懲りずに第2章を始めさせていただきます。
長女6年生 次女3年生 三女 幼稚園年長の時が私の指導者としての本格スタートだったと思う。
選手の移籍問題や途中退団、Aチームの保護者が決まって口にする監督の指導力不足
チームをサポートする側に回って2年が経過しようとしていた私は、自分自身の知識のなさや経験のなさ、計画的に休めない仕事など様々な事柄を理由に常に一歩引いたところでチームとかかわってきた。
ただ、そんな私の気持ちとは裏腹にチームや地区における私の役割は日に日に増していった。
Bチームを公式戦に出場させるための指導者資格の取得、帯同審判員制度の開始に伴うC級審判員資格の取得、地区役員(審判部)試合前の会場作りや試合進行などなど、通常の生活とは違う世界を楽しみ始めたのもこのころだった。
そのころ協力的なお父さんたちが何人かいて、今でも親しくお付き合いしている人もいる。
飲みにもよく行ったし、催し物も積極的に盛り上げてくれた。
恒例の地区選抜対抗戦があったが勿論、長女は選ばれることもなく、応援側にいて
中学では吹奏楽部に入るといっていた。私もそれを望んでいた節があったと思う。
運動の苦手な長女だったが、親に似て(私はそう思っています。)音感に優れ、年長から習い始めたピアノは結構なレベルになっていた。小さいころから私はピアノにあこがれていたが、貧しく狭い我が家ではピアノを習うことができなかった。その夢を娘に託した格好だった。
卒業式が終わり、中学入学 いくつかの部活で体験入部したが、親の期待を裏切って長女は
バレー部に入部してしまった。
同じように入部した新入生の中には、移籍し、前年に全国大会出場したMさんの娘のAとEがいた。近隣の強豪私立中学への入学も考えたようだが、結局、セッターだったMGだけがそこへ入学することとなった。
もしこの時に、MGが同じ中学だったら、多分 今の長女はなかったと思うと、人間の人生はどこでどうなるかはわからないものだと思えてならない。
そして、ジュニアには三女が入部した。
この年も前年同様 6年生が多くまた大いに期待できるメンバーだったため、5年生以下を私がBチームとして指導していた。
5年生3人、次女のいる4年生が4人、3年生1人、2年生1人、1年3人 総勢12人いたメンバーの中で私の指導者魂に火をつけてくれたのは、5年のHOだった。
4年生から入部したHOは、とにかく想像を絶する前代未聞の部員だった。