目覚まし時計のアラームと身体の起動スイッチが時を同じくしたのか、スッキリと目覚めた土曜日の朝6時

目覚めと同時に外を見ずに天気の良さを肌で実感

しばし幸せな気分に浸る



テレビでは新年度のニュースが流れる

新たなシーズンへの突入は気分だけじゃない

社会も様々な変化を伴って進んで行く

否応なく変わる世界を見るのは、「仕方ない」という諦念の思いと「より良き世界のために」という革新への意思を同時に突きつけられる気分

当然のことながら、期待と不安の入り混じった瞬間には多くの人の複雑な感情がそこ彼処に溢れている

ニュースのトピックのひとつ、神奈川県の喫煙に関する新たな条例
僕は数年前のフランスを思い出した
「全ての人の思いを満たすのは無理だ」と語る横浜の興行施設の支配人の胸中はどの様なものなのだろうか

喫煙は喫煙者の健康に悪いだけでなく、周囲の人間にも悪影響をかけるが、僕個人としては受動喫煙で困っている方々には申し訳ないが、タバコの存在は決して否定しようとは思わない…

「百害あって一利なし」と言われるほど健康に害しかないけれども…誰かには価値がある

この世に無駄なものなどない…とも思う(笑)
もしタバコや酒などの趣向品が無駄だというならば、この世の
ほとんど全てのものは無駄という一言に集約されてしまうのではないだろうか

ご想像にお任せしますが、僕が考えるところ、人間には様々なインプットとアウトプットが存在していて…

おそらく、人間に害があるという事実で遠ざけようとしているものにはアウトプットを助けてくれる何かがある

毒で毒を制すためなのか、毒を手にしなければならないほど生きるのに必死な世の中

何をしても言い訳じゃないけど、それでマトモに生きていられるなら結果としてマシなんじゃないだろうか

それらはきっと、ただは万人にとって必要不可欠でないというだけなんだろう