ホッペを両手で包んで温めてあげなければ。。と思ったと同時に、こんなに冷たくなるもんなのか。。と思いました。
あっけないもんです。
翌日、ちょっとした手違いから、むつ市の火葬場ではなく、安置所から遠い北の外れの大間の火葬場が手配されました。
棺の中で、真っ白な衣装に身に纏い、綺麗な花に囲まれて嬉しそうなとーちゃん。
「どうだ、オシャレだろう」
いつも出かける前に聞いてくる言葉でした。
「よく似合ってるよ。こりゃ~あっちでもモテモテだろうよ。」と、頭とホッペを撫でてあげました。
棺の蓋が閉じられます。
もう、触れることはできません。
胸が詰まります
「じゃ、気をつけて行くんだよ。」
そう言いながら、釘を打ち込みました。
詰まった胸から、いつもとは違う血液が指の先まで駆け巡ったような感覚に襲われました。
出棺です。
霊柩車で下北半周です。
とーちゃんの魂がそうさせたのかな?
男のロマンをかけて走り回った下北を、もう一度駆け巡りたかったんだろうな。。
最後に行きたかったんだろうな、自分が建てたホテルに。。
下風呂に入ると、旧道をゆっくりと走り、ホテルの前に一時停止してクラクションを鳴り響かせ、後ろの棺の中で眠っているとーちゃんに「着いたよ~。」の合図を送りました。
むつから1時間半のドライブ
私が成人するまでは、一緒に過ごしたことがほとんどなかったとーちゃん。
この道を一緒にドライブしたのは、数える程しかありません。
だから、子供の頃のとーちゃんとの思い出は鮮明です。
あの時はあんな話をしたなぁ。。とか、大人になってから何度も聞かされたとーちゃんの武勇伝を思い出しながら、隣で霊柩車を運転するおしゃべりな運転手さんのずっと喋り続けるどうでもいい話に適当に相槌を打ちながら、心の中ではとーちゃんと最後のおしゃべりをしていました。
斎場にて
最後のお別れ。。
台車に載せられたとーちゃんが、重たそうな扉の向こうに連れて行かれました。
出てきた時には、小さくて真っ白いものに変わっていました。
生から死の一連の流れ。。。
命の重さというものがずっしりと感じられました。
葬儀。。
連休明けの5月7日。
とーちゃんの親しい友人が遠方から訪ねてくれました。
少し早めに到着されたので、下北を見渡せる展望台にご案内しました。
そこから眺める景色を見ながら、二人のたくさんの思い出話を聞かせてくれました。
下北の山並み
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今から遡ること約50年前、未開の地であった下北半島にやって来た父。
ここで観光事業を活性化させる!と決め、父の全精力と我が家の全財産を注ぎ、その夢を実現させるために、全国各地を走り回り、あらゆる手段を使い下北半島のPRをしました。その甲斐あって、全国からたくさんの観光客が訪れるようになった下北半島。
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このブログに度々登場していたとーちゃんの報告を兼ねた、ちこたん沈黙中だった時の単なる日記でございます。
今回、コメント欄を閉じますことをご理解をいただきたくよろしくお願い申し上げます。






