『206』‐4 | geteiltさんのブログ

『206』‐4



朝日が差し込む部屋をすり抜けるようにして浴室に入り、僕は溜息を吐いた。
今までに見た姿や昨日のビジョンから考えて、彼が命を絶ったのがこの浴室であることは明らかだ。
びっしょりと掻いていた汗でべとつく身体を、熱めのシャワーで流していく。
シャワーの温度を上げたのは目を覚ます為以外にも理由がある。
夜の間に見た彼の記憶と、できるだけ重ならないようにするためだ。
意識を共有した直後に同じ行動をすることは引きずられやすくなってしまう気がして、僕はいつも意図的にそれを避けていた。
それでも、彼の想いは…記憶は、かなり強烈だった。

あの、浴室でナイフを振るう記憶が強すぎて、他の記憶が殆ど再生されないのだ。
おかげで僕は一晩中、あの紅と暗闇の記憶を見続ける羽目になった。
けれどそれは、彼がそれだけその記憶に縛られていることの証明でもある。
断片的に見えた他のことが、ひどく曖昧になってしまうくらいに彼は…苦しんでいる。

ミルクティー色の髪をした、優しげな少女の姿。

彼の視点から見えたもので、唯一優しいのはその少女だった。

他には、学生服の少年たち。
校舎裏で取り囲まれる記憶。
体育倉庫や教室、揺れる視界。

それらが死の記憶の中に、フラッシュバックするようにちりばめられていた。

明確なのは、あの優しい少女が「妹」だってこと、それから、
彼を自殺にまで追い込んだ原因は恐らく、いじめ…それも相当、悪質で酷いものだったんだということ。

そこまで考えてふと自分の腕を見た僕は、危うく悲鳴を上げそうになった。

左腕が、真っ赤に濡れていた。

慌ててシャワーを当てて洗い流すと傷なんて何処にもなくて、僕は安堵の息を吐く。
振り返ると彼がいた。
此処で見る彼はそのときの、
死んだ時そのままの姿なのだろう。
真っ赤に染まったシャツ、血の滴る左腕。
顔にまで飛び散った血痕は、彼がナイフを何度もなんども振り下ろした結果なのだろう。

『……たすけて』

蚊の鳴くような微かな声で、彼は懇願する。

『…たすけて……』

今にも泣いてしまいそうな彼の瞳が切なくて、僕は彼を腕の中に抱き込んだ。
触ることが出来るなんて思わなかったんだろう、彼が驚いたように目を見開く。

「君の…名前を教えて?」

「今日から、君がこんなになった理由を調べるから」

「君のことが、知りたいんだ…」

死者を相手に、こんなに必死で語りかけたのなんて初めてだ。
それは、そう。
恋、に似ていた。

彼の姿が歪む。
怯えた瞳が僕を見て、薄れていく。

「隠れないでっ…君の」

『………ルルー…シュ……』


ぽた、と半透明になってしまった彼の瞳から、一滴の血が流れ落ちる。

涙を流せないらしい彼は、血でそれを表現したらしかった。

『…ルルーシュ……』

もう一度そう呟いて、彼は腕の中からすり抜けて消えてしまった。

ルルーシュ。
それが彼の名前なら。


調べるべき内容を整理しながら、僕は出しっぱなしだったシャワーに向き直る。

ルルーシュ。
僕が君を、助けてみせるよ。


浴室の中には、真新しい血のにおいが漂っていた。