このたびのカジノツアーでは、ソウルというあまりにも近い場所ではあるものの、7~8月にチャレンジしたロシア旅行に比べれば、かなりハードルは高かった。
チェックインは1時間前でいいことになっており、家族がタクシーで羽田空港まで同行してチェックイン後、あとはANAのアテンドを受けた。どこでも「並ぶ」こともなく、すべてがスムーズに運び、ラウンジで仕事を済ませ終え、搭乗開始直前に迎えに来てくれる――たぶん歩けないことはないのだろうが、ここで疲れてしまってはカジノに集中できない。そういう問題なのか?
もちろんそういう問題である。羽田空港や金浦空港で苦労して、旅の目的を遂げられず寝込んでいたとしたら、ANAのスタッフだって嬉しいはずはない。
搭乗客のなかで最も早く案内されるのが、このアテンドされたものたちであり、ハンディのある者としては、実にありがたい。
コンプ(カジノ側のサービス)でホテルを無料にしてもらうことや、勝ち負けにかかわらずカジノによっては利用頻度によってビジネス航空券をプレゼントしてくれる。私は五大陸のほとんどの国のカジノに行っているのに、最寄りの韓国のカジノは30年で50回程度、そのうちの過半は済州島であり、ソウルでもそれぞれの勝負はよく覚えていても、どのホテルのカジノであったかは、よほど通ったところでないと覚えていない。
Aさんと同じ便で土曜日の夜早めにホテルに着き、ANA地上職員(なのかな)によるアテンドには、このAさんも同行してくれた。この件で話はしなかったけれども――職員がいるからね――なるほど、と驚く部分もあったに違いない。私は国際線アテンドは3度目になるが、そのたびにこのおかげで安心の海外旅行ができるようになった。来年――退院1年後には――アテンドなしで世界を動き回れると思う。
ホテルも甘えてAさんに「隣室に確保してくれませんか」と依頼していた。何が起きるか分からない――いずれ話すことがあるかもしれないが、夏のモスクワで脳震盪(のうしんとう)を卓球中の転倒で起こしてしまった際、10時間も大変な事態になった。もちろん本人は覚えていないが、モスクワ在住の友人とその日は一緒におり、完璧な対応をしてくれていた――からでもあり、朝のビュッフェが難関のためもあり(隣室を)お願いした。が、申し込み時にはスイートルーム(も含めた全室)がひとつしか空いておらず、別館や隣のホテルに宿泊は別れた。
そのあたりの見極めが私自身にまだできづらく、ひとりになればなったで気を引き締めて、ということになったり、16階の部屋でぐっすり眠り、17階のVIP(?)用の朝食は、まだ右手が不自由なのだが、初めて店員の協力も得ず独力で運ぶことができた。箸はまだ苦労しているものの、ナイフとフォークとスプーンなら簡単に右手で食せるようになっている。11カ月かかった。
私には、そんなことでも嬉しいのである。
カジノは地下全体をしめており、韓国に17あるカジノのなかで、ウォーカーヒルは最も歴史が古かったかと思う。私は何度か来た記憶があり、どういう闘いをしたかは覚えているものの、ウォーカーヒルかどうかは関心がないか、高次脳機能障害によるのか、とにかく曖昧だ。Bさんはカジノ側からのオファーでホテルの高級ルーム無料サービス組である。
先発隊のBさんに車椅子を借りてもらったり、着くなりカジノカードを作ってもらったり――ちょうど10年前にもウォーカーヒルのカードをつくってもらっていたこともわかった。
この1年、汗をかく運動もできず、喫茶店で読書も、右手で包丁も、飼い犬を抱いてやることも、落語会で座ることもできていなかった。アイロンや洗濯や簡単な料理や掃除機や楽器などは使えるようになってきてはいる。
謎を解く、長めの売文を書く、地道にリハビリする――のは、今もノンストレスだ。映画や宝塚はよく観るところまできたが、ブロードウェイ通いにあと半年はかかりそう。ダイビングは以外に簡単だった。宇宙旅行は無重力なので、やります。今冬は野沢温泉の7キロコースでスキーを。テニスは、お金を取れるはずもないが、ゆっくりラリーができるまで、あと数カ月――。
まずラケットを持てなかったのだ、今年の4月までは。持てても、振ることができず、ボールを捉えるまでに10カ月かかった。
カジノも、同じような経緯を辿らねば復帰はできなかった。