昨日の羽広講師 を採り上げたエントリーで、
受験生には 実質的需要 と 形式的需要 がある
という言い方をしました(ちなみに私が勝手に作った造語です)。
司法試験の勉強法としても非常に大事なところなので、もう少しこの話を続けたいと思います。
まず、実質的需要とは、受験生が真に必要としている(するべき)需要のことです。
仮に、受験生が主観的にはその必要性を認識していなかったとしても、合格という観点から客観的には必要な、いわば正当な需要のことです。
対して、形式的需要とは、受験生が本来は必要とするべきではない需要のことです。
合格という観点からいえば、客観的には不要なものであるにもかかわらず、受験生の側が主観的に必要だと考えてしまう需要のことです。
消費社会では、このような歪んだ需要が受験に限らずよくあります。
そして、ロースクール時代の予備校の役割 をはじめとする複数のエントリーでしつこいくらいに書きましたが、現在の受験生の実質的需要(=真に必要とされるべきこと)は基本の修得です。
現在の受験生は、その背伸びした高度な勉強スタイル(形式的需要)からは想像できないくらい、基本部分の理解・記憶(実質的需要)が欠落しています。
というか、本当は、背伸びをするから基本が欠落するという構造なのですが・・・。
・自分にできうることを過度に高く見積もる、自分に対する過大評価
・自分ができていないことに気づかない、客観的な反省能力の低さ
こういった、要は根源的なところで試験をなめている態度が根本原因だと思うわけですが、ともあれ、このように実質的需要と形式的需要が混在しているのが現在の受験生の姿です。
言いかえると、現在の司法試験受験生(&ロースクール生)が、
①基本的な力さえ満足に身に付けていないということ(実質的需要) と、
②身の丈を超えてやたらと高度な勉強をしたがること(形式的需要) は、
矛盾しながらも両立しているのです。
本来は、一人の人格の中にこれら①②の需要が仲良く同居することは考えにくいところです(脳内が一種の分裂症状を引き起こしているのでなければ、普通は①②が両立することはないはずです)。
ところが、受験生の多くはどうやら、
②のことを考えているときは、①のことは忘れる
という高等テクニック(!)を駆使して両者を併存させているようです。
受験界では、とかく②のほうに受験生を煽り立てる言動がうんざりするほど目に付きます。
こういう言動にはゆめゆめ注意が必要です。
・・・といっても、煽っている側に「やめてください」と頼んだところで、絶対にやめてくれることはありません。
なぜなら、彼らにも彼らなりに煽る理由があるからです。
たとえばある受験生は、自らの不安を紛らわすため、これからも他の受験生を煽り続けるでしょう。
予備校もまた、ひとつでも多くの講座を受講してもらうために、(情報の圧倒的非対称性を利用して)あれも必要これも必要と、これまた受験生たちを煽り続けることでしょう。
予備校は、受験生のためにあるんじゃない。予備校が儲けるためにあるんだ。
(by 和田秀樹)
このように、受験生には、なんとしてでも他の受験生を一蓮托生(道連れ)にしなければならないという切実な目的が存在しているのです。
けっして中途半端な気持ちで煽っているわけではないのです。
三振なんかしてしまった日には、それはもう想像を絶する大変な事態が待ち構えているわけです。
その不安心理の巨大さを思えば、ロースクールで、あるいはネット上で、無垢な受験生たちを煽り立てる言動が、毎日のように真剣に遂行されていることは、むしろ当然のことと考えなければなりません。
彼らはそりゃもうむちゃくちゃ不安なのですから。
彼らにとっては、もはや毎日の勉強をきちんとこなすことなどよりも、ネット上で憂さを晴らしたり、他の受験生を巻き込んでいったりすることのほうが、はるかに重大で切実な目的になっているのです。
こういう言動に接したら、いちいち驚いたり不安になったりせず、自然現象として受け流すべきです。
朝が明るいからといって驚く人がいないように、夜が暗いからといって不安になる人がいないように、全ては自然なのです。
こういう人が不意にあなたの目の前に現れても、「あ、またいた」くらいに、当然のものを見たと考えるべきです。
予備校だって同じです。
この不況の中で、彼らも自分たちの大切な家族を養わなければなりません。
どのような手段を使っても、悪魔に魂を売ってでも、受験生から1円でも多くの金を引き出す。
これが彼らの仕事です。
たとえ受験生にどれだけ必要なもの(実質的需要)でも儲からなければ出しませんし、どんなに不要なもの(形式的需要)でも儲かるなら絶対に出します。
少し冷静になって考えてみれば誰にでも分かることですが、予備校がまず第一に受験生のことを考えるなんてことは、原理的にあるはずがない話なのです。
多くの受験生はややもするとこの点を忘れがちになるので、どうかご注意ください。
以上まとめると、煽っている側は煽っている側で、実はそれなりに必死なんだということです。
そして彼らにも、そうやって煽らざるを得ない(多くは同情に値する)事情があるのです。
ですから、受験生の側も、不安心理に駆られてこういう煽りに引っかかることがないよう、自らを自主的かつ意識的に防衛していく必要があると思います。