リオ五輪での、後味の悪い顛末。
《国際陸連は17日、ウィーンで理事会を開き、2012年ロンドン・パラリンピックの陸上男子走り幅跳びを制した義足のマルクス・レーム(ドイツ)が希望するリオデジャネイロ五輪への参加について「義足が有利に働いていないか公平性の問題を証明しなければならない」と結論を先送りした。》(「毎日新聞」2016年6月18日)
パラリンピックは同情の発露でしかなく、努力に努力を重ねて義足でオリンピックに参加することまでは許すが、メダルに手が届くとなると話が違うとおっしゃる。
コンタクトレンズやウェアやシューズが、有利に働いていない選手なんているんですかね?
さて、話は歌舞伎役者である菊月喜千寿さんに転じる。2歳から、ずっとこの世界で育った。
ついに45歳で名題披露し、五代目坂東三津右衛門に就任。順風満帆であったかと思う。
51歳のとき、大歌舞伎から転じて日舞菊水流をおこし、フリーの歌舞伎役者にして弟子もとった。
骨折をボルトで止めて舞台に立ち続けた結果、右足に毒素が蔓延していた。6度の手術を経て、ある決意をせねばならなかった。
右足切断。
6人いた弟子は全員が去り、家族を養うために生活保護を頼った。
ロンドンのパラリンピックで、義足の選手たちの華麗な姿を見て、自らも義足で歌舞伎ができないかと考えた。52歳で車椅子から義足の歌舞伎役者に転じる。
たとえば「弁慶」では終幕間際の飛び六方では、右足だけでバランスよく駆け抜け花道を消えていく。菊水さんにとっては、義足が外れて花道に置いてきてしまうかどうかのギリギリの装具であった。
このときの万雷の拍手に、新たな歌舞伎役者としての人生が再開したのである。
「朝日新聞」7月13日夕刊によれば、菊水さんはインタビューにこう答えている。
「肉体は失って初めて、その『存在』に気づく。動き、表現が見えてくる」。そしてこうも言っている。「(弁慶の六方に挑戦したことは)ゴールじゃない。スタートラインだ」
《国際陸連は17日、ウィーンで理事会を開き、2012年ロンドン・パラリンピックの陸上男子走り幅跳びを制した義足のマルクス・レーム(ドイツ)が希望するリオデジャネイロ五輪への参加について「義足が有利に働いていないか公平性の問題を証明しなければならない」と結論を先送りした。》(「毎日新聞」2016年6月18日)
パラリンピックは同情の発露でしかなく、努力に努力を重ねて義足でオリンピックに参加することまでは許すが、メダルに手が届くとなると話が違うとおっしゃる。
コンタクトレンズやウェアやシューズが、有利に働いていない選手なんているんですかね?
さて、話は歌舞伎役者である菊月喜千寿さんに転じる。2歳から、ずっとこの世界で育った。
ついに45歳で名題披露し、五代目坂東三津右衛門に就任。順風満帆であったかと思う。
51歳のとき、大歌舞伎から転じて日舞菊水流をおこし、フリーの歌舞伎役者にして弟子もとった。
骨折をボルトで止めて舞台に立ち続けた結果、右足に毒素が蔓延していた。6度の手術を経て、ある決意をせねばならなかった。
右足切断。
6人いた弟子は全員が去り、家族を養うために生活保護を頼った。
ロンドンのパラリンピックで、義足の選手たちの華麗な姿を見て、自らも義足で歌舞伎ができないかと考えた。52歳で車椅子から義足の歌舞伎役者に転じる。
たとえば「弁慶」では終幕間際の飛び六方では、右足だけでバランスよく駆け抜け花道を消えていく。菊水さんにとっては、義足が外れて花道に置いてきてしまうかどうかのギリギリの装具であった。
このときの万雷の拍手に、新たな歌舞伎役者としての人生が再開したのである。
「朝日新聞」7月13日夕刊によれば、菊水さんはインタビューにこう答えている。
「肉体は失って初めて、その『存在』に気づく。動き、表現が見えてくる」。そしてこうも言っている。「(弁慶の六方に挑戦したことは)ゴールじゃない。スタートラインだ」