昨日アップするつもりでしたが、写真の整理やサイズダウンなどをしていたら、いつの間にか寝ていた(爆
最近、寝落ちする事が多いような気が・・・
では、零戦&チハ車を見に行こうツアー…その2です。
河口湖自動車博物館&飛行館で、零戦2機と、その他もろもろを堪能した後は、次の目的地へ。
その場所は、富士宮市にある若獅子神社。詳細は下記の公式HPを見てください。
http://www.wakajishi.jp/index.html
旧日本陸軍の少年戦車兵学校の跡地に建てられた神社です。
この神社に安置されているチハ車を見るのが今回のツアーの2つ目の目的です。
チハ車など言っても殆どの人には分からないと思います。
旧日本陸軍の主力戦車であった九十七式中戦車チハの事です・・・いや、これでも分からないでしょうけど。
九十七式の名前は、零戦と同じで正式採用された年を皇紀の下2桁で表したものです。
戦車は当時、軽戦車、中戦車、重戦車の3つに分類されていました。中型の大きさ、兵装と言ったところです。
チハ車とは、開発当初のコードネームで、「チ」はちゅうせんしゃの「チ」、「ハ」はイ、ロ、ハの「ハ」で、3番目を表します。
ようは、3番目に開発された中戦車と言う事になります。
公式HPにも記述のあるこの帰還戦車の由来が書かれた石碑。
こちらが、その実物です。
今では観光地として有名なサイパンの海岸に埋められていたそうです。
サイパンは太平洋戦争の激戦地の一つで、日本軍は玉砕して多くの人命が失われています。
正面には献花や供え物がありました。
車体全体に無数の弾痕が見て取れます。
米軍の上陸作戦の際に、海岸線で盾となって戦ったのでしょうか・・・
車体の後方は比較的、被弾の後は少ないようでした。
スペックが書かれています。乗員は4名、4人の尊い命がこの車体と共に散ったのでしょう。
車体全面には、腐食を抑えるために樹脂のコーティングがされていました。
しかし、そのコーティングも剥がれているところが。。。
模型でドイツのティーゲル(タイガー)戦車と比べると、貧弱に見える車体も実物を見ると思いのほか、大きく見えます。
砲塔は、今でも威圧感があります。
砲塔の下方にも多くの被弾の後があります。
河口湖博物館の零戦はきれいにレストアされていましたが、こちらは最小限の補修に留まっているようです。
最終の補修整備が平成元年とありました。
また、車体を覆う屋根は平成20年に作られたようです。
帰還を果たしてから、20年以上も風雨にさらされていた事になるので、車体の腐食は、安置後にかなり進んだと思われます。
やはり、このようなものを修復、保存する事は難しいのでしょうか・・・
公式HPにあるように、同時期に帰還したもう一両は、修復され靖国神社の遊就館に保存されています。
どうも、靖国と言うと、色々と物議を醸し出していますが・・・
右よりと思われたりして。。。
お国のため、否、愛すべき人のため、守るべき人のために、戦い命を落とした方々に敬意をはらう事はいけないのでしょうか・・・
今回のツアーで、改めて平和である事が、如何に幸せな事かを感じた次第です。
そんな時に、日本人女性ジャーナリストが銃撃を受けて亡くなられたとのニュースが・・・
今なお、世界のあちらこちらで紛争が続いています。
なぜ、人類はそんな愚かな事をしてしまうのでしょうか?
なぜ、人は争わなければならないのでしょうか?