南アでは、二泊しかしておりませんが。。
ホテルから一歩も出てないけど、非常に充実した時間を過ごしました。
身になるものをたっぷり身につけて、得るものたっぷり得て、帰国です!
最終日、ホテルから空港へ。。。。
来る時の運転手さんは白人の南ア人でした。
とても感じ良い人で、空港ーホテルの1時間ほどの道中、いろんな話をしてくれました。
南アの歴史的背景(但し、アパルトヘイト関係には全く触れず、それ以前の昔の話)とか
美味しいレストランや、安全なショッピングモールの話とか、
ヨハネス以外の観光地の素晴らしさとか。。。
今度は、プライベートでゆっくり南アフリカに来たいな。。と思いました。
帰りの運転手さんは、黒人の南ア人でした。
とても調子のよい愉快なヤツ(笑)
彼的な歴史的背景のお話は、アパルトヘイト関連話です。
やはり衝撃的歴史でしょうからねぇ。。。
車の中で、沈黙の空気が流れると
ビバ!ネルソンマンデラ!! と、片手をあげてシャウトする明るいヤツ(笑)
で、南アに来たらネルソンマンデラを知らずして帰すわけにはいかないと
マンデラ基金の事務所前を通過。。
但し、入口のマンデラ基金の文字が、マンデラ・メモリアル・センターに変わりつつありました。。
んんん。。。 事務所前通過して、マンデラを知ることができるんか??(笑)
続いて、マンデラ氏の自宅へ案内してくれました。。
で、運転手さん、写真を撮れ撮れ!! と強要。。。。。
私、普段から、写真撮るタイプですが、ここ、写真撮ってもなぁ。。と思う私。。。
思った通り、後で見て、なんだかわからない写真の一つになっちゃいそうな一枚です。
そんで、
車の中から写真を撮っていたら、家の中から品のある女性たちが出てきて。。
写真を撮っている自分を 「あぁ。。。 みっともない私。。。」と思っちゃったりして
彼女たちに愛想笑いをして、つい手を振ったりする私。。
そしたら、感じ良く手を振り返してくれました。
どうやら、最近、体調を崩していると言うマンデラさんのお見舞いにやってきた
お孫さんたちのようです。
できれば、その素敵な笑顔をパチリと撮りたかったのですが、
さすがに、その写真は撮れなかった小心者です。。
で、家の周りに置かれたカラフルな石。。撮ったりして。。
何かの思いが込められているのでしょうか、いろんなメッセージが書かれています。。
私、マンデラさんにお会いしたことがあります。
1990年、27年間の牢獄生活から釈放されたばかりのころ、
マンデラさんが来日した時です。
マンデラさんとの握手。。。
しっかりと握りしめる手から力強さが伝わってくるのですが、
掌は、私がこれまで触ったことがないような感触。。。
長い間、通常の生活をしていなかったから?と思わせるほど
赤ちゃんの掌より柔らかく、そして温かった。。
顔に深く刻まれた皺からは、忍耐強さと意思の固さも伝わってきたし
微笑んだ時には柔らかく優しくフワンと包み込まれるような感じで、
その頃、まだ20代前半の私は、
これが本物の指導者なんだ。。。と思ったのでした。
彼の物静かな戦いが、アパルトヘイトを撤廃を導いた。。。
さてさて、これまで通ってきたところとはちょっと雰囲気が変わりました。
なんだか、庶民的な感じです。。
1990年までは、こうやって街中を歩くことすらできなかった黒人さんたち。。
または、非黒人がこんな風に車で通過することすらなかった??
やっぱり、ビバ・ネルソンマンデラです!!(笑)
これから秋に向かう南アフリカ。。
色のつき始めた並木道を通り。。。
中国人が密集すると言う地区を通りすぎ。。。
運転手、ビバ君が、突然、あの写真を撮れと。。。 また強要。。。(笑)
はい! パシャリ!!
おぉ♪ サッカーボールね♪ ワールドカップね♪
と言ったら、
違う!! あっち!! あっちのスタチュー!!
おぉ。。 こっちか。。
ん?? おぉ、ビバ・ネルソンマンデラ!!
運転手のビバシャウトをマネして、そうシャウトする私を無視。。。
で、手に持っているツルハシを見ろと。。
ん。。。見たよ。。
で、右手に持つのが、金の塊だそう。。
なんでも、この辺りで1880年代に金鉱脈が発見され、
金鉱山事業で栄えた地区とか。。
なるほどぉ。。 そう言われればこのスタチューどう見ても黒人じゃない。
金欲に目がくらんだ人の体形だ。。
。。。。。。
そんな感じで、ホテルから空港までの短い距離を
ビバ、ビバを叫びながら、市内観光を楽しみ、到着いたしました。
ヨハネスブルグ O.R.Tambo国際空港です。
上から見た到着ロビーです。
ガーナと違い、とても洗練されてます。。。
やっぱ、南アは先進国だ!!
そんな南アフリカ。。。
今度は、マジでプライベートで遊びに行きたいです!
ホテルから一歩も出てないけど、非常に充実した時間を過ごしました。
身になるものをたっぷり身につけて、得るものたっぷり得て、帰国です!
最終日、ホテルから空港へ。。。。
来る時の運転手さんは白人の南ア人でした。
とても感じ良い人で、空港ーホテルの1時間ほどの道中、いろんな話をしてくれました。
南アの歴史的背景(但し、アパルトヘイト関係には全く触れず、それ以前の昔の話)とか
美味しいレストランや、安全なショッピングモールの話とか、
ヨハネス以外の観光地の素晴らしさとか。。。
今度は、プライベートでゆっくり南アフリカに来たいな。。と思いました。
帰りの運転手さんは、黒人の南ア人でした。
とても調子のよい愉快なヤツ(笑)
彼的な歴史的背景のお話は、アパルトヘイト関連話です。
やはり衝撃的歴史でしょうからねぇ。。。
車の中で、沈黙の空気が流れると
ビバ!ネルソンマンデラ!! と、片手をあげてシャウトする明るいヤツ(笑)
で、南アに来たらネルソンマンデラを知らずして帰すわけにはいかないと
マンデラ基金の事務所前を通過。。
但し、入口のマンデラ基金の文字が、マンデラ・メモリアル・センターに変わりつつありました。。
んんん。。。 事務所前通過して、マンデラを知ることができるんか??(笑)
続いて、マンデラ氏の自宅へ案内してくれました。。
で、運転手さん、写真を撮れ撮れ!! と強要。。。。。
私、普段から、写真撮るタイプですが、ここ、写真撮ってもなぁ。。と思う私。。。
思った通り、後で見て、なんだかわからない写真の一つになっちゃいそうな一枚です。
そんで、
車の中から写真を撮っていたら、家の中から品のある女性たちが出てきて。。
写真を撮っている自分を 「あぁ。。。 みっともない私。。。」と思っちゃったりして
彼女たちに愛想笑いをして、つい手を振ったりする私。。
そしたら、感じ良く手を振り返してくれました。
どうやら、最近、体調を崩していると言うマンデラさんのお見舞いにやってきた
お孫さんたちのようです。
できれば、その素敵な笑顔をパチリと撮りたかったのですが、
さすがに、その写真は撮れなかった小心者です。。
で、家の周りに置かれたカラフルな石。。撮ったりして。。
何かの思いが込められているのでしょうか、いろんなメッセージが書かれています。。
私、マンデラさんにお会いしたことがあります。
1990年、27年間の牢獄生活から釈放されたばかりのころ、
マンデラさんが来日した時です。
マンデラさんとの握手。。。
しっかりと握りしめる手から力強さが伝わってくるのですが、
掌は、私がこれまで触ったことがないような感触。。。
長い間、通常の生活をしていなかったから?と思わせるほど
赤ちゃんの掌より柔らかく、そして温かった。。
顔に深く刻まれた皺からは、忍耐強さと意思の固さも伝わってきたし
微笑んだ時には柔らかく優しくフワンと包み込まれるような感じで、
その頃、まだ20代前半の私は、
これが本物の指導者なんだ。。。と思ったのでした。
彼の物静かな戦いが、アパルトヘイトを撤廃を導いた。。。
さてさて、これまで通ってきたところとはちょっと雰囲気が変わりました。
なんだか、庶民的な感じです。。
1990年までは、こうやって街中を歩くことすらできなかった黒人さんたち。。
または、非黒人がこんな風に車で通過することすらなかった??
やっぱり、ビバ・ネルソンマンデラです!!(笑)
これから秋に向かう南アフリカ。。
色のつき始めた並木道を通り。。。
中国人が密集すると言う地区を通りすぎ。。。
運転手、ビバ君が、突然、あの写真を撮れと。。。 また強要。。。(笑)
はい! パシャリ!!
おぉ♪ サッカーボールね♪ ワールドカップね♪
と言ったら、
違う!! あっち!! あっちのスタチュー!!
おぉ。。 こっちか。。
ん?? おぉ、ビバ・ネルソンマンデラ!!
運転手のビバシャウトをマネして、そうシャウトする私を無視。。。
で、手に持っているツルハシを見ろと。。
ん。。。見たよ。。
で、右手に持つのが、金の塊だそう。。
なんでも、この辺りで1880年代に金鉱脈が発見され、
金鉱山事業で栄えた地区とか。。
なるほどぉ。。 そう言われればこのスタチューどう見ても黒人じゃない。
金欲に目がくらんだ人の体形だ。。
。。。。。。
そんな感じで、ホテルから空港までの短い距離を
ビバ、ビバを叫びながら、市内観光を楽しみ、到着いたしました。
ヨハネスブルグ O.R.Tambo国際空港です。
上から見た到着ロビーです。
ガーナと違い、とても洗練されてます。。。
やっぱ、南アは先進国だ!!
そんな南アフリカ。。。
今度は、マジでプライベートで遊びに行きたいです!

