ゲテ
このところ
「断捨離」
を決行しております
「いらない」物を
「いならい」と決めて捨てる
いろんなものをキッパリと
決別して
ドンドン捨ててやった
が
どーしても捨てることを
ためらうものがある
VHSカセットですよ
TVで映画を録画したもの
映画には版権がらみで
今はDVDも出版できない作品があって
そういう映画を録画したものだ
これ
かなりの貴重品だったりする
悩んで悩んで
結局、厳選した数本だけを残して
捨てることにした
その残したVHSも
内容をDVDレコーダーに録画して
カセットは捨てる予定だ
で
先ほどまで
その録画をしていたのだが
そこに録画されていたのは
映画ではなくドキュメンタリー番組だった
ドキュメンタリー番組好きのゲテ
録画しながらしばらく見ていた
「長崎 映像の証言 ~よみがえる115枚のネガ~」
1995年8月9日放送分の録画したものだった
16年前だ
長崎の原爆の直後
軍の指令を受けて
従軍カメラマンの山端庸介(やまはたようすけ)氏
が、被曝直後の長崎市に入り
9時間に渡り市内をまわり写真を撮った
その写真に感銘を受けた
アメリカ人ドキュメンタリー映画監督が
アメリカで個展を開催するため
痛んだネガフイルムを修復し
その写真を紹介しながら
当時、写真に写った人物を探し
インタビューをする
という内容だ
この写真
この顔
途方に暮れた顔
この女性
当時(’95)
まだご健在であった
足元に遺体があるが
この少女の母親なのだそうだ
頭に女性が贈ったべっ甲の櫛が刺さっていて
わかったんだって
・・・・・
この写真も
長崎原爆の写真として見かける
三菱の工場で働いていた人たちだ
じつはここに写っている人で
当時ご健在だった方がいた
この方
トラックの下で
横になっていたのがそうだったという
わかった理由はこの「モンペ」
モンペの柄で「自分だ」と気付いたんだって
足に大怪我を負っていた小幡さん
当時の小幡さん
・・・美人だ
同じく救出された同僚の女性
二言三言会話したのだそうだ
小幡さんが探しにきた母親に救助された時は
もう息絶えていたのだそうだ
さて
サンフランシスコで個展が開かれた
このおっちゃんのことばが
ほとんどのアメリカ人の気持ちなんだろうな
さて
この写真
おそらく一度は目にしたことが
あるのではないか
山端氏が救護所で見かけた若い母親の写真
この顔
誰もが心に残る一枚だ
アメリカのスミソニアン博物館で
「原爆展」をやろうとしたが
当時の退役軍人会が猛反発して
開催できなかった
なかでも
その退役軍人会が猛抗議したのが
この写真だったと言われている
そりゃ
この写真展示されたら
原爆を使用した軍人たちに非難が集まるのは
目に見えている
で
実はこの女性
当時、80歳でご健在だったのだ
田中キヲさん
自宅の畑で取れたものをリヤカーで
行商されていた
ゲテ
もうこの時点で泣けてきましてねぇ
TVの前で涙ぐんでしまった
面影あるよねぇ
あの赤ちゃん
「よしひろ」クンといったのだそうだ
生後4ヶ月だった
キヲさんが
よしひろクンを縁側で寝かせて
畑仕事をしていた時
原爆が炸裂
よしひろクンは縁側から
家の反対側にあった炊事場まで
吹っ飛んだんだって
よしひろクンを抱えて救護所にやってきたところを
山端氏に写されたのだそうだ
当時のことを
笑顔で語るキヲさん
よしひろクン
かなりのダメージで
泣かなかったのだそうだ
おっぱい吸う力も弱くて
そのときキヲさん
もう覚悟したのだそうだ
2週間後に亡くなった
もう
締め付けられる思いだ
よしひろクンの写真は
山端氏が撮った
あの写真しかないのだそうだ
キヲさん
いろいろ思い出すので
絶対見ないんだって
・・・そうだろうなぁ
キヲさん
いまもご健在であれば96歳か・・・
あす
また8月9日が来ますね
ちょっといろいろ考えてみませんか
じゃまた