今朝も6時ちょうどに起きた。すぐに着替えて、「朝食ができましたよ~」と呼びには来てくれない――車椅子時代を終え、その後も食事処に行くにさえ長いあいだ付き添いが必要だったからね――ので、7:40まで軽い(軽いのか)ストレッチをする。
これを欠かしたのは、3月17日だけだ。朝食は7:00からオープン。じじばばは4:30とかに起き始めるらしく、7:00には着席しようとするのだよね。だが、全員に最も適切な温度で配膳されるので、時間がかかる。その忙しい時間帯が途切れるのは7:40なのである。他の人は7:00に着いても配膳は7:30ころになり、その後にクスリをナース立ち合いのもと飲まされ始める。7:40に行く私には着席の20秒後にスープも熱いものが出てくる。
私が35名前後のなかで「最も長くいる患者」になって、3週間が経つ。嚥下障害(えんげしょうがい。食べ物が飲み込みにくい)がきつく、水も口を湿らす程度にしか飲めなかった時代は、4月1日に終わった。いまは水が、飲める。
朝食後にコーヒーを楽しめるようになったのは、4月3日からである。死後(普通は病後と言われているが、私は再生するまで死後と呼ぶことにしている)初めて食事の1皿から利き手で箸を使えたのは3月29日からだった。
一昨日(おととい)、ある料理に豆4種が40個も入っているので嗚呼(ああ)と思いきや比較的ラクに挟めて食することができ、これは調子が良いなあと里芋に箸を伸ばしたところ、鉄アレイかと思えた。私には豆は箸で口に運べても、里芋はあまりにも手ごわかった。お皿に4つの里芋。私は、正当に持ち上げるまで1~2カ月はかかるとみて、刺してやった。ざまみろ。食えた。
本日の食事は8:05ですみ、どんどん人が去っていくので、食事処は3人だけ(3人ともテーブルが違う)となり、コーヒーを飲みながらメールその他の処理をした。今週、とりわけFXは急激で分かりやすい円高だったが、土日は休みである。朝6時に腕のストレッチを15分やったあとで、金曜終了(日本では朝7時)45分前にFXを30秒だけチラ見した。
コーヒーを飲みながらメールやSNSの処理をして、食事処までが独りで歩いて良い今のところ唯一の外部なので長い廊下を3往復して徒歩訓練をし、部屋に戻ったのは8:25。歯磨き後に単行本のあとがきをチェックし、8:49に自室を出てエレベーター前に向かう。
作業療法士の北村さんと落ち合い、2階の巨大なジムみたいなリハビリルームに行き、手足のマッサージと訓練を15分、その後、初めてやったリハビリは、たとえば新聞を丸めて、伸ばし、丸めて、伸ばし、次にこれも利き腕で1ページ分を4つに折る訓練をし、マジックペンとクレヨンで、記事に下線部や囲みをする練習などが続く。親指と人差し指の腹が真正面から合わないと、線引きの作業はできない。
丸めて伸ばし云々(うんぬん)――とは、古新聞(昨日の読売)1ページを前におき、中央においた右手のなかに全部おさまるまで5本のカヨワイ指でぐしゃぐしゃと次第に丸めてゆき、グーの形の右手のなかにボールのようになった読売新聞をもち、今度は左手で端を押さえるだけにして右手でぐしゃぐしゃになった紙を綺麗に――手アイロンみたいに――引き伸ばす、という昨日達成した握力10.7kgを前提に、作業療法士の北村さんが私のために用意してくれたリハビリメニューの1つ。
エンピツを使って新聞に何十回も線を引き手首の強化をしたり――もみな、私には右手を取り戻すために必要な道程なのである。やっと新聞を相手にした格闘ができたと思っても、右手の肘(ひじ)が大きく出る、というこの病気で麻痺した腕の快復過程でほぼ全員が陥る不具合を私も克服したかに見えても、新しい道具を使ったり技を覚えなおしたりするたびに、集中力が指先にフォーカスされ、肩や肘の動きが忘れられやすい。客観的に見て、直したり手伝ったり助言してくれるのが、リハビリ療法士だ。そのくらい分かれよ、厚労省の役人たち。

※右手にエンピツを持ち、字を書けるようまでなった。
全文はこちらからお読みいただけます。
これを欠かしたのは、3月17日だけだ。朝食は7:00からオープン。じじばばは4:30とかに起き始めるらしく、7:00には着席しようとするのだよね。だが、全員に最も適切な温度で配膳されるので、時間がかかる。その忙しい時間帯が途切れるのは7:40なのである。他の人は7:00に着いても配膳は7:30ころになり、その後にクスリをナース立ち合いのもと飲まされ始める。7:40に行く私には着席の20秒後にスープも熱いものが出てくる。
私が35名前後のなかで「最も長くいる患者」になって、3週間が経つ。嚥下障害(えんげしょうがい。食べ物が飲み込みにくい)がきつく、水も口を湿らす程度にしか飲めなかった時代は、4月1日に終わった。いまは水が、飲める。
朝食後にコーヒーを楽しめるようになったのは、4月3日からである。死後(普通は病後と言われているが、私は再生するまで死後と呼ぶことにしている)初めて食事の1皿から利き手で箸を使えたのは3月29日からだった。
一昨日(おととい)、ある料理に豆4種が40個も入っているので嗚呼(ああ)と思いきや比較的ラクに挟めて食することができ、これは調子が良いなあと里芋に箸を伸ばしたところ、鉄アレイかと思えた。私には豆は箸で口に運べても、里芋はあまりにも手ごわかった。お皿に4つの里芋。私は、正当に持ち上げるまで1~2カ月はかかるとみて、刺してやった。ざまみろ。食えた。
本日の食事は8:05ですみ、どんどん人が去っていくので、食事処は3人だけ(3人ともテーブルが違う)となり、コーヒーを飲みながらメールその他の処理をした。今週、とりわけFXは急激で分かりやすい円高だったが、土日は休みである。朝6時に腕のストレッチを15分やったあとで、金曜終了(日本では朝7時)45分前にFXを30秒だけチラ見した。
コーヒーを飲みながらメールやSNSの処理をして、食事処までが独りで歩いて良い今のところ唯一の外部なので長い廊下を3往復して徒歩訓練をし、部屋に戻ったのは8:25。歯磨き後に単行本のあとがきをチェックし、8:49に自室を出てエレベーター前に向かう。
作業療法士の北村さんと落ち合い、2階の巨大なジムみたいなリハビリルームに行き、手足のマッサージと訓練を15分、その後、初めてやったリハビリは、たとえば新聞を丸めて、伸ばし、丸めて、伸ばし、次にこれも利き腕で1ページ分を4つに折る訓練をし、マジックペンとクレヨンで、記事に下線部や囲みをする練習などが続く。親指と人差し指の腹が真正面から合わないと、線引きの作業はできない。
丸めて伸ばし云々(うんぬん)――とは、古新聞(昨日の読売)1ページを前におき、中央においた右手のなかに全部おさまるまで5本のカヨワイ指でぐしゃぐしゃと次第に丸めてゆき、グーの形の右手のなかにボールのようになった読売新聞をもち、今度は左手で端を押さえるだけにして右手でぐしゃぐしゃになった紙を綺麗に――手アイロンみたいに――引き伸ばす、という昨日達成した握力10.7kgを前提に、作業療法士の北村さんが私のために用意してくれたリハビリメニューの1つ。
エンピツを使って新聞に何十回も線を引き手首の強化をしたり――もみな、私には右手を取り戻すために必要な道程なのである。やっと新聞を相手にした格闘ができたと思っても、右手の肘(ひじ)が大きく出る、というこの病気で麻痺した腕の快復過程でほぼ全員が陥る不具合を私も克服したかに見えても、新しい道具を使ったり技を覚えなおしたりするたびに、集中力が指先にフォーカスされ、肩や肘の動きが忘れられやすい。客観的に見て、直したり手伝ったり助言してくれるのが、リハビリ療法士だ。そのくらい分かれよ、厚労省の役人たち。

※右手にエンピツを持ち、字を書けるようまでなった。
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