あれは⭕️

これは❌


わたしたちは常に何かまたは誰かをジャッジしている。

もちろん自分も。

いいか悪いかですべてを見ているんじゃないかなぁ。

❌だと思うと苦しくなって

行動が止まったり

それが他者ならバッシングしたり。


起こる事柄の一部を見て判断するのって、どうなんだろう❓

これって怖いことじゃないかな❓


起こる事象には事実があるけれど

真実は「捉え方」で行いく通りにもなる。

何をもって⭕️、❌とするんだろうね。


生きていると、人と関わるしかない。

人と関わらないで生きていくなんてできない。

だって

自分が生きていく上で必要なものは、必ず「誰か人の手」が加わってできているから。


お米を作ってくれる農家さん

肥料を作ってる人

梱包する人

運搬する人

段ボールを作っている人だって

袋を作っている人だっている。

裸で生活するわけにはいかないから、洋服を着る。

この洋服だって、沢山の人の手によって作り出されている。

生きていくのには、「人」が必要。


こんな小さなこともわたしたちは忘れてしまっている。

小さな、小さなことの大切さを

丁寧に教えてくださるのが

松田サリー先生✨


わたしは生かされているんだ

大切なひとりなんだ


そう思えるようになったのは

サリー先生のおかげさま。


傲慢で自分勝手で自己中なわたしが

「愛」について考えるようになった。

感謝ということの奥深さを思うようになった。


すべてが愛しく、すべてがありがたい。

そんな気持ちが生まれてきたのは

サリー先生がときに厳しく教えてくださったから。



一部の、

サリー先生のことを知らない輩が

サリー先生をバッシングしていると聞いた。

「一部」を聞きかじっただけで

何がわかるというの❓

何を知っているというの❓


悲しいし、怒りが沸いた。


サリー先生がどれだけ受講生のために時間を使っておられるかを知ってるの❓


くだらない誹謗中傷は誰のためにもならない。

心が歪み汚れるだけ。


愛がすべて。

サリー先生の愛とともに。