脳卒中での入院は、たとえば10年前なら2年など普通だった。現在は最高5カ月で追い出される。医療点数が下がるためが主な理由だ。
差額ベッドに入る人は、はっきりとした諸観察に基づき断じてもいい時期だと思う。まず、きちんとリハビリをやる。そのような習慣や稼ぎを自ら長く普通にやってきた人たちの、コツコツ型や、成功体験はそんなところにもハッキリと出るのは決して否定できぬことなのだ。
利き手問題に、数カ月の入院となる脳梗塞患者の8割は左、または右半身の麻痺に苦しむ。男性は明らかに右半身麻痺が多い。私は口内麻痺や頭部麻痺やらも未だに伴っているが、「他に悪いとこがありますか」と医師が聞いてきても、意味がない。メモをすればマシなくらいで、治療など何もしないのが現実だ。
自ら、言葉を失いながら根気のいる特訓を何年もかけてするものだけが、話ができるようになる。私も完全な認知症に陥りながら、今は前よりいいのではないか疑惑が出るまでになった。試験でも、言語療法士より数段高い。こっちはアウトプットのプロだからね。そのくらいの、つまり彼らには想像もできない自主訓練には耐えられる。
「利き腕」移行問題とは、大きく分けて2つに分かれる。
ほとんど動くことがないままで一生を過ごす人と、だいぶ良くなっても退院後9割はつい使わなくなってしまうケースと、だ。
もちろん、麻痺をする側に利き腕が属しているとは限らない。
結果から出発するしかない。大事な仕事に遅刻した経験を持つ人もいるだろう。時間が戻ってくれたら、と一度も考えたことのない人はまずいないのではないか?
時間が不可逆なことは、嫌でも学ぶ。麻痺も、その点で変わることはない。
日本人は、利き手が右である場合が多い民族であろう。野球で左に変える投手や打者もいることはいるが、たとえばゴルフでそうする人など聞いたことがない。
日本人は東アジア――東アジアの文化の定義として「箸を使う」と言ってみたいほどだ――ゆえもあり、遺伝的には左利きでも親が右に変えさせる方が断然多い。もともと左利きは少ないとのデータもあり、それは現実に即していると思う。
要するに100人の入院患者がいても、全員といっていいほど右が利き腕だ。
私も利き腕としての右をやられ、ピクリとも動かなかった。正確には1カ月近く、動かないことに気づかなかった。深刻だしょ?
(中略)
麻痺している者にとって、着替えも大変であることは想像していただけるかと思う。どちらかの半身麻痺での、下着や上着や靴下を身につけるコツはあるけれども、時間と根気は半端ではない。大半の病院はそこもサボる。が、この先にあるのは永遠の麻痺と、寝たきりの道なのである。自宅で誰も、着替えをまともに手伝えない。毎日外に出るチャレンジか、寝たきりになるか、ほとんど二者択一であるだけでなく、ものすごい勢いでパジャマ生活に傾いている。
利き腕でないほうを麻痺した方々をよく観察していると、実は大変なことが起きていた。利き腕がもとのように動くため、左手のでる幕がないように感じてしまう。が、利き腕は利き腕にすぎず、両手や左手を使う場面はものすごく多くある。
か、いたるところが壊れたため、優先順位が落ちるようだ。私は、そのような問題ではないと考えた。
毎日毎日やっては、できなくてもその試みをじっと静かに耐えて、4カ月に初めて指5本がかろうじてみな動き、5カ月目でテニスのラケットを両手で持て、8カ月目で20キロの荷物を持ち、ロシアまで行った。9カ月目には、乗り慣れない地下鉄の改札にカードを通す営為をブルブルしていたものの右でやりきり、左手の爪を右手で簡単に切れるようになって、盲点だった鍵も右手で戻せた。
10カ月目に初めてワイシャツの袖のボタンを、5分はかかったと思うが、はめることに成功した。目薬を右手でさしたときには、外では誰も気づかないはずだが、作業療法士たちは拍手をしてくれた。いったんできるようになると、自転車に乗れたときと同様、サボらない限り不可逆になる。11カ月目には、両手でパソコンを操作でき、総ての原稿をそれまで紙に左手で書くか、左手と左の親指だけを使って iPhone でずっと書いていたのだが、ついに細かい株取引でも右手が使えた。
(中略)
左手麻痺は羨ましいと思えていたけれども、右手を使えるように長い努力に耐えることは、かなりのモチベーションが働く。利き手でないと、片方だけで何とかなってしまう気になってしまう傾向が強い。
これをサボりとみなすのは大きな錯誤だ。ものすごく、つらいからである。ただ、その代償も極めて大きいと常に認識し続けるかどうかが、とても大きい要因であることも、また確かなのだよね。
(後略)
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