うんうん、解るわ、、、、

読みながら妙な安堵感にほっとした私。


夕刊の連載の執筆者はいう「妙なところで気後れして、あとで悔やむということが私にはよくある。」と、、、、

毎週愉しみにしている連載はプルーストの「失われた時を求めて」に魂を吸い取られてもいいぐらいに傾注し翻訳をされているフランス文学者の実体験が今回(8)である。


若き日にパリの有名書店のショーウインドーにプルースト直筆の書簡が額に収められ飾られていた。喉から手が出るほど欲しかった書簡だが、結局、その店に入る勇気が持てなかった。
その後繰り返し夢にみる。直筆書簡を、、、、


これは、痛い、、、、悔やむ、、、、ずーっと尾を引く、、、、。
当時どんな状況であっても悔やむ。


だが、思ったのは逆にこの痛さ、悔やみがあったからこそ、それらに纏わる事柄が脳裏に着かず離れずで、結局バネになったのではと、、、、。

 

 

私が若い頃、たまたま入った大阪梅田の日動画廊でベルナール・ビュッフェの「蝶」や「ピエロのシリーズ」や黒絵の具だけで描いた人物画などの絵が展示されていたのを見ていたら、画廊の方が「この絵が欲しいと思ったら将来必ず願いは叶いますよ。」と言うではないか。

その時はそれらの絵の持つ迫力に圧倒されながらも耳ではしっかりと聞いていた。

色鮮やかな絵よりもビュッフェが不遇の時代に黒絵の具しか買えずに、ひたすら白のキャンバスに黒絵の具で鋭い線だけで描いた絵に興味があった。
しかしそれだけだ。絵は見るものだったのだ。

 

後年、子どもの絵本で親しんだ「安野光雅さん」の「旅の絵本」に出合った私は、司馬遼太郎の「街道シリーズ」の挿絵でまた「安野さん」に魅せられることになる。

 

さらに後年フルタイムで勤めていた私は、仕事の帰りに寄ったデパートで「安野光雅さん」のシルクスクリーンの額に出合う。それも偶然に。


夏季賞与を貰ったところであり胸が騒いだ。(大それた事に、、、、)
その日は帰り、夫に相談し、翌日買いに行ったが、幸いなことに賞与はまだ残ったのだった。


長男も仕事帰りに待ち合わせし3人で行った。
私にとっては大きな買い物であり、ちょっと後ろめたい処を二人で後押しして貰いたかったのだ。
それは鉛筆のN0、入りで2点あったが勿論、若い番号を求めた。


私にとっては絵画のようなものは縁がなかった。
持てるものではなく観に行くものなのだった。


だが、若い頃に聞いた言葉「願いは叶いますよ。」は本当だったのだ。


その後、退職記念にイタリア旅行を夫としたが、ナポリ湾からみたベスビオス山には感動した。

「安野光雅さん」のシルクスクリーンの絵そのものだったのだ。


実風景が先にあるのは当たり前だが、私にとっては「安野光雅さん」が先なのだ。


「願いは叶う、、、、」この言葉は呪文になる。

 


”夕暮れの陽が窓ガラスに反射し、シルクスクリーンの夕日の色と一致したのを写真に撮った何年か前の写真”