第三章 拒絶 | 中斜里のブログ

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子育て終了して、現在は、ウインドサーフィン
を趣味にして、シニア生活エンジョイしようと思っていたら
すい臓がんになっちゃいました。
そんな私の治療の様子や日々の雑記です。

D先生は中学からバレーを始め、高校では名門を破り春高に出場大学でビーチに転向して全日本強化メンバーに選ばれた直後に肩を負傷 彼の言葉を借りると、就任当初、中学女子バレーをいや指導することをなめていた
彼の指導は非常に理論的で的確だった。ベテランのK先生の指導も素晴らしかったが、そのK先生も舌をまく理論と観察眼でチームは強くなっていった
ただそこについていけない子供が続出したのも事実だった

長女は家に帰るとDに対する批判や苦情を毎日口にした
後日、長女から聞いた話だが
鼻血を出さない日がなかった位、その指導は壮絶だったらしい
そんなある日の放課後練習中に長女がまたまた鼻血を出し、止血の為体育館を出たまま行方不明になった

保健室にも教室にも屋上にも女子トイレにもいない

灯台もと暗し
長女は体育館の中にある倉庫兼女子更衣室に籠城していたのだ

予想外に事態が大事になった長女も慌てたらしい
出るに出られず籠城する羽目に
K先生がドラマのベテラン刑事のように扉ごしに説得を続けること1時間、遂に犯人は投降、御用となった

その事実を私達夫婦が知ったのは卒業後だったが

夏が終わり秋到来したころから、D先生の話題がよくも悪くも食卓にのぼる
ある日、長女が真顔で練習を見に来てほしいと懇願して来た
後にも先にも長女がそういったのはこの時限りだった

その理由とは