昨日から
天気が流動的で
晴れたり曇ったり
煮え切らない感じですが
午前中
どうもしんどい
体がだる~い
おしっこばっかり
ノドが渇く・・・
高血糖の症状・・・・
んで
測ってみると
・・・460
めっちゃ高い
インスリンもちゃんと打ったし
なんでだろう
♪なんでだろう~なんでだろう~ (byテツandトモ)
・・・・古っ!
いやいや
ふざけてる場合ではない
とにかく
追加でインスリンを少し注入
♪少し注入~ てやんでい!(by楽しんご)
・・・・古っ!
いやいや
それでだ
1時間ぐらい安静にして
ちょっと運動で血糖値を下げようと
散歩に出ることに
デジカメ持って
歩き出します
んが
どこに行こう
「そうだ京都に行こう」(byJRのCM)
・・・古っ!
何の話だっけ?
ああ
そうそう散歩です
とりあえず
懐かしい通学路をいってみよう
いやーなつかしー
ゲテの通ってた学校の通学路は
なんと
旧街道
「竜田越え奈良街道」(たつたごえならかいどう)
といって
奈良の都「平城京」から大阪難波まで続いた道
その街道みちを
通ってました
だからね
路端に120年~130年前の道標がいくつもありました
幕末あたりのやつです
学生の頃は
遅刻寸前で走って通った路を
のんびり歩いていくと
やはりもう32年前のことですから
かなり様子がかわってまして
ちょっとショックだったですねぇ
さて
中学校に到着
でもまぁ中に入れるわけもなく
かといって外から眺めてるのも
こんなご時勢です
怪しまれること確実
そそくさと校門を後に
世知辛い世の中です
そこから街道は県境へ続くのですが
その手前に
以前にも紹介しました
「竜田大社」(たつたたいしゃ)
風の神さま
「風神様」が祀られております
鳥居横の大灯篭には
「江戸廻」
「酒諸荷物」
「積問屋仲間」
とあります
おそらく
昔の回船問屋の仲間で
奉納したものと思われます
当時の船は帆船で
風が動力でした
風神さまに
航海の安全祈願をしていたようです
さて
大鳥居をくぐって中に入ります
と
厄除け祈祷の看板
・・・女性って30代はほとんど厄じゃないの
男は40代か
ゲテは41からずーっと厄です
拝殿
お社の千木(ちぎ)
角みたいにとんがってるやつ
この上に尖ってるのが「男神」(おとこがみ)
横に切れてるのが「女神」(おんながみ)
それぞれ祀られているのだそうです
神社を後にして
以前糖尿で入院していた病院の前を通り
坂道をよいしょよいしょと登ってきて
王寺町(おうじちょう)
写真の中央がJR王寺駅
以前は貨物ターミナルもあって
大きな駅だった
ゲテが子供のころは
早朝
機関車の汽笛とか
連結器の”ガシャン”っていうの
聞こえてました
ここから少し下っていくと
ゲテが通っていた
「三郷小学校」(さんごうしょうがっこう)
もちろん姉もここ卒業です
いまは
学区がわかれて
ゲテが住んでいる地域は
こことは違う学校に行くことになってます
で
この横が
前述した
三郷中学校(さんごうちゅうがっこう)
通称”三中”(さんちゅう)
ゲテが通ってた頃は
一学年5クラスだった
その後
この近くに大規模な宅地造成が始まって
大阪などからたくさん移住されてきて
人工が爆発的に増えてね
5クラスだったのが
3年生の時に6クラスに
したがって教室が足りなくなって
英語教室が機材を撤去して
一般教室に改装
急ごしらえの教室に
ゲテは6組に編入され
その即席教室のクラスになった
5組までは上の階で
6組だけは下の階
下の階は保健室と6組だけ
連絡網は上の階で止まってしまったり
休み時間でも
よそのクラスから
わざわざ階段使って遊びに来る者もいない
下の階の6組は
なにかと仲間外れに
すぐ横がね
草むらで
よくでっかいムカデとか出没してた
でもまぁ
階段登ることがなく
楽だったけどね
いやー
なつかしい
またいつか
学生の頃の
おもしろ話
書きたいねぇ
じゃまた