ダブル受験を控え、変に心は穏やかです。
受験が終わってから息子たちにかける言葉を考えたり、
出願とかするべきことがあるくせに、
その先のことへ気持ちを巡らせている自分。
ダブル受験が終われば、息子たちは新しいステージが待っている。
長男は「大学生」or「浪人生」。
次男は「私立中学生」or「公立中学生+サッカージュニアユース入団」。
どちらになっても、受け止めるしかない運命。
もちろん、後悔して涙する、息子を目の当たりにしたとしたら、
一緒に涙し、何かもっと出来ることがあったんじゃないか、
と、脳みそフル回転させ反省するだろう。
でも、結局、感情は薄れていくし、
涙するほどの感情動かされる出来事は、
人生の中でも数回だろうし、それはそれでよい経験だ、と、
受け止め風化させていくだろう。
もう、それは50年近く生きていれば分かっていることであって、
後悔が人を強くするし、泣き続けて生きていくわけではないことを知っている。
受かって無事に大学生になれたとしても、
専門的な勉強を続けていく苦労があり、
頑張って受かったからこそ乗り越えられるものかもしれない。
簡単に手にしていたら、簡単に手放せるもののような気がする。
そのくらい並大抵のことではないということだ。
そういう意味では、やはりとことん頑張らないと、
結局、落ちても受かっても、
不完全燃焼で、前のめりになれない可能性がある。
やはり、努力して得たものはそれだけその人の何かになるんだと思う。
なんちゃって出来ちゃった、というくらいのものは、
次は出来ないし、持続性もない。
分かっていてもこういうことを親が教えたり導いたりできるわけでもなく、
試練を試練と思うか、努力は生ぬるくないか、が人によって違う。
結局、弱い人間を慰めることは意外と簡単。
イケイケどんどんな人に立ち止まらせたり、
周りを見るように忠告することの方が、
とても難しい。
子育ての一番最後の課題かな。
どうやら自分が何を考えているか、
何を考えたいのか、さっぱり分からない思考回路になっているみたい。