吉野ヶ里歴史公園 | taka@GH-AP1のグラとS2000とPerfumeと

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アラ還おじさんが名古屋グランパスとS2000とPerfumeをメインに仕事の愚痴、日々の出来事などを交えて、思いつくままに書き綴っていきます。

昨年は、遅めに博多に入り、早めに博多を立つと言う、ほぼサッカー観戦のみの旅行でした。


今年は少し観光を交えたりして。


吉野ヶ里遺跡が鳥栖から近いことを知り、行って見ることにしました。



歴史の勉強は嫌いでしたが、歴史自体は好きですwww



新鳥栖駅から普通で10分ほど。


最寄り駅の吉野ヶ里公園駅に到着。


駅を出て遺跡の方向に向かうと、案内標識が出て来ました。



吉野ヶ里歴史公園 2.1km。意外と距離があるんですね。


確かにHPでも、徒歩15分って書いてありました。




国道沿いを遺跡に向かって、トボトボと歩いて行きます。


この時は小雨の天候が、正直うれしかったですね。


炎天下だったら、熱中症になりそう。



公園に着いて、入場券を買いましたが・・・


間違えて大人&こどもの2枚を買ってしまったのは内緒です。


いや、子供は居ませんからって、結婚もしていませんので(笑)




公園内も広い・・・





入り口から進んでいくと、


外環壕と乱杭が再現されています。






外敵からの防護ですね。



続いて南のムラから見ていきました。


住居や高床式倉庫が復元されています。




竪穴式住居の中。







公園は遺跡の保護のため、発掘調査の後は盛土で覆い、その上に住居などが復元されているそうです。



簡単に復元と言いましたが、その数が半端ないです。





高床式倉庫群。





市長の住居です。






同じく高床式の倉庫群。




この辺りがクニの交易の中心地だったそうです。




更に公園内を奥に進みます。




外環壕の内側にも壕があったりして、区画が分かれています。




甕棺墓列の跡。「かめかん」と読みます。





弥生時代には、既に死者を弔う風習があったようですね。




北墳丘墓です。



ここは王、またはそれに近い人たちが埋葬されていた場所のようです。




副葬品の青銅の剣と管玉。






発見当時の様子が再現されています。






北内郭、ここはまつりごとが行われていた場所と考えられているそうです。


祭殿です。




中にはまつりごとの様子が再現されています。






まつりごとを行う人物が女性のようです。


これは卑弥呼をイメージしたのでしょうか?




内郭の出入り口は入り組んでいます。


外敵からの防護にかなり気を使っていたようですね。





北内郭の発掘当時の様子です。






滞在時間、約1時間の駆け足でした。


資料館なども見たかったのですが・・・




ゆっくり見ようと思ったら、半日コースですね。


できれば、春秋などの季節の良い次期がお勧めです。



曇りでしたが、駅に向かう時には汗びっしょりでした。





次は三内丸山遺跡にも行ってみたくなりました。


青森ですねぇ。青森にはJリーグのチームはなかったな。




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