私が働くチームのクライアントの多くが、精神疾患と共に薬物依存症を持っています。毎日たくさんのクライアントと接していますが、そのほとんどが過去のトラウマを抱えています。壮絶なものが多く、その過酷な体験が依存症の原因となっていることが多いです。

 

先日の記事で、政府支援の薬物を安全に摂取する施設("Supervised Consumption Site"と呼びます。略称"SCS")、を紹介しました。



カナダ、アメリカを含む北米で初めての正式なSCSは、私の住むカナダのブリティッシュコロンビア州のバンクーバーで、2003年にオープンしました。その地域のドクターが、ハームリダクションについての本を出版し、ベストセラーとなりました。この本の登場が、北米に一気にハームリダクションという概念を広めたといわれています。

 

そのドクターの言葉で、”The question is not why the addiction, but why the pain.” という有名なフレーズがあります。「問題にすべきなのは、なぜ依存症なのか、ではなく、なぜ苦しんでいるのか」という意味です。依存症の奥底には、その人の苦しみや痛みがあります。


「依存症とは、その人の選択でも病気でもなく、人間がどうにかして問題を解決しようとする ”attempt (試み、挑戦、いどむこと)” である」。その問題とは、その人の苦しみや痛み、トラウマ、様々です。その苦しみを解決しようとして、人は依存症になるのだとドクターは言っています。

 

この根本的な理解なくして、依存症の治療は難しい。そして、この理解こそが、今の世の中に欠けているものであると思います。依存症の原因はとても複雑で難しく、また根深いものです。単に好奇心で手を出した、とかそういう問題ではなく、また、薬物その物に依存性が高いからやめられない、というだけの問題でもありません。もっと深くその人に寄り添う必要があるのです。

 

私は決して薬物を「容認」してほしいと言っているわけではありません。「理解」が広まってほしいと思うのです。特に日本では、一度でも薬物を使用したら、世間の目は本当に冷たくなり、あまりにもバッサリと世間からはじき出されてしまう。

 

一度でも薬物を使用したら人生終わり、という恐怖ベースの教育を私たちは受けてきました。それはもちろん、抑止力として一定の効果はあります。でも、それが依存症で苦しむ人への正しい理解を妨げている一因にもなっていると思います。

 

繰り返し言いますが、私は薬物を容認しているわけではありません。

 

周りの人の理解だけで回復するわけでもありません。本人のやめるという強い意志は依存症の回復に不可欠です。

 

ただ、様々な原因が複雑にからまりあってなってしまうのが依存症です。それらに寄り添う周囲の理解と適切なサポート、そして本人の努力で、薬物依存から回復し、人生の新しいスタートを切ったクライアントを見てきました。

 

一度でも薬物に手を出したら終わり、ではありません。

 

回復の道はあります。

 

決して終わりではありません。