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2007/5/30(水) 午後 10:30
12月7日
毎日、大変あたたかい。 風邪はよくなった。
こちらも明日から試験である。
いろいろむずかしいことだが最善を尽くしなさい。
一月八日のキップを兄ちゃんの分と共に二枚たのんだ。大体、大丈夫だと思う。帰りは何でもよろしいが若し列車で帰るならば往復買って帰るとよい。幾分安くなる。
グランドは昨日調律に来てもらった。
帰ったらどんなにひいてもよろしい。
今日、母が久留米にお参りをした。
しっかり頑張りなさい。きっとよいことがあるとのこと。
火の用心、部屋の空気をときにかえること。
父より
憧れの音大に合格、夢と希望に胸はずませて上京したのですが、
現実は地味~な寮生活にソリの合わない先生、その他もろもろ・・・ですっかり落ち込んでしまいました。
こんな生活を4年も続けるのか・・と暗澹たる心境、孤独感でいっぱい・・
悶々とした日々を送った末、ついに後期試験が迫る晩秋のころ、授業をほっぽりだして福岡に帰り、両親に大学をやめたいと言いました。
親不孝の極みです・・・裕福でもない家計の中からやりくりしてなんとか音大に行かせてもらってるのに・・・
びっくり仰天の両親に、「とにかく後期試験だけはちゃんと受けてそれからもう一度考えてみなさい」と説得され・・・・
東京に戻った私に数日おきに父から手紙が送られてきました。
教職で仕事人間で、マメに子どもの私と連絡をとるようなマイホームパパではなかった父が・・・
本当に心配だったのだろうと思います。
官製はがきに飾り気のない他愛ない文・・長い歳月を経て読み返すと、
なんとか私が(中退することで)挫折感や自己嫌悪を抱えることのないように・・と必死だった父の気持ちが私には感じられました。
安いつるしの背広を着て、安い靴を履いて、
本の虫で、風呂敷包みの中は直筆の原稿。
あまり強くない身体でいくつかの病気を乗り越えながら仕事、仕事・・・
大正生まれだけど子どもに向かっても
「それはお父さんが悪かった。ごめん」と言える父でした。
最期の時も、集まった親族に向って
「自分の臨終のためにこんなに集まってくれて申し訳ない。ほら、○○(薬剤師)はもう病院にもどらんと皆さんに迷惑をかけるよ」と気を遣う父でした。
17年目の父の命日の今日、テレビでは国民的美人女優がお父さんとバージンロードを歩いていました。
私も、尊敬する父を持てて幸せだと感じています。
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