妹とランチ。

何の報告も出来ない時期で申し訳ないな、と思いつつ。

空気を読んで受験の話をしないでくれていたが、

やはり長男の大学受験の話に。

全落ちに近い状態、と報告。

浪人するかもね、滑り止めしか受かってないし。

と、暗いトーンで言う私に、

「受かってる大学があるのに、なんでそんな暗いの?滑り止めだろうがその大学行って早く社会に出るための大学の勉強に進ませた方がいいよ」と喝。

それでも私は納得できず、モヤモヤ。

「浪人しても保証はないし、

大学でも勉強は続くし、

滑り止めとはいえ選んで受けた大学なんだから、

そこしか受からなかったとしても、

それが縁なんじゃない?

早く大学にならせて、バイトとかサークルとか活動させて、

社会に出る準備の4年間とした方が為になるのでは」

と言ってくれました。

私の頭の中は、

大学卒業後の就職なんてすっぽ抜けていたし、

大前提である大学で学ぶ事が薄れていた。

希望していた大学に進まなくとも、

どの大学であろうとも、厳しい勉強をやりつつ、

人間関係や社会の仕組みを味わうのが大学生。

そう思ったら、大学名に拘りすぎるのは危険かな。

親として、大学受験はあくまでも通過点であり、

縁があった大学があるなら進み、

そこで最大限を吸収することを勧めるべきだと、

気付かされました。

また、妹に教えられました。

きっと母も同じことを言うだろう。

私は視野が狭すぎて、

滑り止めという言葉に固執し、

浪人しないことを逃げのように感じて、

バカな私の思い込み的考えを長男に伝染させてしまうところでした。

最後は長男が決めることだけど、

滑り止め大学への入学金は振り込むことにしよう。

滑り止めとは失礼すぎる、素晴らしい大学です。

未熟な私が親でごめんね。

長男よ、一流大学だけが大学ではないのさ。

どの大学でも学ぶことは沢山ある。

地に足つけて人生を歩もう。

まだ続く大学受験、そういうあれこれも学び、

試練を味わって大人になっていくのだよ。

妹、いつもありがとう。