「個性的」とかじゃなくて・・・ | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

GFコーチング高橋祐紀です。

個性的でありたい、なんて思います。

でも、個性的になろうなんて思ってなる「個性的」は、
流行の枠の中だったり、
表面的なものだったりします。

個性的であるかどうか、なんて別に価値のあることじゃなくて、

色々深く考えたり、
いろんな視点から考えたり、
それを表現したみたり、

そんなことをしている人が
結果的に個性的と呼ばれるようになるだけ。

要するに、どんな意味で個性的と言われたいのかってこと。

顔に100個のピアスをつけてて、「すごい個性的!」
とか、
中年の人の集まっている中で、
ジーンズを下げてはいて「個性的な若者だな!」とか。

そんなのもいいけど、

不思議な発想をする人とか、
問題を解決してしまう人とか、
世界を変えるんだ、っていつも言ってる人とか

なんか、そういうの、いいなって思います。

世の中に、自分の居心地の良い場所を探すんじゃなくて、
人が居心地いいなって思える場所を作ろうとしている人。

何かを作り出そうとする人を
その失敗を許容しながら
育てていく、世の中。

そんな世の中を実現するには、
やっぱり、
しっかりと真剣に話を聞いてくれる存在が
重要になってくる。

どんな発想も口に出して言い。
そんな安心感が、
人を育て、
世の中を変えていくのだと、
僕は思うわけです。

「それ、変でしょ」
「それ、違うでしょ」
「それ、前に聞いた」

とか言うのもありだけど、
「その発想ってどこから出てくるの?」
「おもしろいこと考えるんだね、その続きは」

なんて、いろんな人同士が、
話聞くことを楽しめたらいいな、と思うのです。