グループB | taka@GH-AP1のグラとS2000とPerfumeと

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アラ還おじさんが名古屋グランパスとS2000とPerfumeをメインに仕事の愚痴、日々の出来事などを交えて、思いつくままに書き綴っていきます。

今日は雨降り、これといってやることもない。

と言うことで、Perfumのニューシングル「VOICE」を買いに行ったついでに買ってきた本を読んで過ごした。

RALLY&Classics vol.1 (SAN-EI MOOK)/著者不明
¥1,980
Amazon.co.jp

上の写真は、vol.1だが、実際に買ったのはvol.2、amazonにvol.2の写真がなかったので、1で代用。


vol.2のサブタイトルは「よみがえるグループB」 1982年から1986年までの僅か5年間、WRCを戦ったマシン達


表紙の写真はAUDI SPORT QUATTRO S1


ちょうど、自分が免許を取って車を運転するようになったのがこの頃になる。


初めに自分の車として持ったのがHONDA バラードスポーツCR-X 1.5iだったように、ライトウェイトスポーツが好きで、車の運転も好きだった。

高校、大学の頃からの模型仲間も、自分の車を持つようになり、その中にダートラ、ラリーをやるものがいた。


そんな頃、週末にその友人宅に集まり、夜な夜なWRCのビデオを鑑賞していた。そのビデオがグループB全盛期のものだった。そんなビデオを見た後、深夜に近くの峠に走りに行ったりもしていた。


そのビデオの中で疾走するグループBマシンの中で、私を魅了してやまないマシンがあった。

その名にRallyを冠したLancia Rally 037 最後のそして究極の2WDラリーカー。

ラリーカーと言うと無骨なイメージが強いが、その流麗なスタリング。


カウンターステアを当てながら、その美しくもダイナミックなコーナリング姿勢は私を虜にした。

また、ターボ全盛期の中で、スーパーチャージャーが奏でる甲高いエキゾーストノートは官能的でもあった。


しかし、そんなグループBは、短時間に急激な進化を遂げていった。

ターボで加給されたエンジンは400馬力とも、500馬力とも言われた。トルク配分を変えることのできる4WDシステム。鋼管スペースフレームにケブラーのボディ、車重は1tを切る。


そんなモンスターマシンが公道を走る(SSはクロースドされているとは言え)のは、狂気の沙汰に見えた。


サーキットのようにセーフティーゾーンがあるわけでもなく、コースアウトはクラッシュか転落、横転を意味する。


そして、悲劇は起こった。86年のツール・ド・コルス 若きフライングフィン ヘンリ・トイボネンが駆るLANCIA DELTA S4がコースアウトし、クラッシュ炎上。コ・ドライバー セルジオ・クレストと共に帰らぬ人となった。


その前にも、コントロールを失ったマシンがギャラリーに突っ込んだり、ベッテガの事故死、バタネンの大クラッシュなど、グループBの危険性は叫ばれていたが・・・


こうした事態を受け、グループBは廃止が決定された。僅か5年間であったが、鮮烈な記憶を残して走り去ったマシン達。本を読んで、また甦ってきた。