「これ」から卒業したい!これ、とは? | 彼は彼で、必死で生きてる           

彼は彼で、必死で生きてる           

良いも悪いも善も悪も
優れているも劣っているも
社会や時代が引っ張った
一本の線の上か下か。あるいは右か左か。

静かに目や耳を澄ませた時
見えてくるもの聞こえてくるものって
何なのだろう?

GFコーチング高橋祐紀です。

無意識的有能という言葉があります。

意識しなくてもできてしまう能力レベルの段階。

歌を歌いながら、特に何も考えずに
マニュアル車のギアをシフトしながら、
車をスムーズに走らせている段階。

明日の旅行のことを考えてニヤニヤしながら、
キュウリを切ってしまえる段階。

意識しても発進さえできなかった最初や
包丁をおそるおそる手にした時とは
明らかに異なるレベルですよね。

     *

僕が違和感を感じてしまう言葉、
「人が喜んでくれることをしよう」
というような言葉です。

大切なことなんですが、
その後に妙な感情がついてしまうことがあります。
「喜んでもらえたかな?
 喜んでもらえなかったかな?
 あの人のことを思って、やったのに
 わかってもらえない・・・」

人が喜んでくれるかどうか、
商売でも、お客様が喜んでくれるかどうか、
そこが基本になるわけで、
それは大切な視点です。

ただ、今朝のような青空をみていると、
なんだかそれが、
すごく人に依存した小さなことのように思えてくるのです。

十人十色。
同じことをやっても喜んでもらえないひとなんて
たくさんいる。

そのことで、喜んでみたり落ち込んでみたり、
そんなふうに振り回されるのって
どうなのかな、と。

    *

人が喜んでくれると、自分が楽しい気分になるってこと。
それが大切な事で、
うまくいかなかった時は、「残念、では次は違う方法を試そう」
と笑っちゃうのが良いと思います。
でなかったら、なんか「理想おしつけ魔」になってしまいそう。

自分の楽しみのひとつが、
「人が喜んでくれると思うことをやること」
だったら、
自己完結できそうな気がしませんか?
自由に楽しみを全うできそうな気がしませんか?

    *

特別何も考えずただ楽しくやっていると
なぜか、感謝の言葉なんかかけられたりする。
「へえ、感謝されてたんだ」
そんなふうに思いながら、ひょうひょうと
同じ日常を続けていく。

当たり前のように、誰も見ていなくても
歩く道のゴミを拾っている人。
だれに感謝されることもなくても。
神様が見ていようがいまいが。

使ったトイレを磨くのが習慣になっている人。
別にトイレの神様のことなど思い浮かべることなく。

人の話を真剣に聞く。
ただ、それが楽しいし、目の前の人が元気になると
自分も元気になることを知っているから。
良いも悪いもなく、それがただ日常だから。

   *
自分中心の考え方ともいうかもしれない。
さらに言えば、
自分中心であることさえも意識していないのかもしれない。

確実に近づいてきている秋を感じながら、
何かから卒業して、そんなものになりたいと思うのです。

雨の日には雨に打たれ、風の日には風に吹かれ、
ただ、
私はそんなものになりたいと思うのです。