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倉橋惣三
保育原理で問われる日本人は、その約8割が「倉橋惣三(そうぞう)」という人です。
倉橋惣三は、保育士試験で問われる日本人の中でも、特にその思想について、深く問われています。
倉橋惣三ってどんな人?
倉橋惣三は、静岡市生まれ。でも、お父さんが少々見栄っ張りだったようで、小学校の途中から母と二人で上京し、東京で学びました。子どもが大好きだった倉橋惣三は、学業の傍ら、東京女子高等師範学校附属幼稚園で子どもたちと遊んでいたそうです。
立教大学大学院児童心理学を修了。東京女子高等師範学校講師→教授→東京女子高等師範学校附属幼稚園主事(園長)になりました。※東京女子高等師範学校は、設立当初(明治期)には「東京女子師範学校」とよばれていましたが、その後何度か改称し、倉橋惣三のころ(大正期)には「東京女子高等師範学校」となっています。(試験では問われませんが、気になった方のために一応・・・)
つまり、根っからの子ども好きで、日本の幼児教育の先駆けとなった を務めた人物なんですね!明治時代には、フレーベルの思想が日本でも導入され、「恩物を使った保育」が行われていました。
ところが、日本で行われていた保育は、恩物を使ってはいるものの、手順が多く、堅苦しく、フレーベルが目指していた遊びを通しての保育とはかけ離れたものでした。(せっかくのいいものも、正しく使わなければ逆効果ですよね。)
倉橋惣三は、実際、東京女子高等師範学校附属幼稚園の園長になった後、倉橋惣三は渡米し、シカゴやコロンビア大学付属の幼稚園を視察しているので、デューイの児童中心主義の影響も受けているんでしょうね。(デューイと倉橋惣三は、ほぼ同じ時代の人です)
「幼児保育としては極く一寸する丈のこと」
倉橋惣三は、「誘導保育」を重視しました。これは、子どもに、その中から子どもが自身の生活やルールに根差した「」に至ることを目指し、そのための「」が保育の最も大事なものであるという考え方です。「誘導」ありきではなく、あくまで主体は「子ども」。子どもの「自発的に伸びようとする力」に、刺激を与えること、そのための環境を丁寧に構築することが「誘導」です。自由に遊ばせているだけでもダメで、何でもかんでも教えてやらせるのも違う。子どもの内なる力を信じて、ちょっと手を貸してあげる、それが誘導保育です。
誘導保育の保育方法と計画・・・一応、こういう過程があるらしいです。
倉橋惣三の誘導保育は、戦前の日本において「 」という標語のもとに取り入れられてきました。子どもたちのさながらの生活を重視したことで「さながら保育」とも呼ばれています。
倉橋惣三のやったこと
1935年「系統的保育案の実際」を公表東京女子高等師範学校附属幼稚園の保母らとともにまとめた、誘導保育案で、日本における初の本格的な保育カリキュラムといわれています。
1948年「保育要領」の作成「保育要領」は、今でいう「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」の原型となるものです。ただし、倉橋惣三が作成した当時は、法的拘束力はありませんでした。
内容は、
以上、
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